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元WRC王者、リチャード・バーンズへの想い 友人が語る素顔 世間との「ギャップ」も

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元WRC王者、リチャード・バーンズへの想い 友人が語る素顔 世間との「ギャップ」も

写真家コリン・マクマスターが語る「特別な存在」

リチャード・アレクサンダー・バーンズ。バーンジー。RB。リチャード。新進気鋭のラリードライバーだった1994年に初めて会ったときから、2005年に亡くなるときまで、世界チャンピオンであり、またそれ以上の存在でもあった彼のことを、わたしは光栄にもそのように呼んでいた。

<span>【画像】リチャード・バーンズ【すべての写真を見る】 全11枚</span>

わたしは彼の追悼式でスピーチをした。できれば、彼がわたしにしてくれたことへの恩返しとして、最愛の女性であるゾーイとの結婚式でスピーチをしたかった。

しかし、それは叶わず、リチャードはわずか34歳で脳腫瘍のために亡くなった。いつものように、リチャードは素晴らしい闘いを見せていたが、彼でさえ病に勝つことはできなかった。亡くなった日は、4年前にタイトルを獲得した日と同じ11月25日であった。

この残酷な皮肉は、彼とコ・ドライバーのロバート・リード、そしてスバル・チーム全員が2001年に達成した幸せな思い出に暗い影を落としている。リチャードはパーティーが大好きで、その気になれば誰も彼を止めることはできなかった。ここではその思い出に敬意を表して、彼を正当に評価し、本人が少し恥ずかしがるであろう話をいくつか紹介したいと思う。

誰よりも努力して掴んだシルクのような走り

世界タイトルの獲得は、リチャードの夢の集大成だった。わたしは、この夢は他の誰よりも努力したことで実現したものだと強く信じている。彼が費やした多くの時間と努力を、わたしは目の当たりにしてきたからだ。

出会って間もなく、わたしと当時のガールフレンドは、リチャードと彼のガールフレンドと一緒に、コッツウォルズの端にあるオディントンという村の、美しい納屋を改装したシェアハウスで暮らし始めた。その後、オックスフォード郊外のキドリントンに移り、リチャードとわたし(当時は独り身同士)の2人で住むようになった。レースやラリーのドライバーたちと過ごす機会が多かったのだが、そのおかげで、彼らの間にある大きな違いを知ることができた。

競技ドライバーはひたむきな人が多いが、リチャードは絶対的に熱心で、向上のためには何でもした。例えば、ペースノートをもっと速くするために常に改良を加えようとしており、テレビ制作会社からすべてのオンボード映像のテープを取り寄せ、かなりの時間を費やして研究していた。リチャードと同じような才能を持っている人は少ないかもしれないが、彼をトップに押し上げたのは純粋な努力だった。彼は誰よりも努力し、自分のドライビングや走行したステージを詳細に分析し、ひたむきに上を目指した。

そして、満足したときだけ、大好きなテレビ番組「ザ・シンプソンズ」を観ていた。その努力の一例が、独自の分割ペースノート・システムだ。彼とコ・ドライバーのロバート・リードは、すべてのコーナーを「入口」「頂点」「出口」の3つの部分に分解した。ここまで細かく処理するのは非常に難しいことだったが、彼らは見事にそれを実現した。

彼らはそのようなチームであり、霧の中でライバルが視界を奪われる走る中、まるで目が見えるかのようにタイムを出し続けた。無敵だった。ロバートはルートを正確に描写することができた。リチャードも彼を全面的に信頼していたし、言われたことをすべて受け入れる能力があったからこそ、タイムを更新することができたのだ。知性、スピード、勇敢さ……すべてを兼ね備えたパートナーシップだ。

しかし、その速さに見合う評価を得られないこともあった。彼をレンズ越しに見てきたわたしは、とんでもなく速かったと確信している。キャリアにおけるステージ最速タイムの統計がそれを物語っている。ハンドルを握る彼の芸術性を真に評価するには、多少の理解があれば十分だ。彼のスタイルはシルクのように滑らかで、コーナー出口ではライバルよりもはるかに高いスピードを出していた。フィンランドのような、超高速で正確さが求められるラリーでは、それがよくわかる。ここ数年は、リチャードだけが地元の人たちと互角に戦えていた。

