500E 怪物たちの末裔として
text:Takuo Yoshida(吉田拓生)photo:Koichi Shinohara(篠原晃一)ブガッティ・ロワイヤル、フェラーリ250GTO、シトロエンDS、マクラーレンF1……。
自動車の世界に革命を起こした伝説的な作品たちの延長線上に、端正なノッチバックボディの4ドアセダンがいる。
傑作と言われ、今なお多くのファンに愛されるメルセデス・ベンツ500E。W124型ミディアムクラスのモデルライフ後期に登場し、あらためてW124シャシーの潜在能力の高さを強く印象付けた特別な1台である。
開発と生産にポルシェが深くかかわったこと。本来は直列エンジンのために設計されたエンジンベイ一杯に5LのV8を詰め込んだこと。エアロではなく前後フェンダーのフレアによってW124でありながら、「らしからぬ」雰囲気を醸し出していること……。
500Eが特別視される理由はいくつもあるが、このクルマを不世出なものにしている理由は物理の裏にある精神的なもの。
今日では極めて理性的なブランドとして知られているメルセデス・ベンツの歴史の奥深くに眠っている狂気が、この4ドアセダンに滲み出ているからではないだろうか。
メルセデス・ベンツの歴史の中で、W124 E50型500Eの精神的な祖先と言えるのは、戦前のグローサー・メルセデス(770K)や、1970年前後の300SEL 6.3といった怪物たちなのである。
伝説の1台、ポルシェとの共作
現役当時から傑作と呼ばれたメルセデス・ベンツW124のデビューは1983年のこと。
ガソリンとディーゼルとも排気量によるバリエーションは多かったが、それでもモデルライフ前半は4気筒と6気筒という直列エンジンしか搭載していなかった。
ところが1990年にマイナーチェンジが行われた1年後、異変が起こる。
サッコプレートによってモダンな印象になったボディにV8エンジンを積んだモデルが追加されたのである。
5L V8の500Eと、それに続いてデビューした4.2Lの400Eである。400Eの外観は普通のミディアムクラスと同じだったが、500Eは片側で3センチほどワイド化されたフェンダーを装備することで凄味を増していた。
車幅が広がった理由は標準のW124が履く6.5jから8Jまで拡大されたホイールを収めるため。一方タイヤのサイズアップはV8エンジン搭載による200kg以上にもなる重量増とパワーアップとバランスを取るためだ。
W124のエンジンベイに500SL(R129)のパワートレインを搭載しモンスターセダンを作るというのはメルセデス自身が描いた青写真だった。
だが実際の開発は当時業績が振るわなかったポルシェに託され、生産も500Eの前期型(1990~1991年)のファイナルアッセンブリーはポルシェのツッフェンハウゼン工場で行われている。
メルセデスとポルシェの共作というエピソードもまた、初代500Eの伝説化に一役買っているのだ。
走行20万km、当たり前
1990年代の空気感を肌で知らない人が、500Eのスペックに目を通しても、このクルマの本当の凄さは理解しにくいだろう。
2Lの直4ターボでも400psを軽く凌駕できることはメルセデス自身が証明しているし、速いといってもツーリングカーレースに出場して活躍したわけでもないのである。
21世紀のクルマ作りはエンジニアやデザイナーによる実作業と同じくらい、マーケットの動向とブランド全体のイメージ作り、モジュラー設計によるコスト削減といったものが重要視されている。
かつてのように「クルマ好きの有志が会社に居残って作り上げた意欲作が上司の目に留まって商品化」といった熱量の大きなストーリーは生まれにくいのである。
設計の初期段階からラインナップの全てが想定され、ハイパワーモデルから順に設計していく手法が一般的なのである。
つまり500Eの開発にあたってポルシェがしたように、当初の設計にない大きなエンジンを搭載するため、バルクヘッドやセンタートンネルの形状を変更するような荒技は、現代の自動車作りではありえないのである。
ミディアムクラスの品格を失うことなく、中身には徹底的に手を入れ、生まれた時から王位を継いでいる500E。
中古車市場では20万km、30万kmを越えた個体でも当たり前のように高値が付く。これこそが世の中が認めたこのクルマの価値なのである。
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
みんなのコメント
この記事にはまだコメントがありません。
この記事に対するあなたの意見や感想を投稿しませんか?