もくじ
ー 40代でフォード社長に
ー ミニバン/小型車 クライスラーを救う
ー 自由の女神修復基金 糖尿病の啓蒙活動
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40代でフォード社長に
初代フォード・マスタングの生みの親として知られるリー・アイアコッカが、94歳でこの世を去った。
1924年にペンシルヴァニアで生まれたアイアコッカは、名門プリンストン大学で政治学と工学を学ぶ。第二次世界大戦を終わるとすぐ、フォードの開発部門に入社する。
同社でキャリア初期の成果を上げると、フォード部門の副社長兼ジェネラル・マネージャーに昇進。乗用車とトラック部門を率いる副社長や上級副社長を経て、1970年には最終的にフォードの社長に就任する。
アイアコッカは、フォードで多くの成功を収めたモデルのコンセプトに関わった。だが、1964年に発表された初代マスタングで、彼は20世紀の最も影響力があるエンジニアの1人という評価を固めた。
協業を重視する彼の革新的な経営手法に対する評価では、アイアコッカの次のような言葉が引用される。「わたしは自分より有能な人物を雇い、その邪魔をしない」。
この精神で、1978年にアイアコッカはフォードに20億ドルもの利益をもたらした。しかし、ヘンリー・フォード2世会長との絶え間ない対立から、同年にフォードを解雇される。すると彼はすぐに経営難に陥っていたクライスラーに移籍。当時のクライスラーは欧州部門をプジョーに売却して損失を埋めるような状況だった。
ミニバン/小型車 クライスラーを救う
クライスラーでアイアコッカは、実質的なミニバンの生みの親ともなった。背が高く、車内が広く、家族みんなで乗れるクルマが日本で非常に人気が高いことから着想を得て、ダッジ・キャラバンとプリマス・ボイジャーを作り出したのだ。
この2台は親会社のクライスラーに大きな収益をもたらした。それによって同社は倒産の危機を脱することになる。
アイアコッカはまた、クライスラーの「Kカー」と呼ばれる経済的でコンパクトな小型車ラインも手掛けた。これは以前フォードで却下された設計案をベースにしたものだった。これらのクルマは非常に多く台数が売れたため、クライスラーは今も傘下に収めるAMCやジープの買収が可能になった。
クライスラーで社長、CEO、会長として影響力の高い役割を果たした彼は、大衆に向けたブランドの顔となった。よく引用される彼の言葉に、「もっと良いクルマを見つけたら、買い換えるべきだ」というものがある。これは同社のクルマが高い価値、信頼性、経済性を備えるという宣伝に一役買った。
自由の女神修復基金 糖尿病の啓蒙活動
表向きは1992年に引退したものの、2005年以降にアイアコッカはクライスラーの宣伝に登場。有名ラッパーのスヌープ・ドッグやザ・マペッツと共に同ブランドをアピールした。
自動車業界以外では、1982年にニューヨークの自由の女神像を修復する基金の代表を務めたこともある。また、1983年に糖尿病で妻のメアリーを亡くしたことから、糖尿病の早期発見を促す活動も行っていた。
アイアコッカは7月2日、パーキンソン病による合併症のため、二人の娘を残し、ロサンゼルスの自宅で死去した。
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