1980~2000年代にかけて話題を集めた個性的な日本車を小川フミオがセレクト。当時の思い出とともに振り返る。
いまでも、新車があれば乗ってみたいかも……と、思う“ネオ・クラシック”が日本にはいくつもある。コンセプトが他に類のないもので、趣味人のハートをくすぐるものだったり、スタイリングが個性的だったり、作り手の情熱を感じさせるものだったり……。
イタリアンSUVの快楽──新型アルファロメオ・ステルヴィオ・ヴェローチェ試乗記
歴史をほんの少し振り返るだけで、ヘンなクルマ、もとい、作り手の情熱を感じさせるクルマはけっこうな数みつかる。たとえば、「住宅は住む機械」としたスイスの建築家ル・コルビュジエが手がけた「ラ・ボワチュル・ミニミュム」(1936年)。英語だとミニマムカー、最小の自動車だ。
前に3人が横並びで座れて、その後ろに(昔の911のように)ひとりぶんのシートが横向きに備わっている。じしんが、フランスの高級スポーティカー、ボワザンのオーナーだったル・コルビュジエは、円弧を描くルーフラインをもった、個性的なピープルズカーを提案したのだった。
あいにく、カッコ悪いと評価され、かつ、1930年代のフランスでは大衆車の市場が育っていない、と、実現にはいたらず。それでも、のちにジョルジェット・ジュジャーロがフルスケールのモデルを製作するなど、いってみればクロウトには人気を博し続けた。
私はそのレプリカを、ロンドンのデザインミュージアムで観たことがある。木製で塗装がなかったせいか、あまりカッコよくなかった。でもウェブで3DのCADに彩色した画像をみると、”お、いいじゃん!”と、俄然魅力を感じるのだった。
なので、私の持論としては、自動車の評価は急いてはならない。時間に洗われ、環境の変化とともに育つうちに、かつては見えなかったよさが表に出てくることもある。そういうクルマをいまの眼で観ると、乗ってみたいと思うのだ。
(1)トヨタ「セラ」
トヨタ自動車が1990年に発売した「セラ」は、とにかく衝撃的だった。大きく湾曲させたガラスをはめこまれた「バタフライウイング」ドアを持つ2プラス2シーター。丸みを強く帯びたフロントノーズからリアへの破綻のない面の連続性が、まるで弾丸のような力強い美しさを持っているのだ。
企画の発端は、コンパクトでいて魅力的なスペシャルティカーを……というものだったとか。書くと簡単だけれど、デザイナーとしてはかなり難しいオーダーだったのでは? と、想像される。
実際にセラが世に出たとき、大きな反響を呼び起こした。一般のひともさることながら、世界中の自動車メーカーのデザイナーが、「よくやったなぁ!」と感心して、実現にこぎつけたスタッフに、大きなエールを送ったのだった。
セラのプロトタイプが発表された1987年の東京モーターショーの会場で、「いいねえl」というデザイナー声をさかんに耳にしたのを、私はよくおぼえている。ガラスを大きく湾曲させてドアにはめこんだ技術と、トンガったデザインを採用したマーケティングの英断が、高く評価されたのだ。
あいにく、シャシーが4代目の「スターレット」だったため、走りはいまひとつ。ガラス面積の多い900kg前後の、当時としては比較的重いボディに、110psの1496ccエンジンでは力不足は否めなかった。
理想的なコンパクトスペシャルティカーを作るには、デザインと同時に動力性能も重要なのだっった。135psのスターレットGTのエンジンだったらどうだったろう。
いままた、たとえば新型「アクア」とか、「RAV4」のプラグ・イン・ハイブリッドのような中身を使って、新時代に向けてのセラを作ってもらえないだろうか。一部は軽量ガラスでもいいだろうし。いまのトヨタの技術なら、すごいクルマが出来そうだ。
(2)トヨタ「ヴェロッサ」
アルファロメオが日本市場でもそれなりに人気を博している事実を横目に開発されたのではないか? と、思うクルマがトヨタ「ヴェロッサ」だ。
