「プロジェクトビッグワン」は個人のアイデアからスタートした
1991年第29回東京モーターショーに登場した「プロジェクトBIG-1」のコンセプトから生まれたホンダ CB1000SF(スーパーフォア)。
CB1300SFへとモデルチェンジした後も、現在に至るまで、日本を代表するビッグネイキッドとして人気を不動のものとしている。
【画像23点】超貴重CB1000SFの初期デザイン案!750ホライゾン、6気筒CBX、CB-1などに近いデザインもあった
「プロジェクトBIG-1」スタートに企画書や社命はなく、あったのは「直4のビッグマシンが欲しい」という個人的な想いだけだった──その想いに共鳴した仲間が集まり、自由で豪快なバイクづくりが行なわれた。シンプルで強力な事実がそこにあった。
CB1000SFの担当デザイナー岸 敏秋氏、プロデューサー的存在と言える中野耕二氏の言葉から、BIG-1(ビッグワン)の人気の秘訣を読み解いていく。
*当記事は2012年発売『PROJECT BIG-1 1992-2012 20th ANNIVERSARY』(八重洲出版)の記事を抜粋・再編集したものです。
CB1000SF誕生背景その1「CB-1の敗北」
バイク、と言えばCBだ。そのネーミングには夢のパフォーマンスがあり、ナナハンがあり、そしてホンダのバイクというイメージがある。それが、プロジェクトBIG-1に集まった開発スタッフたちの想いだった。
岸 敏秋氏は言う。
「自分にとって、バイクの原風景はホンダであり、憧れは直4のCB1100Rだった。でも、当時ホンダはV4が全盛で、自分の好きな直4のビッグバイクがなかった。そして、市場ではネイキッドという日本独自のバイク文化が盛り上がるなかで、カワサキやスズキのモンスターマシンを選ぶユーザーが多かった。そこが悔しかった」
ネイキッドブーム──1989年に巻き起こったこのムーブメントの火付け役は、この年3月にリリースされたCB-1であるはずだった。レーサーレプリカ全盛のなか、肩ヒジを張らずに気軽に乗れ、しかも峠ではレプリカを追い回せるスポーツ性を持つ自信作だった。
しかし、市場で人気を博し、ネイキッドブームを決定的なものにしたのは、直後に発売されたカワサキのゼファー400である。CB-1はその存在を評価される前に、ビジネスでゼファーに完敗した。
そして、後継機種のスタイリング担当となった岸は、CB-1の骨格にCB1100Rの燃料タンクを載せたスケッチを描いてみた。そのイメージはまさしくホンダのビッグバイクであり、後に名付けられた「プロジェクトBIG-1」が初めて姿を現わした瞬間だった。
■デザイナー岸 敏秋(きしとしあき)
1981年入社。本田技術研究所 二輪R&Dセンター アドバンスデザイン室 主任研究員。
大型スポーツバイクを中心に担当し、BROS、CBR1100XX、X4、RC45、VFR1200Fなどを手掛けてきた。変わったところではモンキーRのスタイリングも担当。また、CB1000SF、CB400SFの後には2代目 CB1300SF(SC54)を手掛けており、まさに「スーパーフォア」の生みの親といっても過言ではない 。
*写真、プロフィール、組織名は2012年取材当時のもの
CB1000SF誕生背景その2「ビッグバイクと言えばカワサキという声」
同じころ、CB-1のデザインを統括した中野耕二氏は、街なかでとあるバイクユーザーからこんな意見を聞いた。
「ビッグバイクといえばカワサキのイメージ。勇ましい感じで音もいい。ホンダにはバイクの選択肢は多いけど『250と400の会社』と感じる」
ビッグバイクといえば、もともとはナナハンで先鞭をつけたホンダのイメージではなかったのか?
しかし、中型クラスを核にしたレーサーレプリカでの優位性が、ビッグバイクにおけるホンダの存在感を希薄なものにしていたのだ。
ネイキッドブームとは別の、レーサーレプリカでの好評価に対する反作用は、「ビッグバイクのメーカーにあらず」という、ホンダのブランドイメージの偏向だったと言ってもいいだろう。「これが気付きの始まりだった」と中野は言う。
ビッグバイクの定義とは?そのイメージとは?「大きい」という意味をどう解釈するか?
