富士スピードウェイで開催されたNISMO FESTIVAL 2022で、今年3月16日に亡くなった高橋国光さんにゆかりのあるマシンによるメモリアルランが行なわれた。
日本を代表するレーシングドライバーである”国さん”は、2輪から4輪に転向後、日産でも数々の輝かしい実績を残したレジェンドドライバーだ。
■3年ぶりにNISMO FESTIVAL開催! 快晴の富士スピードウェイに多くの日産ファン集う
今回のNISMO FESTIVALでは、23番ピットで『高橋国光 メモリアルガレージ』として、レーシングカーや実際に使用されたレーシングギアなどが展示された。
さらには長谷見昌弘、土屋圭市の盟友ふたりが国さんとゆかりのある2台のGT-Rでメモリアルランを実施。サーキットに集まったファンを魅了した。
長谷見は『SKYLINE 2000 GT-R RACING CONCEPT』をドライブ。これは1972年の東京モーターショーに出展されたモデルであり、実戦投入はなされなかった幻のGT-Rだ。
国さんのヘルメットをかぶり、当時のレーシングスーツを着た土屋がドライブしたのは、1993年の全日本ツーリングカー選手権で高橋国光/土屋圭市組が駆った『STP TAISAN GT-R』だ。
官能的なサウンドを響かせながら、2台は富士スピードウェイを2周。どこか名残惜しそうにストレートでマシンを止めると、マシンから降りたふたりは、国さんとの思い出を語った。
長谷見は「初めて会った当時、日本に自動車レースはなかった。その姿に憧れて、ああいう風になりたいと思った」と、憧れの人だったと国さんを振り返った。
「国さんの追悼イベントをやってくれたNISMO FESTIVALに感謝です」と語った土屋は、ファンとして国さんに会うため「富士スピードウェイさんには申し訳ないけど、金網をペンチで切って入った。16歳の時だったので許してください」とカミングアウト。会場を笑わせると、手を震わせながら領収書の裏にサインをもらった、大切な思い出を明かした。
国さんはどんな存在だったかという質問には、「近くで言えば親父っていう感じ。立場的には僕の神様です」と答えた土屋。「国さんの時代っていうのをNISMO FESTIVALが大切にしてくれていて、全開で走れるようにマシンをメンテナンスしてくれていることが嬉しかったですし、お客さんの前で走らせてくれて、本当にありがとうございました」と感謝した。
一方、国さんは”同僚”だったと答えた長谷見は「大きい事故にも遭いながら、最後まで走り続けた。そういう意味では、僕もまだ追いかけています。高橋さんを抜くでしょう」と笑顔を見せ、天国の国さんへのメッセージを締め括った。
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