もちろん、そのスタイルはコリン・マクレーとほぼすべての点で対照的だった。1990年代後半から2000年代前半にかけての世界ラリー選手権は、英国人にとって素晴らしい時代だった。わたしのカメラのレンズを通すと、コリンは常に華々しく大胆に見えたが、リチャードはそうではなかった。彼は自分なりの速い走り方を持っていて、効果的ではあるが、必ずしも目を見張るものではない。

その対決はメディアにも及び、コリンはクルマを降りると自発的に自分の意見を述べた。けれど、2人とも根っからのシャイな性格で、数年後にはお互いに頂点に立っており、わたしは最高の友人だと感じていた。悩みの種は、初期の頃、出世街道を歩んでいたコリンの弟アリスターがリチャードに押されて苦戦していたことだ。困ったことに、コリンは自分を抑えることができずにメディアを巻き込み、その過程でリチャードを巻き込んでしまったのだ。わたしも、メディアではコリンに負けていたと思うが、ステージでは別の話である。

コリンとリチャードの仲の良さは、何度も自分の目で確かめた。2002年に南アフリカで行われたスコットランド人ラリードライバー、ロビー・ヘッドの結婚式での2人の様子は、わたしにとって最も幸せな思い出の1つだ。彼らはケープタウンの巨大な賃貸住宅を共有しており、結婚式の1週間前からパーティーの拠点となっていた。お互いの尊敬と友情は誰の目にも明らかだった。

世間には見せなかった王者の素顔とは

リチャードはとてもポジティブで、一緒にいるととても楽しい人だったので、このような一面が世間に知られることがなかったのは残念だ。しかし、彼の周りには常に仲間や友人、そして少数の取り巻きがいて、それが彼をよそよそしく、飄々とした難物に見せていることもあった。

ラリーで厳しい状況に陥ったときは、ネガティブな印象を与えることがあった。彼は世界チャンピオンになりたいという前向きな気持ちと決意を持っていたが、人々は彼の性格を気分屋だと捉え、それが報道されるとリチャードを苛立たせ、さらに引きこもろうとしてしまう。あれは本当のリチャードではない。

本当のリチャードは、初期の頃、レース終了後に「The Fox」というパブに顔を出して、地元の人たちに最新の成功体験を語って楽しませていた男だ。あるいは、パーティーの中心にいて、みんなが自分と同じように楽しんでいるかどうか確認していた男だ。

男性としても魅力的であった。寝室が彼の部屋の下だった人だけが自信を持って言えることだ。やがて彼は落ち着くようになったが、暇さえあればスパナを持ってラリーカーの下に潜り込んでいたレディング出身の少年は、最初の数年間で女性について多くのことを学んだと言っていいだろう。

彼は量産車にも造詣が深く、996世代のポルシェ911 GT3や1967年式のシボレー・カマロSSなどがお気に入りだったと記憶している。

慎重なところもあり、お酒を飲むときは自分の限界を知っていた。路上で誰かに煽られたとしても、模範的なドライバーであった。「リンフォード・クリスティ(陸上競技選手)は店まで走らない」といつも言っていた。でも、彼がチャールベリー近郊で事故を起こした後、近所の人たちに砂利道に浮いた油膜を掃除させられたことはよく覚えている。

それから、わたしの結婚式のときのことも忘れられない。南アフリカに24人の友人を連れて出かけ、観光用にクルマを手配したのだが、リチャードが喜んで運転手を務めてくれた。ある大きな自然保護区で砂利道を走っていると、仲間の1人であるアマチュアのラリードライバー、リチャード・ストードリーが、もう1台のクルマで彼と競争しようとしたのだ。そのせいで砂埃が舞い上がり、動物はちっとも見られなかった。

リチャードは気遣いもできる人だった。お隣さんが白血病と診断されたときも、12歳の娘さんの学校の送り迎えを申し出た。辛い時に娘さんが笑顔になってくれるということで、彼はとても喜んでいた。それがリチャードだった。

あと気前がいい。モンテカルロ・ラリーはいつも彼の誕生日と重なっており、前日にお祝いのディナーを抜くことはなかったが、彼がお金を払ってくれるのだ。カメラマンの目の前でそんな姿を見せるのはリスキーだが。

