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【画期的だったがコストの壁に夢散!!】短命に終わったエポックメイキングな技術5選

 バブル期だった昭和の終わりから平成初期を含めた1990年代までは自動車業界に余裕があったこともあり、新型車が出るたびに新技術が盛り込まれていたと言ってもいいくらいの時代だった。

 登場した新技術のなかには現代も使われているものもある半面、画期的と言われながらも短命に終わったものも珍しくなく、当記事では後者を振り返ってみた。

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文:永田恵一/写真:NISSAN、HONDA、MAZDA、MITSUBISHI、SUBARU、TOYOTA、LANCIA、RAKUTEN

【画像ギャラリー】CVT/ターボ/ロータリー/ミドシップ/V6の量産車の日本初&世界初搭載車!!

エクストロイドCVT

初搭載車:日産セドリック&グロリア(1999年登場)

個性的なエクステリアデザインがウケて大ヒットモデルとなったY34セドリックのトップグレードにエクストロイドCVTが搭載されて世界初登場

 スクーターのように効率のいいエンジン回転を使って走れるCVTは、スタートクラッチにATと同様のトルクコンバーターを使えば常時シームレスに走れるのに加え燃費も有利と、日本のような道路環境には特に向いているのもあり現在採用する日本車は非常に多い。

 CVTが日本で普及し始めたのは1990年代後半からであるが、CVTは2つのプーリー(滑車)の幅を変えることでギア比を変え金属ベルトで結ぶというものだったため、当時は組み合わせられるエンジンの上限が2L級のNAあたりで高出力エンジンに組み合わせることができないのが大きな弱点だった。

 その弱点を克服すべく日産がY34型セドリック&グロリアに搭載したのが、2枚のディスクと2つのパワーローラーを介するという構造となるトロイダルCVTであるエクストロイドCVTだ。

エクストロイドCVTの月販目標はセドリック40台、グロリア160台の合計200台と少なかったのは、高価だったことに加えて歩留まりの悪さもあったという

 エクストロイドCVTは最高出力280馬力&最大トルク39.5kgmというスペックを持つ3L、V6ターボと組み合わされ、CVTの利点はそのままにハイパワーに対応。

 6速MTモードも持ち、3L、V6ターボ+4速ATに対し当時の10・15モード燃費は8%優れるなど、狙いどおりの素晴らしいメカニズムだった。

 しかし3L、V6ターボ+4速AT車に対し約50万円高い価格以上に、金属同士が摩擦しているデリケートな機構だけにオイル管理はシビアだった。

 新しい技術のためトラブルも少なくなく、修理費は100万円級と超高額なこともあり、Y34型セドリック&グロリア以外では11代目スカイラインの3.5L、V6に搭載されただけで姿を消した。

エクストロイドCVTはセドリック/グロリア以外では唯一スカイライン(V35)に搭載。スカイラインのエクストロイドCVTは日本初の8速マニュアルモード付きだった

 なおCVTのハイパワー対応はエクストロイドCVTの当事者の日産がエンジン横置きのFFベース車で250馬力級の3.5L、V6で実現したのに加え、スバルもチェーン駆動となるCVTで最高出力300馬力&最大トルク40.8kgmの2Lターボに対応。

 エクストロイドCVTは道半ばのまま完全に浮上のチャンスを失ってしまった。

ウイングターボ

初搭載車:初代レジェンド(1988年登場)

1988年のマイナーチェンジで2L、V6のウイングターボが追加された。エンジン型式はC20Aで190ps/24.6kgmと特別ハイパワーではないがレスポンス抜群

 日本の自動車税は昭和63年度(1989年3月)まで排気量2L以上に加え、ボディサイズも全長4700mm、全幅1700mm、全高2000mmの1つでも超えるいわゆる3ナンバー車になるだけで排気量2Lの5ナンバー車の倍額以上の8万1500円になるというものだった。

 そのためザックリ言うとマークII三兄弟以上の車格となる6気筒エンジン搭載車の主力グレードは排気量2Lにこだわることになり、本来なら排気量を上げて対応したいモアパワーの声に対してはターボやスーパーチャージャーといった過給機を使わざるを得なかった。

