エイドリアン・ニューウェイは、伝説的なF1デザイナーとして、これまで数々の勝利やタイトル獲得に貢献してきた。彼の手がけたマシンは総計でコンストラクターズタイトル12回、ドライバーズタイトル13回を獲得している。
そんな彼は2025年3月にレッドブルを離れ、アストンマーティンへ移籍することが発表された。ニューウェイは現在65歳だがF1への情熱は衰えておらず、新天地でその辣腕を振るうことになる。
■ニューウェイ獲得は”お買い得”だった? アストンマーティンが期待する役割「彼はリーダーでありパートナー」
彼がこれまでデザインした幾多のマシンのうち、10台をピックアップして紹介しよう。
マーチ881(1988年)
ニューウェイが手がけた最初のF1マシンは、1988年のマーチ881だった。このマシンは空力面で非常に優れており、その基準を一気に引き上げた。その一方で、空力性能を追求するためにコクピットが非常に小さくなり、ドライバーであるイワン・カペリとマウリシオ・グージェルミンを苦しめた。当時はターボエンジンが主流の時代。搭載していたジャッドV8エンジンは自然吸気エンジンだったため、ストレートでの最高速はV6ターボ勢にはとても敵わなかった。しかしその空力性能をいかんなく発揮し、時折速さを見せた。特に日本GPでは、カペリがラップリードを記録。これは1988年シーズンで唯一の、非ターボ車によるラップリード記録であった。
レッドブルRB6(2010年)
レッドブルが初めてタイトルを獲得した2010年のRB6。ニューウェイが引き出したダウンフォースレベルを十分に活かし、4年連続でドライバーズチャンピオンとなるセバスチャン・ベッテルの、記念すべき1回目のタイトル獲得マシンである。
この年のタイトル争いは、フェラーリvsレッドブルの大接戦。最終戦アブダビGPを迎えた時点では、ランキング首位がフェルナンド・アロンソ(フェラーリ)、2番手がマーク・ウェーバー(レッドブル)だった。しかしアロンソは、早々にピットインしたウェーバーに追従する形でピットイン。しかしふたりは、遅いマシンを抜くことができずポジションを落とし、変わって首位でフィニッシュしたベッテルがタイトルを大逆転でもぎ取ったのだ。レッドブル時代の幕開けとも言える1台。
ウイリアムズFW18(1996年)
1994年と1995年、ウイリアムズはベネトン+ミハエル・シューマッハーの前に屈した。しかしシューマッハーは、1996年からフェラーリに移籍。これが、ウイリアムズとデイモン・ヒルにとっては追い風となった。 このFW18はトリック・ディフューザーを持ち、強さを発揮した。
新たにF1デビューを果たした大型新人ジャック・ビルヌーブの活躍もあり、この年のウイリアムズは16戦中12勝を達成。ヒルが史上初の親子チャンピオンに輝いた。 ニューウェイはこの年限りでチームを離れることになるが、翌年用マシンFW19もすでに手がけていたため、ビルヌーブがタイトルを獲得することに成功した。
マクラーレンMP4-20(2005年)
2005年のマクラーレンMP4-20は何のタイトルも獲得しなかったが、他のどのチームよりも多くの勝利を挙げた。シーズン初期にはトラブルが相次いたため、キミ・ライコネンやファン-パブロ・モントーヤから勝利を奪うこととなった。もしこれがなければ、あと数勝加算することができていたかもしれない。結果、シーズン終盤7戦中6勝を挙げたものの、ルノーを駆るフェルナンド・アロンソにチャンピオンを獲られることになった。
レッドブルRB7(2011年)
2010年にダブルタイトルを獲得したレッドブルは、RB7を走らせた翌年はさらに強さを増し、19戦中12勝を挙げてセバスチャン・ベッテルが2年連続のドライバーズタイトルを手にした。また予選でも驚異的な速さを見せ、19戦中18回のポールポジションを獲得。逃したのは、韓国グランプリだけだった。コンストラクターズポイントでも、2位マクラーレンに153ポイントもの大差をつけた。