2001年に登場したときは、おもいっきりイタリアっぽいイメージが強調された。宣材のイメージカラーも真っ赤だった、と記憶している。とくに楯のようなグリルと、変形ヘッドランプ、それに前後のフェンダーのふくらみを強調した造型が印象に残っている。
「クレスタ」の後継車として位置づけられるモデルで、シャシーは「クラウン」や「マークII」と共用。ホイールベースは2780mmと、けっこう長い。ボディもじっさいは、かなり常識的。伸びやかなルーフラインと、大きく切った後席ドアの開口部など、そこはアルファロメオに届かなかった。届こうと思っていなかったかもしれないけれど。
ぜいたくだなあと思ったのは、エンジン。直列6気筒をベースに3種類も用意されていたのだ。トップモデルは280psの2.5リッターターボで、その下に直噴の2.5リッターと2.0リッターが用意されていた。
いまだったら、マセラティのように妖しい色気を感じさせるセダンなんていうマーケティングもあったかもしれない、と思う。インテリアは機能的で実直。どんな年齢層でも問題なくしっくりくるいっぽう、イタリアのプレミアムセダンのような、ぞくぞくくるような造型美や色づかいがなく、そこも残念だった。
結局、トヨタ販売チャネルの統廃合のあおりなどで、2004年に終了し、モデルライフは短かった。エラそうに言うわけではないものの、こういう新しい市場向けのクルマは、何回もモデルチェンジを繰り返して、熟成していかなくてはならないんじゃないか。
アルファロメオだって、「6C」を出したのは、1939年。それからせっせとセダンづくりにはげんできたわけだから。早すぎた幕引きが惜しかったなあというのが、ヴェロッサにまつわる感慨なのだ。
(3)日産「エスカルゴ」
日本の自動車市場において、もっともデザインに特化した商用バンが日産「エスカルゴ」だったかもしれない。1989年に「パイクカー」第2弾としてパオが発売されたのと軌を一にして、市場に投入された。
ひと目、しろうとがボール紙を使って作ったんじゃないの? と、思うようなシンプルな造型だ。とりわけプロファイルでみたときに、きれいな円弧を描くAピラーからルーフエンドにかけてのラインは大胆。ル・コルビュジエの「ラ・ボワチュル・ミニミュム」を思わせないでもなかった。
シンプルに見える造型でも、じつはプレスでボディパネルを作れないというほど凝ったもの。ボンネットは大きなカーブを使っていたため型が抜けず、職人が手で叩いて造型しているというのが、当時おおきな話題だった。それで2年間に約1万600台が販売されたのだから、職人さん、かなり疲れたと思う。お疲れさまでした。
ボディはおおきくいって2種類。ひとつはパネルバンで、前席の後方は大きなボディパネル。そこに店のロゴを入れると、かなり目を惹いた。もうひとつは、丸いリアクオーターウィンドウをはめこんだ仕様。キャンバストップボディも用意されていた。
シャシーは「パルサー」のバン。「マーチ」のものを使った「Be-1」や「パオ」とは異なる。たんにスタイルだけでなく、当初から商用を前提に開発されたのだ。
ただし荷室はホイールハウスの張り出しが大きかったりするなど、使い勝手はいまひとつ。1860mmもある全高を活かして、背の高いものを積めるのはよかった。
おもしろい発想の商用車にはなかなかお目にかかれないだけに、エスカルゴも2年といわず、もうすこし長い期間、生産してもらいたかったと思う。
(4)ホンダ「CR-Xデルソル」
パーソナルカーの究極ともいえるのが、ホンダ「CR-Xデルソル」だ。取り外し可能なルーフを持つ2シーターとして1992年に発売された。ポルシェ「911タルガ」というモデルが、同様の中央部分だけ外れるルーフを採用していたことからタルガトップともいわれるスタイルだ。