 しかし当時のターボ車はターボラグと呼ばれるアクセルを踏んでからパワーが出るまでのタイムラグが大きかった。

1985年にトヨタはマークII/クレスタ/チェイサーの3兄弟に2L、直6DOHCツインターボを登場させ当時の若者に大人気となった

 そこに2Lの6気筒という1気筒当たりの排気量が小さいため排ガスのパワーが弱いエンジンを組み合わせるとさらにターボラグが大きくなりがちで、特にAT車だとアクセルを踏んだ際のレスポンスや燃費の悪さなど、運転しやすいクルマと言えなかった。

 そのため各社ターボラグ対策のためターボチャージャーを軽くするためセラミックブレードの採用、ツインターボ化、空気の入り口の可変ノズル化といった対策を実施。

 1988年にマイナーチェンジされた初代レジェンドに追加されたウイングターボを使った2L、V6もそのひとつである。

 ウイングターボはターボラグ減少のためターボチャージャーのブレードの円周に4枚の固定ウイングと可変ウイングを加えたのが特徴だ。

 低回転域では可変ウイングを閉じ排気ガス流量が少ない低回転域でもターボチャージャーの作動を早めターボラグを減少させる、排気ガス流量が増える中回転域以降などでは可変ウイングを調整しながら開きパワーを出すというものだった。

 実際当時の2Lターボの水準となる最高出力190馬力&最大トルク24.6kgmというスペックを持ちながら、2000回転あたりからフルブーストがかかり乗用域では運転しやすく高回転域のパワーも十二分という、コンセプトどおりの「2Lターボで3L、NAの性能」を持つエンジンに仕上がっていた。

ウイングターボのタービンには『WING TURBO』の名前が入っている。ホンダ独自のターボ技術だったが、搭載されたのは初代レジェンドのみで終わってしまった

 しかし平成元年度(1989年)からは自動車税が500cc増えるごとに段階的に増額されるという公平性のある課税に変わったこともあり、3ナンバー車が買いやすくなった。

 そのためマークIIクラス以上のモデルは初めに書いたように2L以上の大排気量エンジンを搭載することへの抵抗がなくなった。

 さらにコストは2Lの6気筒+過給機より6気筒の大排気量NAのほうが大幅に安いこともあり、2Lの6気筒+過給機は必要性がなくなり、ウイングターボも短命に終わった。

 ただウイングターボは今でいう可変ジオメトリーターボの先駆けであり、ダウンサイジングターボが激増している現代においてその基礎を築いた功績は小さくない。

3ローターエンジン

初搭載車:ユーノスコスモ(1990年登場)

量産車として最初で最後の3ローターエンジン搭載車となったユーノスコスモ。販売台数は多くないが、確実にクルマ史に名を残す1台であることは間違いない

 ロータリーエンジンは世界でマツダだけが実用化した夢のエンジンだった。市販用ロータリーエンジンは昭和の時代までローターを2つつなげた2ローターターボが最大で、3ローターの市販化はマツダの夢でもあった。

 その3ローターエンジンを世界で初めて搭載したのが、当時のマツダのフラッグシップとして1990年に登場したラグジュアリークーペのユーノスコスモだ。

 3ローターエンジンは特にピストンエンジンのクランクシャフトにあたるエキセントリックシャフトの加工に高い技術が要求されるなど、技術レベルは非常に高く、文字どおりモーターのような静かさとスムースさを備えていた。

280psのメーカー自主規制さえなければ何馬力で登場していただろうか? 20BのスムーズなフィーリングはV12レシプロエンジンに匹敵すると言われていた

 ユーノスコスモの搭載された3ローターエンジンは、当時はパワーウォーズの真っただ中だったこともあり3ローター+ツインターボで280馬力を達成。

 しかしユーノスコスモの3ローターターボは大小2つのターボチャージャーを持ち低回転域では小さいほうを使いターボラグを減少させ、中回転域以降では2つのターボチャージャーを使いパワーを出すというシーケンシャルツインターボだった。

 しかしユーノスコスモはAT車のみだったこともありターボラグは隠しきれず、高級車らしかぬ乗用域でのギクシャク感に悩まされた。

 さらに当時はただでさえ燃費の悪かったロータリーエンジンを3ローター化し、そこにターボを加えただけに燃費は極悪で、「3ローターのユーノスコスモで全開加速をすると燃料計が下がるのが目に見える」という都市伝説のような話もまんざらではなかったようだ。