ウイリアムズFW14B(1992年)
伝説的なテクニカルディレクターであるパトリック・ヘッドと協力することで、ニューウェイの才能は完全に開花したと言っても過言ではないだろう。1991年のFW14は、非常に速かったがその反面トラブルに見舞われることが多かった。このFW14はウイリアムズ初のセミ・オートマチックのパドルシフトを採用したマシンであり、熟成には時間がかかったのだ。 シーズン後半にはこの信頼性が高まり、マクラーレン・ホンダを苦しめる頻度が多くなった。
そして1992年にはFW14にリ・アクティブサスペンションなどを追加したFW14Bが登場。ナイジェル・マンセルのドライビングも相まって、1992年シーズンを席巻した。結局マンセルは9勝、チームメイトのリカルド・パトレーゼは1勝を挙げた。 FW14シリーズは、2シーズン合計で17勝を獲得。史上最強の1台と言われることもある。
マクラーレンMP4-13(1998年)
マシンの幅が狭くなり、グルーブドタイヤが投入された1998年のF1。ニューウェイはMP4-13のデザインで正しいことを全てやってのけたと言えるだろう。彼は荷重移動を最小限に抑えるため、車体の重心を著しく下げた。ただフェラーリのミハエル・シューマッハーも手強く、激しいタイトル争いへと発展。しかし結局ミカ・ハッキネンが8勝を挙げ、初のドライバーズタイトルを獲得した。
レッドブルRB9(2013年)
レッドブル黄金時代、最盛期の1台。またV8エンジン時代最後のチャンピオンマシンである。これで、セバスチャン・ベッテルが通算4度目のタイトルを獲得。ベッテルはこの2013年に13勝。ベルギーGPから最終戦ブラジルGPまでは、破竹の9連勝を達成した。RB9のパフォーマンスは非常に良かったが、トリックエンジンマップなど、幾つかの疑惑の的ともなった。この翌年から、F1はV6ターボ+ハイブリッド時代に突入。メルセデスの天下となっていく。
ウイリアムズFW15C(1993年)
史上最もハイテクなF1マシンだとも言える1993年のウイリアムズFW15C。FW14Bとは異なり、最初からアクティブサスペンションありきで開発が行なわれたマシンだ。ニューウェイはエアロパッケージを精査し、前面投影面積を減らすことに成功。これにより、ハイダウンフォースが必要となるサーキットでは、リヤウイングを巨大化させる余裕が生じた。
またABS(アンチロック・ブレーキ・システム)も搭載し、アクティブサスペンションを活用することで、メインストレートでのレーキ角を調整できるようになっており、最高速を発揮するのに役立った。ある意味、現在のDRSの根源とも言える。 アラン・プロストは1992年を休養に充て、1993年に復帰。自身4度目のタイトル獲得をあっさり決めた。しかしプロストは、このシーズンのみでF1から引退することになる。またデイモン・ヒルは、ブラバムから一気にトップチームに昇格し、この年3勝を挙げる活躍を見せた。
レッドブルRB19(2023年)
名実ともに、F1最強と言える1台が、レッドブルRB19だ。2023年シーズンの全22戦中21勝という輝かしい成績を残した。これはF1の歴史上、年間の最高勝率記録を樹立するものである。レッドブルは2022年に導入された新レギュレーション下でいち早く、速さを発揮するための要点を掴んだ。
2022年に計17勝を挙げたRB18をさらに進化させたRB19は、まさにライバルを圧倒する速さ、強さを見せた。当然、この偉業はニューウェイひとりの力で成し遂げられたわけではないが、2024年のレッドブルが苦戦していることを考えると、その貢献は考えられている以上に大きいのかもしれない。
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マーチ881の美しさはもはや芸術品