その「転ばぬ先の杖」にどれだけ助けられることか
名古屋の「チンクエチェント博物館」が所有するターコイズブルーのフィアット「500L」(1970年式)を、自動車ライターの嶋田智之氏が日々のアシとして長期レポートする「週刊チンクエチェント」。第13 回は「普通のクルマ屋さんとは違う博物館のサポート体制」をお届けします。
「チンクエチェント博物館」が日本にフィアット500を上陸させはじめた理由とは【週刊チンクエチェントVol.12】
手元にクルマがなくてもなごむチンクエチェント
チンクエチェント博物館で朽ち果てる寸前の車両写真を見せてもらってから数日間は仕事に忙殺されて、動きらしいものは何もなし。ときどき息抜きのために、かつて「ティーポ」の編集者時代に何かに使えるかもとヨーロッパへ行くたびに道端で撮ってたクルマの街角スナップ群からチンクエチェントだけ集めておいたフォルダを開いて、眺めたりしてたくらいだ。公私合わせて年に10回以上はヨーロッパに飛んでた時期があって、その目的地は大抵がイタリアとフランス。当時のイタリアとフランスでは路上にポテッと落ちてるチンクエチェントを見かけることが多くて、好きな人が多そうだしな、という程度の気持ちでカメラやスマホを構えてたのだ。
深津さんが電話をくれたのも、ちょうどそんな休憩時間だった。前後をクルマに挟まれてどう見ても路駐から抜け出せないヤツ、薄汚れたままフツーにアシとして使われてるみたいなヤツ、ローマの郊外とはとても思えない山の上の方でカサカサになって乗られてるヤツ、シチリアの名前も知らない村の路肩に無造作に置かれてるヤツ、黄色いヘッドランプと接触対策の自家製(?)バンパーがいかにもパリっぽいヤツ、いろんなところが微妙に凹んでたり錆びてたりするヤツ……。シロート写真ばかりでちっとも美しくはないのだけど、何だかなごむんだよな、なんて思ってたのだった。
「チンクエチェントにナンバーがついて、博物館に戻ってきましたよ。さっき動作確認のためにまわりを1周してみたんですけど、調子はよさそうです。特にエンジンは抜群にいいですね。ノーマルの500ccとは思えないくらい力強いですよ」
僕の気持ちは一瞬で、一点の曇りもない青空みたいな感じになった。まるでコドモ。われながらキャッシュな男だとは思うけど、そういう知らせを聞いて何も感じないのはクルマ好きじゃないでしょ、とも思う。
そっかー。このクルマを組んだアルド・グラッサーノさんは、アバルトのヒストリック・レーシングカーとかを得意とするメカニックさん。アルドさんの組んだエンジンは特別なことをしてないはずなのに速い、というのを聞いたこともある。
「これから少しの間、伊藤さんと僕が乗れるときに乗って、様子を見ておきますね。ニワさんのところがあいたらすぐにPDIに入れるので、予定どおり4月の嶋田さんのタイミングのいいときに納車できると思いますよ」
ニワさんとは、岐阜県可児市のベーシック・ベーネ・ニワの社長、丹羽さんのことだ。ベーシック・ベネ・ニワは、フィアット500を軸にすえたスペシャルショップ。 「ティーポ」時代に取材でお世話になったことがある。オープンしてから20年以上が経ち、今では日本有数のスペシャリストのひとつに数えられてもいるのだ。ニワさんにはしばらくお会いしてないから会いたいと思ったのだけど、どうやら予定が詰まっちゃってて無理か……。
そしてPDIとは、いうまでもなくPre Delivery Inspection、つまり納車前点検のことだ。
心強いプロフェッショナルが対応してくれる
チンクエチェント博物館は、これまでお伝えしてきたとおり、基本はイタリアで使われていたチンクエチェントを買い付け、イタリアのチンクエチェントのスペシャリストのところでレストアもしくはセミレストアといえるようなリペア/オーバーホールなどの作業を施して、日本へ入れている。が、そもそもイタリアと日本のレストアというものに対する概念が違っていたり、ビジネスの慣習が違っていたりで、伊藤代表や深津館長の求めているクオリティに少し届いていないところのある個体というのも出てくるわけだ。
なので、伊藤さんと深津さんが日本に上陸したクルマをまずは細かくチェックして、手を入れ直すべきところは日本のスペシャリストたちに依頼してしっかり手を入れ直す。洗いのプロ、というかほとんどディテーリング作業のプロといえる方々に依頼して、細かな部分にまでこだわって内外装を仕上げる。里親さん(?)が決まったら、PDI作業で再度すべてをチェックして、可能な限りいい状態にするためのメンテナンスも施す。その3つの工程を経て、クルマを里親さんのところへ納める、というかたちだ。