ビッグバイクの開発をしてきたホンダ独自の「いろは」があるはずだ──構想室での検討が始まった。
まずはエンジンが要だ。
水冷エンジンが主流になった時代のなかで、海外向けスポーツツアラーのCBR1000Fがマイナーチェンジした。作業室でカウルが外されたCBR1000Fのエンジンを見たとき、そのプロポーションとボリューム感はもとより、カウルに隠れるため一切の装飾が排された機能美に、中野は感じ入った。
水冷、空冷などの仕様を超えて、あたかもエンジンそのものがこのプロジェクトのために存在しているように思えた。その瞬間が、まさにインスピレーションだった。
■中野耕二(なかのこうじ)
1972年入社。本田技術研究所 二輪R&Dセンター 主席研究員。
汎用機チームで耕運機のデザインを手掛けた後、 二輪チームに配属されCR125/250エルシノアを担当。1977年からアメリカ駐在となり、マーケティング調査を始めとして北米向けモデル全般を担当。
1986年に帰国し朝霞研究所でST1100、 CBR1000F、CBR1100XX、X4、CBR900RRなど大型モデルを中心にデザインを統括。1995年からは開発推進室長、商品企画室長を歴任。
*写真、プロフィール、組織名は2012年取材当時のもの
水面下でスタートした「プロジェクトビッグワン」
こうして中野と岸は、ホンダスポーツバイクの原点であるCBブランドのさらなる高みを目指すという責務を共有した。CBのフラッグシップ創出という意気に燃える岸のスケッチ。それを中野は冷静に見ることも忘れなかった。
「なんか硬い」、「威嚇するな」、「色気はないのか」、「マッチョなヤツが肩の力を抜いたときのゆとり、優しさ、包容力」が欲しい。
デザイナー岸とプロデューサー中野、クリエイター同士がイマジネーションを刺激しあうなかで、スタイリングイメージは膨らみ、そしてやがて収束していった。
スケッチを決めて、モデリング作業に入った。あえてデザイン室の入口そばの目立つところを選んだ。「水面下プロジェクトなのに、あえてデザイン室の一等地をもらった。モデルをできるだけ多くの開発者の目に触れさせて、社内の気運を盛り上げようという、妙な自信があった」と岸は言う。
エンジン、デザインの次はプロポーションの立体化だ。ジャッキアップしたエンジンに対し、前後タイヤを配置してみる。このときのホイールベースは1520mm 。当時のスポーツバイクではありえない大きな骨格だ。
フレームはアルミのフレキシブルパイプを使って形状を検討。それをエポキシ樹脂で固めて塗装を施した。フレームは、最初に置かれたエンジンと強い足を束ねるために、慎重にラインが吟味された。車体が後から、というのも異例の話だ。
次世代モデルの検討という大義名分はあるにせよ、なにしろラインアップ計画にないモデルを「白昼堂々」と好き勝手にやっている作業だった。
こうしてCB1000SFとなるクレイモデルが出来上がった。だが「一度は、そのクレイモデルで開発に終止符が打たれた」と岸は言う。
「プロジェクトビッグワン」初期段階のデザインスケッチ
最初に搭載を決めたCBR1000Fのエンジンに、どんなスタイリングを組み合わせるかという段階ではさまざまなアイデアが検討された。
CB-1に似たイメージのもの、CBX750ホライゾンに近いもの、あるいは6気筒のCBX1000風など、新旧のイメージがあるなかから選択されたのは、最も普遍的で、かつ安定感のあるスタイリングだったことがわかる。
同時に、こうして並べてみると、CB1000SFにおけるデザインの完成度の高さが認識できるだろう。
CB1000SFは会議で総スカンとなった
正式な開発へと移行するための可否を決定する会議で、CB1000SFは、同じくデザインのボトムアップ提案のCB750(RC42)とともに披露された。そして、ほぼ全員がCB750を推した。全世界での販売台数が予測できるからだ。
役員対象のお披露目会にもエントリーしたが、ある役員からは「何こんな物を出しているんだ?すぐに片づけろ!」とさえ言われた。 ボロ負けだった。「予算も場所もないままだった」と中野。
自分たちが確認する意味で、いろいろな場所にクレイモデルを置いて反応をうかがったが、内部評価はよかったし、噂を聞いて集まってきた野次馬は、やがて開発のコアメンバーになったほどだ。何が悪いのか?
