オペル のみんなの質問

解決済み
回答数:
4
4
閲覧数:
1,014
0

オペルはドイツの大衆車ですが、日本でフォルクスワーゲンのように売れなかったのはなぜですか?

「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の「自動車」カテゴリとデータを共有しています。

ベストアンサーに選ばれた回答

むしろ、日本で大衆車のフォルクスワーゲンがあれだけ売れて(た)のが例外ですよね。他の大衆車メーカーは、オペルも含めて全然売れてないわけで。オペルだけが特殊ではありません。

なぜVWが日本で売れたかを書くと長くなるのですが、一例をあげればVolkswagen(=フォルクスヴァーグン)をフォルクスワーゲン、と読ませたあたり、さすがと思います。

その他の回答 (3件)

  • やはりイメージでしょうね。
    VWはビートルやゴルフ、ベンツとBMWは高級車。
    アウディはそれらドイツ車が築いた「ドイツ車」というイメージがあります。
    オペルはドイツ車といえば金持ちの時代でしたし、車自体も高級と言うほどではありません。
    それならクラウン買うよね、といった感じです。
    イメージや感情というのは非常に重要なんですよ。

  • おおまかに言って理由は三つあります。

    ひとつはやはり長期に渡ってGMの、そして現在はプジョー・シトロエンの傘下にあるために、純粋なドイツの企業とは言えないということです。日本での輸入車はイメージ商品であり、ユーザーは"(自分たちの考える)その国らしさ"を車に求めるので、外資系のオペルやフォードは純粋なドイツ企業であるダイムラー(smart)、BMW、VW(アウディ、ポルシェ)よりも不純で格下のイメージを持たれてしまいます。あんなのはドイツで造っているだけでドイツ車でもなんでもない、という。ただ、こういう誤解は徐々に解けていきました。

    二つ目は販売網が跪弱だったということです。日本で最も強力な輸入車の販売網を持つのはヤナセです。全国の各都道府県にくまなくディーラーを持ち、しかもそれを半世紀以上に渡って維持し続けている輸入車ディーラーはヤナセしかありません。

    オペルは長年東邦モーターズという会社が輸入をしていました。東邦モーターズも老舗のしっかりした所でしたが、ヤナセほど強力な販売網を構築できていたわけではなく、特に地方に行くと歯抜け状態でした。車を買おうと思っても、隣の県やそのまた隣の県まで行かないといけなかったのです。当時のオペルのユーザーの中心は、若い頃にドイツに留学していたお医者さんでした。後に東邦に代わっていすゞが扱ったりもしましたが、ジェミニとかと価格帯がかけ離れていてだめでした。

    しかし、90年代の前半に転機が訪れます。ヤナセのボスの梁瀬次郎さんがVWのハーン会長と衝突し、急転直下ヤナセはVWとの契約を打ち切ってオペルに鞍替えするのです。最初こそ苦戦したものの、児玉さんという日本人がデザインを手掛けた小型車ヴィータ(画像)が当たり、オペルはじわじわと売れはじめます。いつの間にかヴィータをはじめとするオペル車は普通に街で見かける存在になっていました。

    しかし、そこでしゃしゃり出てきたのがアメリカのGM本社です。彼等はヤナセから輸入権を取り上げ、日本市場を自分達で仕切ろうとしました。そして日本では小型のミニバンが受けているからと、ヴィータの販売を打ち切って同じサイズのミニバンであるメリーバに変えてしまったのです。

    加えてオペル車全体がそれまでのカジュアルで可愛らしい路線を捨て、重厚でゴージャスなデザインに方向転換していきます。まだまだ当時はオペル=ヴィータという状況でしたから、各地のディーラーは売る商品を失い、オペルに対するやる気を失っていきました。GMはうわべだけのマーケティングで、自ら日本におけるオペルに致命傷を与えてしまったのです。これが三番目の理由である、本社の不用意な介入です。

    以上のような理由、そしてGMの「グローバルに展開するブランドはシボレーとキャディラックのみ。あとは地域限定」という方針のもとにオペルは日本から撤退しました。車自体が悪いわけではないのですが、それ以外の部分で悪い条件が裏目裏目に重なってしまった、ということですね。


    VWが日本で売れた理由は、まずVW自身がアメリカでのブランド構築に成功したこと。伝説的な一連の新聞広告をはじめ、ドイツ車のいなたいイメージを捨ててアメリカ、特にカリフォルニアの車というキャラクターを手に入れた。こんな外国車は他にありません。

    逆にオペル/ボクスホールやフォードは外資系であるにもかかわらず、むしろアメリカ車の縮小版であればあるほどにヨーロッパ車本来の地味で素朴な空気をまとってきた(そもそも、"派手!無駄!ワル!"というステレオタイプな"アメ車"観自体がもう偏見の塊でおかしいんですが)。この差は大きいと思います。

    そして梁瀬次郎さんが自身のライフワークとして日本での販売を行ったことでしょうね。GMやメルセデス・ベンツは戦前の三井の自動車部時代から扱っていた車ですけど、VWは戦後まもなく梁瀬次郎さんが自らドイツに行って、戦時中の爆撃で瓦礫の山だった頃のウォルフスブルグで契約を結んだので。VWの経営陣とも家族同然の付き合いだったんだそうで、他とは思い入れが違ったんだと思います。"この焼け野原から…"ということですね。

    それだけに、VWとヤナセが90年代に決別することになったのは大きいと思いますよ。日本の輸入車史上最大のターニングポイントだと思います。

    回答の画像
  • 見た目が野暮ったいのと故障が多かったのとブランドイメージを構築できなかったのが原因。とにかく日本で外車を売るにはブランドイメージが一番重要。どんなに中身が良くてもブランドイメージが無い車は売れない。(例フォード)

「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の
「自動車」カテゴリとデータを共有しています。

あわせて知りたい

査定を依頼する

メーカー
モデル
年式
走行距離

ログイン

中古車探しをもっと便利に

  • 中古車お気に入り管理
  • おすすめ中古車の表示

オペルのみんなの質問ランキング

あなたにおすすめのサービス

メーカー
モデル
年式
走行距離