販売面で苦戦しているクルマの場合、その扱いは数パターンあり、何も手を入れずほぼ放置プレーで生産を続けて予定したモデルライフを全うさせるケースは多い。これはまだクルマとしては幸せだ。
それに対し、ダメだと思ったらスパッとやめるケースもある。これは最近ではあまり見ないが、1980年代から1990年代くらいまでではかなり頻発していた。
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限定生産、少量生産でない限り、ほとんどのカタログモデルは最低でも4~5年のモデルライフが予定されているが、それを大幅にショートカットした短命グルマを5台紹介していく。
短命に終わった背景には何があったのだろうか?
文:ベストカーWeb編集部/写真:MAZDA、HONDA、MITSUBISHI、SUBARU、NISSAN
マツダオートザムクレフ
【画像ギャラリー】クロノスファミリーの全車名を当てたら超クルマ通!!
販売期間:1992年5月~1994年8月
2代目ロードスターのような形状のヘッドライトの間にライトを埋め込んだフロントマスクが個性的だったクレフ。クロノスファミリー最後発で短命に終わった
マツダが販売チャンネルを拡大して姉妹車を続々と登場させていた時の不遇の1台。当時定番人気だったミドルクラスセダンのマークIIよりも幅広い全幅1750mmのセダン。
エンジンは2L&2.5LのV6と4WDには2L、直4が組み合わされていた。
しかしこの頃のマツダは迷走していて、カペラをクロノスに変更し、そのクロノスファミリーを多チャンネルで違う名前で販売して売るほうも買うほうも大混乱。
クロノスはマツダ店、アンフィニ店がMS-6、MS-8、ユーノス店がユーノス500、オートラマ店がテルスター、そいてオートザム店がクレフだった。
ホンダCR-Xデルソルもクレフ同様に鼻の穴のようなライトを埋め込んだデザインで登場。メーカーが違うのにデザインコンセプトが同じというのは不思議でともに販売不振というのは偶然に一致とは思えないジンクス的なものを感じる
なぜか1990年代に入ったあたりからトヨタソアラ、ホンダCR-Xなどヘッドライトの間にライト(フォグ含む)を埋め込んだモデルが続々と登場したがどれもが不振。このジンクスに従ったわけではないだろうがクロノスファミリー最後発のクレフも販売不振で、2年3カ月という短命に終わった。
マツダエチュード
販売期間:1987年1月~1990年(月は不明)
3ドアハッチバックのようなデザインだが、マツダはスペシャルティクーペと主張。フラッシュサーフェイス化されたリア部分は当時としては斬新な手法
5代目ファミリアをベースでマツダはクーペと称していたが、一見3ドアハッチバックにしか見えない。ファミリア3ドアが全長3990×全幅1645×全高1390mmだったのに対しエチュードは全長4105×全幅1645×全高1355mmと長く、低くして差別化。
エクステリアではフラッシュサーフェイス化を徹底したスムーズな面構成が特徴で、Cピラーをウィンドウで覆うなど当時としては斬新なデザインだった。
しかし、ファミリアが6代目にフルモデルチェンジして切り替わった時に、リトラクタブルヘッドライトの4ドアクーペとも言えるスタイリッシュなファミリアアスティナがデビュー。
5ドアハッチバックながらリトラクタブルヘッドライトの影響もあり5ドアクーペ的な印象。アスティナの登場がエチュードを生産中止に追い込んだ
約1年間アスティナと併売されたが、アスティナの人気が高くエチュードはほとんど売れなかったため1990年に生産中止となり3年弱で終焉を迎えた。
三菱プラウディア/ディグニティ(初代モデル)
販売期間:2000年2月~2001年3月
セルシオ、シーマに匹敵する大型サルーンで、3.5L、V6と4.5L、V8のGDIエンジンを搭載。FFのハンドリングは高級車として不評だった
プラウディアのホイールベースを延長したリムジン仕様がディグニティ。グリル、センターピラーほか重厚感は半端ないが、累計で100台も売れていない