いつまでも大切にしたい友人との思い出

気前は良かったが、時々、初期の頃の節約癖が出てしまうことがあった。1998年頃、キャリアは飛躍的に伸び、彼は自分の家を買った(わたしの家から約30mのところだ)。そして信じられないことに、自分で家具を運ぶことにしたのだ。これが大失敗。彼をマットレスごとBTCCレーサーのジェイソン・プラートのワゴン車に乗せ、縛って固定するハメになった。

そして何より、彼が愛してやまない家族がいた。彼の一番のファンだった祖母にはラリーのたびに話をしていたし、祖父が亡くなってからは結婚指輪をネックレスにして身につけていた。実はこれ、2000年にフィンランドでクラッシュしたときに外れて窓の外に飛んでいってしまったのだが、とても大切なものだったので、見つけるまで下草や倒木をかき分けて探した。

父アレックス・バーンズとの関係も極めて親密なものだった。アレックスの存在は、リチャードの下積み時代の原動力であり、WRCでもよくそばにいた。リチャードがマーガムパークで世界チャンピオンになってクルマから降りたとき、最初に抱きしめたのが父親だった。

その週末には、仲間が世界チャンピオンの写真を何枚も撮っていた。当時、わたしはまだフィルムで撮影していたので、道具を持ってナイトクラブに行く前にかなりの準備が必要だった。ダリオとマリーノのフランキッティ兄弟も来ていて、盛大なパーティーが開かれていた。リチャードはロープで囲まれたVIPエリアに陣取っていたので、わたしは彼と2、3杯飲んでから、満員のダンスフロアに繰り出した。

不在が目立ったのはコリンで、彼は序盤で帰ってしまったのだが、リチャードに電話でお祝いを伝えていた。また、リチャードがカルロス・サインツからのメールを見せてくれたのも覚えている。「Welcome to the club」とだけ書かれていたが、それだけで十分だった。

これが、わたしが大切にしている思い出だ。リチャードが若くして亡くなっていなかったら、そのキャリアがどうなっていたかはわからない。WRCの競争が激化し、スバルの競争力が弱まりつつある2004年にスバルに復帰する予定だった。彼の心はダカールやラリーレイドに向いていたと思うし、若手ドライバーのマネージャーやアドバイザーとしても活躍していただろう。

彼はアリ・バタネンのような思想家だったので、コ・ドライバーがチームマネージャーやFIAの幹部になるという流れに逆らっていたかもしれない。自然を愛する彼は、気候変動に焦点を当てた活動に参加し、さまざま場所を訪れていただろう。

最愛のゾーイとも結婚して、わたしは本当は結婚式のスピーチをすることができたはずだった。ところがわたしは、ロンドンのチェルシーにある教会の大きな納屋に立っていた。追悼式でのスピーチを承諾したのだが、わたしの他にプロの放送作家であるスティーブ・ライダーとジェレミー・クラークソンがスピーチに立つとは知らなかった。

緊張すると同時に、本当に光栄なことだった。10分はあっという間に過ぎてしまったが、今でもその時の録音を持っていて、時々苦笑いしながら聞いている。あの時、わたしは友人のリチャードをきちんと評価できたと思っているし、ここでもそうありたいと思っている。

スバルからプジョーへ

2001年のWRCでタイトルを獲得した翌日、リチャードはスバルのPRのためにロンドンに滞在していた。その日の夜、彼の家に行くと、明日はウェールズに一緒に行かないかと誘われた。彼は、「万が一、二度と運転できなくなったときのために」と、プジョー206 WRCをテストするつもりだったのだ。

2001年にリチャードが世界チャンピオンになれば、スバルは彼を残留させることができるという奇妙な契約状況であった。その2日後、リチャードはスバルとの契約を解除するための協議を行うことになったのだ。

11月の朝、わたし達はヘリコプターでウェールズに向かった。彼は有名なヒギンズ・ラリー・スクールでプジョーを走らせ、その日の夜にはパブでのディナーに間に合うように帰宅した。

その日に撮った写真は、リチャードのためだけに撮ったもので、今でも未発表のままだ。彼は本当に、もう二度とクルマを運転することが許されないのではないかと思っていた。しかし、その2日後、彼はプジョーに移籍した。

筆:ラリー写真家コリン・マクマスター

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