そしてほかのクルマ屋さんと異なるのは、販売やアフターメンテナンスのネットワークを構築していること。展示・販売やアフターメンテナンスに対応する「クラシケ・ディーラー」、そしてアフターメンテナンスなどを担ってくれる「クラシケ・サービス」というかたちで、数多くのパートナーと協力し合いながらチンクエチェントと暮らしたい人をサポートする体制が整っているのである。
●クラシケ・ディーラー
ガレーヂ伊太利屋(東京都江東区有明)
フィアット岐阜(岐阜県岐阜市)
フィアット京都(京都府京都市)
●クラシケ・サービス
ロッソカーズ(山形県鶴岡市)
トゥルッコ川口(埼玉県川口市)
トライ フォー ポイント(静岡県伊豆の国市)
スティルベーシック(静岡県静岡市)
アクト オート サロン (愛知県蒲郡市)
トゥルッコ名古屋(愛知県名古屋市)
ガレージ プレアデス(愛知県名古屋市)
ベーシック ベーネ ニワ(岐阜県可児市)
レッドポイント(岐阜県各務原市)
オートマイスター(大阪府大阪市)
カーショップ トリミ(佐賀県三養基郡みやき町)
──と、このあたりはチンクエチェント博物館のWeb Siteにも名前がちゃんと記されていて、いずれもその筋では著名だし信頼のおけるスペシャリストばかりだ。が、実はほかにも表に出していないサポーターというのが存在していて、それはスーパーフォーミュラやスーパー耐久レースなどをやってるレース・ガレージ、全日本ラリー選手権のマシンを仕上げたりメンテナンスしたりするラリーのエキスパート、日本有数といえるコレクターの新旧スーパーカーを手掛けるプロフェッショナル、旧車のスペシャリストなどなど、かなり多彩。もちろん博物館にも専属メカニックがいたりもする。
つまり、例えば仮に出先でクルマがトラブルに遭ったとしても、博物館に相談の連絡をすればそれぞれのスペシャリストに話をつないでもらえ、然るべき対応をそちらにお願いすることができる、というわけだ。これって古いクルマのユーザーにとっては、かなりの安心材料になると思う。
今になってみれば、この体制が本当に安心材料になってるしあれこれ助けていただいてもいて、ありがたみが身に沁みてるわけだけど、このときはそんなことは想像もしておらず、だった。また例によってしばらく雑談した後、そこから先の予定をちょっと相談して電話は終わったのだが……。
ちょっと気になるプチトラブル発生
それから10日少々して、深津さんがまた連絡をくれた。ニワさんのところでのPDIが終わってクルマが博物館に戻り、引き渡し日程の相談のためだった。
「ゆうべ、JAFのお世話になっちゃったんですよ。夜に自宅から近くのコンビニまで走っていって、止まっちゃったんです。いや、本当に家の近くだから何も持ってなかったし暗くて何も見えなかったんで、手の打ちようがなくて。まぁちょっとしたところが外れちゃってただけで、たいしたことはなかったんですけどね」
実は深津さん、僕がクルマを受け取ったらその日に300km以上の距離を走って東京に戻ることになるため、念のためにそれまでの間はなるべくチンクエチェントを走らせてチェックをしようと買って出てくれてたのだ。日によっては80km以上も走ることになるわけで、PDIの前後のテスト走行のときには見えてこないものが見えてくる可能性もある。おそらく2気筒エンジンの振動で何かがゆるんで、最終的にはそこが外れたのかな? 僕はそんなふうに思ってた。
「まぁ今は走れてますけど、距離を走ってるうちにちょっとだけ気になったことがあるんですよ。嶋田さんなら乗ってみればすぐに気づくと思います。だから、またニワさんに視てもらおうと思ってて、嶋田さん、車を引き渡す日に一緒にニワさんのところに行きません?」
もちろん! 望むところ、だ。その予定日は2021年4月9日。前日に名古屋で取材があるから、僕は取材チームと夜に現地で別れてホテルに泊まることにしていた。翌朝、寝坊をしないで早めに博物館に行けばいいだけの話である。
ターコイズブルーを初めて走らせる日。何だかすごく楽しみなような、何だかちょっと怖いような……。
■協力:チンクエチェント博物館
■「週刊チンクエチェント」連載記事一覧はこちら
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