メルセデス・ベンツにも「リヤエンジン」があった!
意外かもしれませんが、これは事実。と、言えば読者の皆さまは、あの有名なリヤエンジンのスポーツカーであるポルシェを生み出した「フェルディナンド・ポルシェ博士」が当時のダイムラー・ベンツ社に在籍したことを思い浮かばれるのではないか。そこで、メルセデス・ベンツの歴史上、とくに希少な「リヤエンジン」と、当時のダイムラー・ベンツ社で活躍した「フェルディナンド・ポルシェ博士」について紹介しよう。
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メルセデス・ベンツのリヤエンジンとは
当時のダイムラー・ベンツ社は1934年のベルリンモーターショーで突如、リヤエンジンを搭載した小型で可愛らしいモデル“130H”を発表した。ところで、この「H」の意味は? このHはドイツ語でHeckmotor(ヘック・モトール)のことを指し、日本語ではリヤエンジンの意味だ。
フェルディナンド・ポルシェ博士がダイムラー・ベンツ社に在籍していたのは1923年から1928年までだったが、じつはこのリヤエンジンの計画は1927年にすでに始まっていた。従って、まさにこのメルセデス・ベンツ130Hは、ポルシェ博士が設計したフォルクスワーゲン・ビートルの先祖と言える。
実際には1931年、このメルセデス・ベンツのリヤエンジンシリーズを完成させたのはハンス・ニーベル博士(ポルシェ博士の後継者)で、130H、150H、170Hの3モデル(前開きの2ドア)が生み出された。
この130Hは太い鋼管バックボーン・フレームのリヤアクスルより後方に、水冷直列1.3L4気筒エンジン(26ps)を搭載した後輪駆動車のレイアウトであり、ポルシェ博士の息の掛かった最後のメルセデス・ベンツだ。そして、ひとまわり大きな150Hと呼ばれる1.5L(55ps)のスポーツ・ロードスターも少量生産され、1935年には1.7Lの170H(38ps)へと発展した。セダンタイプのほかに、カブリオレも生産されている。
この170Hは、小型の130H同様太い鋼管バックボーン・フレームのリヤアクスルより後方に、水冷直列1.7L4気筒サイドバルブエンジンを搭載した後輪レイアウトを採用。サスペンションはフロントが横置き上下リーフスプリング、リヤがコイルスプリングであることがフォルクスワーゲン・ビートルと違う点だ(VWのエンジンは空冷水平対向4気筒、サスペンションは前後トーションバー)。
馬力は38psと少ないが、低回転で粘るトルキーなサイドバルブエンジンと、3速+オーバードライブのミッション付きの実用車である。室内は高めの4シーターで、材質やクッション、アームレストの位置や頼りになる「つり革」の質感など、贅沢な仕上げのアイテムとともに上質な乗り心地を味わえた。
しかし、1939年の同じ1.7Lエンジンをフロントに搭載した170V(Vornmotor=フロントエンジンの意味)が成功するに従って、このリヤエンジンの170Hは自然とラインドロップした。特筆は、このメルセデス・ベンツの希少なリヤエンジンの基本的なレイアウトがポルシェ博士により育てられ、結果1937年の国民車・フォルスワーゲン・ビートルとして実を結んだことである。
なるほど、こう見ると同じ設計台から生まれても2本の枝に分かれる運命にあったメルセデス・ベンツとフォルクスワーゲン両社とも、断固たる主張を貫く作品だったと言える。
ちなみに、筆者が1972年にヤナセの関係会社でメルセデス・ベンツの輸入元であったウエスタン自動車に入社した当時、上司の指示で3階駐車場の片隅に置いてあった奇妙な3ヘッドライトでリヤエンジンの170Hカブリオレ(1936年式)をはじめ、170SカブリオレB(1951年式)、500N(1931年式)の洗車や掃除を小まめにしていた(すべてオリジナルは黒色)。
その後、時代も変わりレストアを熱心に考えるオーナーが増え、クラシックメルセデスを直したいと、当時日本からドイツ本国に部品の問い合わせが年間1500件近くあったと言われている。そこで、メルセデス・ベンツミュージアムがフェルバッハで運営するクラシックセンター(1993年設立)から夢のようなオファーがあった。1993年にウエスタン自動車から社名変更した、ウエスタンコーポレーションが「メルセデス・ベンツ オールドタイマーセンター」の名称で正式にクラシックカーのレストアを開始した(横浜で1995年設立)。
このマイスター殿堂で厳選された熟練工による匠の技によって、リヤエンジンの170Hカブリオレも丁寧にレストアされて見事に蘇った(ボディカラーは小豆色)。とくに、この希少な170Hカブリオレはサイドのピラーや窓枠をも残してルーフの幌のみ簡単に開閉できる。
つまり、幌自身にはシャフトは無く、2本の横置き取り外し可能なシャフトで支えている。オープン時にはこのシャフトを取り外して幌と共に後方に畳み込み、トノカバーを被せるという趣向だ。
この3ヘッドライトの170Hカブリオレは1960年代に東京で発掘し、当時のウエスタン自動車が長期間に亘り保存し1985年に1200時間かけてフルレストアした作品。しかも、筆者の思いが詰め込まれた作品でもある。現在は2018年に新たに設立されたヤナセクラシックカーセンターの管理の元(横浜)、メルセデス・ベンツ唯一のリヤエンジンモデルとして各地の展示会で活躍している。
