永遠のライバルに相応しい名車“ナナサンカレラ”
1975年から1979年の5年間、週刊少年ジャンプで連載された不朽の名作『サーキットの狼』。その個性的な登場人物と共にカーフリークたちを魅了したのが世界を代表するスーパーカーたちだ。今回は主人公である風吹裕矢の永遠のライバルとして登場した早瀬佐近の愛車「ポルシェ911カレラRS 2.7」にフォーカスを当て、同車の魅力とエピソードを池沢先生にお訊きしてみたい。
池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第9回:ミウラを目の当たりにしたときの感動は忘れられない」
ポルシェは“絶対的な存在”として今もボクを魅了し続ける
主人公である風吹裕矢のライバルとして登場する早瀬佐近は、電機メーカー「早瀬電気」の御曹司であり「ナチス軍」の総裁としてのキャラクターを持たせたかった。クールでありながら優しい性格を持つ早瀬を際立たせるには、ドイツの自動車哲学を感じさせるポルシェ911はピッタリだったと思う。
それもレギュラーの911ではなく、グループ4用のホモロゲーションモデルとして誕生した1973年式のカレラRS(通称:ナナサンカレラ)は特別な存在だからね。
『サーキットの狼』を描く前、色々と構想を練っていた頃の話なんだけど、当時はクルマに詳しくなくてね(笑)。でも、ポルシェの存在は知っていたし、レースが好きだったボクにとっては憧れの存在だった。
後に早瀬佐近のモデルになったクルマ仲間のKさんが911カレラRSに乗っていて、乾いたエンジン音や独特のフォルムはとても刺激的だった。実際にドライブさせてもらったら「ロータス・ヨーロッパでは勝ち目が無い」と思ったほど素晴らしかった。
その後、「ナナサンカレラ」への憧れが捨てられず、1981年頃に中古車として911カレラRSを手に入れたんだけど、その当時は相場よりオトクな450万円(編注:とは言え現在の価値基準で約1800万円!)で買えたんだ。
ポルシェ911はとても不思議なクルマで、他のメーカーとは違った独自の哲学を貫いているのがカッコイイ。一度魅了されてしまうと“ポルシェの魔力”からは離れることができない不思議なチカラがあるんだよね。早瀬佐近も同様で、公道グランプリ、富士スピードウェイ、流石島とシーンは変わってもポルシェに乗り続けさせたのもポルシェというクルマの魅力を表現したかったからなんだ。
ボクも数多くのクルマに乗ってきたけど“ポルシェの魔力”から抜けだせないひとり(笑)。気が付けば16~17台以上のポルシェを乗り継ぎ、今もポルシェを愛車にしているんだからね。レースの世界と直結したクルマがポルシェであり、ステアリングを握っていると公道とサーキットが繋がって見えてくる。『サーキットの狼』を描き始めてから40年以上の歳月が経つけど、ポルシェ911はボクの中では絶対的な存在になっていることは間違いない。
Porsche 911 Carrera RS 2.7
ポルシェ911カレラRS 2.7
GENROQ Web解説:伝説を築いたポルシェ911カレラRS
1972~1973年にグループ4のホモロゲーションモデルとして誕生した911カレラRS 2.7。「ナナサンカレラ」の愛称を持ち、ポルシェパラノイアだけでなく世界中のカーフリークの憧れとして名を馳せている。
ナローポルシェと呼ばれる911のボディを更に軽量化し、パワフルな2.7リッターの空冷水平対向6気筒を搭載。フロントには小型のリップスポイラーが与えられ、リヤのエンジンフード上の“ダックテール”と呼ばれる独特なリヤスポイラーはナナサンカレラのアイコンになっている。また、レースに勝つためワイドタイヤは必須とし、その策としてリヤフェンダーを大幅に拡張。まさにレーシングカーのフィロソフィを純粋に具現化したモデルに仕上げられていた。
世界選手権であるグループ4・スペシャルGTのホモロゲーションモデルとして、当時は500台の生産をレギュレーションで義務付けられていたが、世界中からオーダーが集まり、最終的には予定の生産台数の3倍を超える1580台が世に送り出されることになる。
その特徴は2.0リッターの排気量で登場したフラット6エンジンを、最大許容量とされていた2.7リッターへとスケールアップしたことだ。当時、レーシングカーとして活躍していたポルシェ917に採用されていたシニカル合金のシリンダーを用いることで優れた耐摩耗を発揮したことも大きなトピックス。
空冷式の水平対向6気筒SOHCユニットは2687ccの排気量が与えられ、210ps/6300rpmの最高出力と26.0kgm/5100rpmの最大トルクを叩き出す。そのドライバビリティは鋭く、独創的なRRレイアウトと軽量化された1075kgのボディとの相乗効果により、キレ味の鋭い走りを披露する。
911カレラRS 2.7のボディディメンションは、全長4147×全幅1662×全高1320mm、ホイールベース2271mmとなり、現代のレベルでは5ナンバー枠に収まるコンパクトな設計。当時の新車価格は780万円に設定され、現在の貨幣価値に換算すると約3000万円に相当するという。ちなみに現在のクラシックカー市場では、コンディションの良いモデルの場合には1億円に手が届くプレミア価格が付けられている。
TEXT/並木政孝(Masataka NAMIKI)
PHOTO/市 健治(Kenji ICHI)
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