いすゞ のみんなの質問

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昭和の初め頃、昭和10年ごろのトラックのビデオを見ました。

ニューギニア方面の飛行場を整備している日本軍でしたが、今の10トンダンプに近いものが作業していました。この当時の日本ではこれらを製造できる技術があったのでしょうか。
今の、日野、いすゞや三菱扶桑などの前身があったのでしょうか。ちなみにそのビデオを見ると運転席が左でした。するとこれらのトラックは海外から輸入されたものでしょうか。

補足

下記のYOUTUBEの4分53秒くらいにダンプが出てきます。後輪2軸の車両です。 ニューギニアと紹介されていました https://www.youtube.com/watch?v=ZhmUG8yw7Jg&t=468s&ab_channel=%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%82%89E.Shannon

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回答一覧 (3件)

  • 昭和10年は 支那事変勃発前で ニューギニア方面での飛行場設営等は 行われてませんし 飛行場設営では トラクターや路盤整地のローラーが使われた程度で ダンプカーを運用したのは やや疑問です。
    (先の大戦で占領した 東南アジアの鉱山や 機械化を進めた満州での土木工事の動画ですかね? 或いは 占領地で鹵獲した車両だったかも知れません)
    大正時代から 大河川改修などで ダンプカーも輸入されてますが、当時の土木工事では 線路を敷設して トロッコ輸送が主で、その他にダンプカーも輸入がメインで 日産が昭和12年に発売を始めた80型のダンプ仕様で3.5t積み いすゞが昭和18年に開発したダンプで ようやく20t積みの物がありますね。

  • 戦前は北米からの輸入車が多いです。
    日本製トラックはパワーがないのとこわれやすいので
    兵士の評判が良くなく、開戦劈頭のフィリピンで鹵獲した
    ダッジやシボレーの方が人気ありました。

  • 昭和10年ですといすゞの前身の会社などはありトラックは製造していました。
    ニューギニアの飛行場建設となりますとたぶん昭和17年頃ですね。
    ただ10トントラックと言うとちょっと作っていなかったと考えます。

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