1991年のル・マン24時間レースで総合優勝した787Bは4ローターエンジンを搭載。エンジン型式はR26Bで、700psオーバーをマークしていた

 これが3ローターのターボではなくNAだったら2つの問題点はだいぶ違ったのかもしれない。

 しかし3ローターのNAだとしたら最高出力は3L、NA級の230馬力あたりと想像され、時代を考えるとインパクトが弱く、開発されなかったのもわからなくはない。

UM-4

初搭載車:ホンダZ(1998年登場)

SUVブームの現在なら大ヒット間違いなし、といったところだが、1998年にデビューしたZは時代を先取りし過ぎていたため単発で絶版になってしまった

 軽自動車の規格が現在のものになり軽自動車がほぼいっせいにフルモデルチェンジされた1998年、ホンダはUM-4と呼ぶ革新的なレイアウトを乗用車にSUV的な要素をミックスした、今でいうクロスオーバーとして復活したZに初採用した。

フロントにエンジンを搭載していないためロングキャビンを実現。全長3395mmの軽サイズながら前後に余裕のある室内は大きなセールスポイントだった

 UM-4は「アンダーフロア・ミッドシップ・4WD」の略で、具体的には後席下にエンジンを縦に置いたミッドシップベースの4WDである。

 UM-4は僅かながら荷物も積めるエンジンのないフロントノーズをクラッシャブルゾーンとして使えることで軽自動車ながら高い衝突安全性を持つことや室内長の長さによる広い室内の確保、ミッドシップレイアウトによるシャープなハンドリングといった特徴を持っていた。

 しかしその反面でUM-4はフロアの高さや汎用性の乏しさを含めたコストの高さ、劣悪な整備性といったデメリットのほうが目立つのもありZと軽1BOXカーのバモスにしか使われず、歴史を閉じてしまった。

UM-4を採用した軽1BOXのバモスは20年弱販売されたため、UM-4は短命とは言えないが、車種展開はZとバモスシリーズのみというのが寂しい

世界最小の1.6L、V6エンジン

初搭載車:三菱ランサー&ミラージュ(1991年登場)

1991年にデビューした4代目ランサーのトップグレードには世界最小の1.6L、V6DOHCが搭載され、ランサー6の名称で販売された

 バブル末期の1991年、マツダと三菱自動車は2L以下から2.5Lまでをカバーする新しいV6を開発し、世界最小のV6エンジンを競っていた。

 先行したのはマツダで、この年の5月登場のカジュアルなファストバッククーペとなるユーノスプレッソに1.8L、V6を搭載した。

 プレッソに続き三菱自動車はこの年の秋にフルモデルチェンジされたミラージュ&ランサーに1.6L、V6を搭載し、世界最小のV6の座を手にした。

小排気量V6エンジンの先鞭をつけたのがマツダのユーノスプレッソ。1.8L、V6はスムーズだったが、プレッソの人気がイマイチだったためにアピールできず



 ミラージュ&ランサーの1.6L、V6は確かにV6エンジンらしい静かさとスムースさは備えていた。

 しかしV6エンジンということに加え、このV6エンジンは2.5Lまでカバーするものだったため重量は重く、1気筒あたりの排気量が小さい上にマルチシリンダーは機械的な抵抗が多くなるという欠点もあり、低速トルクが稼げないなど燃費や絶対的な動力性能は同じ1.6Lの4気筒エンジンに見劣りした。

 さらにV6エンジンはシリンダー数だけでなくカムシャフトなども2ペア必要になるため当然ながらコストも高かった。

 小型車にV6エンジンを搭載するなら同じ年に登場したVWゴルフ3の2.8リッターV6のように素直に大排気量とすれば強力な動力性能と高い静粛性という「高級な機能を持つ小さな高級車」に仕立てる手もあったかもしれない。

三菱はエンジンに関して2つの量産車世界最小を持っている。世界最小の1.6L、V6と、ミニカダンガンで初登場した550ccの5バルブ(3G81)

 だがそもそもの目的が世界最小のV6エンジンだったこともありそれもできず、ミラージュ&ランサーの世界最小のV6エンジンは話題にこそなったものの存在意義が非常に薄かった。

 結局1995年にフルモデルチェンジされたミラージュ&ランサーで排気量を1.8Lに拡大したのを最後に、三菱自動車の世界最小のV6エンジンは絶版となった。

【画像ギャラリー】CVT/ターボ/ロータリー/ミドシップ/V6の量産車の日本初&世界初搭載車!!

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