偉大な技術者「フェルディナンド・ポルシェ博士」
フェルディナンド・ポルシェ博士が造ったのはポルシェだけではない。事実、名車と言われるメルセデス・ベンツSシリーズはポルシェ博士の手によるものだ。またフランスの大衆車ルノー4CVも、ポルシェ博士が設計に参加。しかし、ポルシェ博士の神髄は先述のフォルクスワーゲンで実現されている。
ゴットリーブ・ダイムラーとカール・ベンツが「ガソリン・エンジン付自動車を発明した父」とすれば、ポルシェ博士は「クルマ造りの偉大な技術者」だと言える。彼の才能を知る多くの人々、そのなかでもロシアのスターリンやヒットラーがポルシェ博士に設計を依頼したのは事実だ。ポルシェ博士の生い立ちや非凡な才能を語るには、多くは要さない(1875年生まれ1951年没)。
しかし特筆すべきは、若きポルシェ博士が1898年にローナー社に主任技師として活躍したあとも、電気自動車の研究を続けていたことである。1900年、パリ万国博に「ローナー・ポルシェ電気自動車」を出品し、前輪駆動の電気自動車は一躍ポルシェの名を有名にした。
その後、電気とガソリンのハイブリッド車を開発し、そしてガソリン車を手がけたのである。現在では、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにするカーボンニュートラル、脱炭素に欠かせないクルマの電動化の革新技術を、ポルシェ博士はかなり昔から開発していたのだ。まさに、ポルシェ博士は画期的で先見性に富んだクルマ造りの偉大な技術者と言える。
ポルシェ博士もダイムラー・ベンツ社に在籍していた!
1906年30歳になったフェルディナンド・ポルシェは当時、シュツットガルトのダイムラー本社がオーストリアに造った子会社「アウストロ・ダイムラー社」の技師長として迎えられる。乗用車、レーシングカー、航空エンジンと彼の才能は大いに開花した。こうした業績で1916年にはウィーン工科大学から「名誉工学博士号」を贈られたのだ。
1923年には技術担当重役として、シュツットガルトのダイムラー本社に迎えられる。そして、新開発したのがメルセデスの2L4気筒スーパーチャージャー・レーシングカーだ。
このクルマはレースで上位を独占し、彼の名はさらに高まる。1924年7月4日にシュツットガルト工科大学からも「名誉工学博士号」を授与されている。1926年6月28日にダイムラー社とベンツ社が合併し、社名はダイムラー・ベンツ社になった。新会社の技術陣の顔ぶれは、ニーベル博士、ナリンガー博士、そして1923年ダイムラー本社に移ってきたポルシェ博士という豪華メンバーだ。
戦後、すぐ生産されたのはポルシェ博士が手がけたツーリングカー・シュツットガルト200、マンハイム350、ニュルブルクリンク460。一方、戦時中の航空機研究で秘かに開発が進められていた自動車用コンプレッサーエンジンは実用化され、一連のツーリング・スーパーバージョンへと確立された。
1926年にはすでに、直6SOHC6.2Lコンプレッサー付き24/100/160ps、通称Kヴァーゲンが造られた(このKはコンプレッサーのKではなく、Kurzes Fahrgestellのドイツ語で短いシャーシの意味)。続いて1927年からポルシェ博士の有名なSシリーズの生産が開始された。
このS(Sport)、SS(Super Sport)、SSK(Super Sport Kurz=短い意味)、SSKL(Super Sport Kurz Leichht=軽量の意味)と続くシリーズは各国の富豪に納められ、またレースでは1933年まで多数の優勝記録を残し名車中の名車と謳われている。
ところで、ポルシェ博士は長年の夢である独自の1Lエンジンを搭載した小型車生産の必要性をダイムラー・ベンツ社の重役陣達に説いたが、このアイディアはそれほど魅力を示されなかった。つまり、当時の重役陣は重厚なメルセデス・ベンツのスタイルからして小型車のイメージが思い浮かばなく、大型車に固執した。そして遂に、ポルシェ博士は当時のダイムラー・ベンツ社を辞め、彼独自のクルマ造りの道を歩むことにしたのだ。
独立した社名は名誉工学博士F・ポルシェ有限会社
フェルディナンド・ポルシェ博士は1930年、54歳で独立し設計事務所をシュツットガルトで開いた。その社名を「名誉工学博士F・ポルシェ有限会社」と商業登記。つまり、苦学者・ポルシェ博士はこの称号に生涯誇りにしていた。現在も、ポルシェ博士の「クルマ造りの職人気質」が、メルセデス・ベンツやフォルクスワーゲン、アウト・ウニオン(現アウディ)、そしてポルシェへと受け継がれている。
現在では言葉や動作ですべて自分の好みや学習をサポートする革新のインフォメーションシステムが主流となり、最適な移動を提供する「MaaS」でより豊かな生活が始まっている。その背景にはインターネットとつなぐコネクテッド(C)、自動運転(A)、シェアリング(S)、電動化(E)がある。
こうした時代こそ脱炭素の流れを踏まえ、偉大な先人たちが築いたその時代の最高の技術を基に、あらゆるメーカーはお互いに最高の革新技術を融合させトータルバランスのとれたモビリティ社会の安全設計哲学がもっとも重要だろう。
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みんなのコメント
やっつけ仕事してももう少しちゃんと書けよ。
デロリアンも、そうじゃなかったかな。