おどろいたのは、あのCR-Xがここまでコンセプトを変えたこと。1983年に全長3755mmの2プラス2(というかほとんど2人乗り)で登場した初代は、むかしのアバルトをどこか彷彿させるキビキビした走りのスポーティコンパクト。1987年の2代目も、初代のコンセプトを継承して、さらに磨きをかけたものだった。
この3代目が受け継いだデザインコンセプトといえば、2シーター(あるいは2+2シーター)の可能性の追求、だったと思う。標準モデルはルーフの中央部分を手で外して格納するいっぽう、電動格納式の仕様も用意されていた。
室内でスイッチを操作すると、トランクから格納ケースがせりあがり、そこにルーフ中央部分がスライドしていって収まる、というメカニズム。たぶん前例はないだろう。私はエレベーターにルーフを載せるようなイメージをもって、その動作状況を見守っていたものだ。
ボディ全長はほぼ4m、全幅もかぎりなく1.7mに近くなり、日本ではコンパクトと呼べるかどうかギリギリのサイズまで大きくなった。フロントノーズのデザインなどは、いかにも北米市場でウケそうなもので、時代とともにスポーティコンパクトの定義が変わるもんだなぁと思わせられた。
ホンダがすごいのは、過去に拘泥しないことだろう。そういえば、「シティ」も1986年の2代目では、初代のセリングポイントだったトールボーイスタイルから脱し、ワイド&ローのプロポーションになった。CR-Xも同様。デルソルで北米でも人気が出そうな、おおらかなセミオープン2シータースタイルへと脱皮したのだった。
なにはともあれ、後にも先にも、CR-Xデルソルに真正面からぶつかってくるデザインコンセプトは他社から登場しなかった。オリジナリティの高さを大事にしていたはずの、当時のホンダを象徴する1台といっていい。
(5)オートザム「AZ-1」
おもしろいクルマだったマツダ傘下のオートザム「AZ-1」。さきにホンダ「ビート」(1991年5月登場)とスズキ「カブチーノ」(1991年11月登場)があったため、マツダはミドシップでガルウィングドアという、独自のコンセプトを採用した。
ウェッジシェイプのボディ、強くスラントしたノーズ、そこに埋め込まれた個性的なデザインのヘッドランプ、小さなウィンドウ、ボディサイドのエアインテーク、と、いろいろ凝っている。
エンジンは、当時マツダが業務提携を結んでいたスズキの「アルトワークス」の657cc直列3気筒DOHCターボで、軽自動車の制限めいっぱいの64psを絞り出していた。狭い室内に身を落ち着けて、走り出すと、期待以上に元気がよくてびっくりした記憶がある(スズキも「キャラ」の名でAZ-1を販売した)。
ただ、デザイン言語が、どちらかというとミドルサイズから上のスポーツカーのもので、全長3295mmしかないAZ-1にはやや不釣り合い。つまり実車をみると、凝ってはいるものの、いまひとつ消化しきれていないように感じてしまった。
のちにマツダのスペシャル工房「M2」がボディ外板にもおおきく手を入れた「M2 1015」も登場。こちらはちょっと、世界ラリー選手権におけるグループBマシンのような雰囲気だった。つくるひとが遊べるクルマだったのだ。それを消費者もおもしろがっていたのは、1990年代初頭の余裕ある時代ゆえだろうか。
ガラス面積を大きくとっていて、ルームまでガラスにしたので、タイトな室内でも比較的空間の余裕を感じた。ただしガラスを増やすと重くなってしまう。ボディは合成樹脂製にしたものの、車重は720kgに抑えるのがやっとだった。それでも意外なことにビート(760kg)より軽かった。開発陣のがんばりだ。
なにはともあれ、けっこう根強いファンがいる軽規格のスポーツカー。いままたマツダのそれにぜひとも乗ってみたい、なんて希望を持っているひとも少なからずいるのではないだろうか。ロードスターはあるものの、だ。現代のAZ-1もぜひ! と、望みたい。
文・小川フミオ
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