日本市場を想定したモデルだったが、具体的な企画段階に入った時期に、ビッグバイクの主要マーケットである欧米にもCB1000SFは打診された。しかしそこでもポジティブな反応は得られなかった。
「いわく『ニューテクノロジーがない』『バイクとしてはナチュラルだが、それ以外に何もない』。背景がないものはセールスしにくく、日本国内のネイキッドブームのように『古典』は売りにならないという評価だった」と中野。
同時に「個人的には好きだが、商品としては……」と誰もが口にしたという。
しかし、そこにこそ潜在的な確信があったのかもしれない。バイクの持つ「普遍的な美」が 、「バイク好きの個人」の琴線に触れたのではないか?
「個人的には好きだが……」という前置きに、本音を突きつけられた人間の当惑を感じる。初めてまたがった開発リーダーの原 国隆(はら くにたか)は、そのオーラに「なんだ、こりゃ?すごいな」と感じたというし、体の大きなスタッフはクレイを見て「これだ!なんとかこの形で作りたい」と思ったという。
バイクには「力」や「自己存在」を増幅する期待があるのも事実だ。
技術の進化だけでは語れない、ビッグバイクの持つ普遍的な魅力。それが愚直なまでに具現化されたモデルに対する、バイク乗りとしての羨望や欲求による肯定と、メーカー社員としてのビジネスの責務=リスク排除の意識が同居し、葛藤する。
だが最後に「オレたちはこれを造って世に出したいんだ」という、作り手のむき出しの本音に、ビジネスを考える「大人の意識」は拒否反応を示したのではないか?
CB1000SFクレイモデル制作の過程
まずはエンジンとタイヤのレイアウトから決め、その後からフレーム形状を合わせて行なったという事実を明確に裏付ける、クレイモデル制作過程の写真(上から順に「完成形」へと進んでいく)。
サイレンサーが現実的な形状になったあたりで、燃料タンクなど外装パーツのシェイプも完成形に近づいている。
CB400SFの存在が起死回生となった
一度は否定されたCB1000SFを社内で浮上させたのは、すでに開発の進んでいたCB-1の後継機種であるCB400SFのデビュープロモーションで、CB1000SFのイメージをコンセプト訴求に利用しようというアイデアだった。
ゼファーのいる400クラスで新型モデルを国内で年間1万台売るには、強烈なイメージが必要だった。この場合、強烈=他を圧倒する迫力に満ちた存在感だ。
はたしてその結果、1991年の東京モーターショーに参考出品された1000ccの「プロジェクトBIG-1」は高い評価を得た。
岸は振り返る。
「自分の想いとお客様の想いは絶対に一緒だという一念だけで、ひたすら前に進んできたが、幕張での反応は自分の予想を超えるもので、涙が出るほどの感動を覚えた」
その反応が追い風になった。モーターショー以降、盛り上がる話題に当初ささやかれていたさまざまなリスクへの懸念の声は聞かれなくなり、ついに正式にラインアップに乗ることが決定した。CB1000SFの開発が正式にスタートしたのだった。
最終的にはデザイン先行モデルの姿を見ていた開発者の「こういうバイクが造りたかった」という想いと「こんなバイクを待っていた」という市場の想いが、水面下で大きな力となってCB1000SFを「地上」に押し上げたかたちとなった。
「自分がバイクに興味を持ったころは、ホンダには圧倒的に強いイメージがあった。特に欧州におけるプレゼンスは、その技術力を背景にして、完璧に市場をリードしていた。ホンダのバイクに対して、日本人としての誇りさえ投影して見ていた記憶がある。例えば、白/赤のカラーリングにしても、原点は60年代の四輪F1であり、CB1100R。言ってみれば日本を背負ったナショナルカラー。まさしく日本のホンダここにあり!です。CB1000SFでは、そういったシンプルだが自信にあふれた強いアイデンティティで勝負したかった」と岸は言う。
「妥協や虚飾のない形。トレンドではなく、普遍的なバイクのたたずまい。スポーツバイクとしての強靭な心臓と足。そして伝統的なディテールを持った、ホンダファンがしびれるようなバイク。そんなホンダのビッグバイクへの想いを形にしたかった」
そして、これらCB1000SFの本質は、多くの共感を得て後へと引き継がれていく──。
色付けされたCB1000SFの最終クレイモデル
サイドカバーが白である以外は、ほぼ完成車と変わらないスタイリングを見せる最終モックアップ。メインの車体色となる白/赤のツートーンカラーには、強いホンダと日本というイメージをシンボリックに表わしたかったという岸の想いが込められている。
レポート●関谷守正 写真●打田稔/ホンダ 編集●上野茂岐
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