日本車史上で最も短命に終わったクルマの1台が三菱プラウディア/ディグニティだ。その販売期間は1年1カ月と超短命だ。
韓国の自動車メーカーのヒュンダイと共同開発した大型セダンで、当時のライバルはトヨタセルシオ、日産シーマだった。
エンジンは当時三菱が推進していたGDIで、3.5L、V6と4.5L、V8という超豪華ラインナップを誇った。
このプラウディアのホイールベースを250mm延長したリムジン使用がディグニティだ。こちらのライバルはトヨタセンチュリー、日産プレジデントだった。
FFだから足元にトンネルがないし、ホイールベースの延長分の250mmをスペース拡大に使っているのでディグニティのリアは超絶に広い
特にディグニティは三菱グループ御用達のハイヤーとしての需要がほとんどという状態。駆動方式がFFだったため、プラウディア、ディグニティとも後席の広さは充分だったが、高級車としてのハンドリングは不評だった。
姉妹車のヒュンダイエクウスが韓国で好調に売れて10年にわたり販売されたのとは対照的な結果に終わってしまった。
スバルインプレッサリトナ
販売期間:1995年1月~1996年9月
クーペとしては少々アンバランスで伸びやかさに欠けたリトナ。4ドアセダン、ワゴンと比べてユーティリティ面で劣ったため販売面で苦戦
スバルは1995年1月に北米専用として販売していたインプレッサの2ドアクーペをリトナとして販売を開始。日産ルキノクーペ、サイノスなどの小さなクーペが堅調に売れていたことに影響されたかたちだ。
しかしセダン、ワゴンに続くモデルとして期待されたが、ライバルとは裏腹に販売面で大苦戦。その結果、わずか1年5カ月という短命に終わった。
実際にリトナはクーペとしてはズングリしていてカッコいいとは言えないし、セダン、ワゴンよりリアの乗降性も悪ければ苦戦も必至。
リトナは大きな意味で22Bの源流ともいえる。北米専用のクーペをリトナとして販売していなかったら存在しなかったかもしれない
しかし、リトナ自体は売れなかったが、リトナをベースとした2ドアのインプレッサWRX STIは見違えるようにカッコよく大人気となったし、WRカー2ドアベースとなった。
さらにさらに、幻の名車と誉れ高いインプレッサ22Bの源流と言ってもいいリトナは隠れた名車と呼びたい。
日産マーチBOX
販売期間:1999年11月~2001年4月
2代目マーチの5ドアをベースにホイールベースは変更せず、リアのオーバーハング部分を260mm延長してステーションワゴンとしたのがマーチBOX
2代目マーチをベースにリアを延長してステーションワゴンに仕上げたのがマーチBOXだ。全長3980mm×全幅1585×全高1430mmのボディサイズは、ベースとなった5ドアに対し全長で+260mm、全高で+25mmとなっていた。ホイールベースは5ドアと同じで、リアのオーバーハングが伸ばされていた。
当時としても日本で最も小さいステーションワゴンとして存在感はあったし、マーチ5ドアに比べてラゲッジの容量、使い勝手とも向上していた。
しかしたいした需要はなく、マーチのフルモデルチェンジの約1年前に1年5カ月という短命で終わってしまった。
2代目に設定されていたマーチカブリオレはマーチBOX同様に少量生産のスペシャリストである高田工業に生産が委託されていた
最大の要因は車両価格で、当時1.3Lモデルで約140万円というひとクラス上のステーションワゴンのウイングロードとほぼ同じでは苦戦しても仕方なかった。
マーチBOXはBe-1をはじめとするパイクカー、マーチカブリオレなどを手掛けた高田工業で委託生産されていたことからも、日産としては短期間と割り切っていたのかもしれない。
販売面では失敗だったかもしれないが、このような遊び心が現在の日産に欠けている点ではないだろうか。
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