もくじ
ー ニック・ロジャースという男
ー ロジャースがトップになるまで
ー 熱く語るトップ就任後の3年間
ー エンジニアとデザイナーのやりとり
ー 番外編 ロジャースが強く意識する3台
セレブ御用達 モデナのカスタム会社「アレス」訪問 人気の理由なぜ
ニック・ロジャースという男
ニック・ロジャースのオフィスはピカデリー・サーカスみたいだ。今日はジャガー・ランドローバー・グループ技術開発部長としての彼の精力的な仕事について、通常のインタビュー形式で真面目な話をする予定だったのだが、周りには大勢のひとがいるのだ。
JLRの若いエンジニア、トーマスとアザムは上司のそばについて勉強中。社内広報のハリエットは技術開発項目の社内ニュース・シートについて説明してくれた。あとはコーヒーの用意に忙しい秘書、AUTOCARのカメラマンのスタン、それにロジャースとわたしだ。
これが、50を過ぎてなお行動も言動も若々しいロジャースの仕事の流儀である。仕事で重要なのは個人的なコンタクトであると彼は考えている。挨拶、笑顔、激励、打ち解けた冗談。それに、技術開発すべてに対する抑えられない情熱である。
実際、「わたしにはオフィスはありません」と彼が言うように、この部屋を彼のオフィスと呼ぶのは相応しくない。しかし彼はこの部屋でいつも打ち合わせを行っている。
ここにたどり着くには「Gデッキ(あるいはGDEC:ゲイドン・デザイン・エンジニアリング・センター)」と呼ばれる巨大なビルの中を数百メートルも歩かなければならない。多くのデスクとスクリーンとエンジニアが詰め込まれたビルだ。BMWによる建設当初から巨大で野心的なビルだったが、今ではゲイドン・トライアングルと呼ばれる巨大な再開発プロジェクトの中のひとつのビルにすっかり生まれ変わっている。
この新しいGDECの機能は1万2000人を擁するJLRの技術開発部隊を収容することだ。3年前にロジャースがBMWのトップ・エンジニアだったヴォルフガング・ツィーバートの跡を引き継いでから3000人が増強された。
以来、ロジャースはすべてのクルマの研究開発も受け持っている。30年前の見習い社員も大した出世をしたものである。
ロジャースがトップになるまで
ロジャースはオックスフォード近くの酪農農場で生まれ育ち、10歳のとき家族のシリーズ2ランディで運転を覚えた。乾草の俵の上に座り二本足でクラッチを踏みつけて。
彼はいつも機械の仕組みに興味があった(「物を分解したり組み立て直したりしていました」)。16歳のとき、(1980年代初め頃には最先端の分野だった)電子工学専門の技術見習いとしてブリティッシュ・レイランド(BL)の入社試験を受けた。
首尾よく選考されたものの次の色盲試験で落っこちてしまった。「配線を間違えては困るというのです。落ち込みましたよ」
しかし翌朝、BLから別の電話があった。「ボディ・エンジニアとしてなら見込みがあるというんです。ボディ・エンジニアなんて知りませんでしたが、試験を受けたら採用されました」
4年間の技術見習いを無事終了して工学の学位を取得し、次は博士号である。若いロジャースはボディ・エンジニアとしてCAE(コンピュータ・エイデッド・エンジニアリング)を勉強し、次にNVH(ノイズ、バイブレーション、ハーシュネス)部門へ移り、さらに安全工学へと続く。
「基礎をみっちりと勉強しました」と彼は言う。ある時はローバー・ミニ・コンバーチブルの担当となり、またある時はホンダとの共同プロジェクトで働き、オースチン・モンテゴの奇妙な「話すダッシュボード」を従来のものに置き換え、そしてローバー200のBMWによる再生産にもかかわった。
その他の特記事項としては、初代フリーランダーとミュンヘンで18カ月を過ごした初代BMWミニの仕事がある。そしてソリハルのすべての製造ラインの管理という大きな仕事もこなした。
「特にキャリア・プランはなかったんですよ」と彼は言う。「与えられた仕事をこなしただけです」
ロジャースがトップになってから怒涛のような3年間が過ぎた。
熱く語るトップ就任後の3年間
トップ就任後の3年間について、彼は顔を紅潮させながら並べ立てる。
ジャガーXFのモデルチェンジ、ジャガーF-PACE、ランドローバー・ディスカバリー、レンジローバー・ヴェラール、ジャガーI-PACE、ジャガーE-PACEの新車開発、新しい多車種用インフォテインメント・システムの開発、その他数多くのモデルの2018年フェイスリフト。
そしてこれらのトップに来るのがウォールバーハントン発のインジニウム・エンジンの継続的な多車種展開である。JLRの技術開発部門がもっと広い場所を必要としているのは間違いない。
これだけの規模に成長してもなお、ジャガー・ランドローバーはライバルたちよりも機敏に動けるとロジャースは信じている。即断力と市場への敏速な対応だ。
「われわれはまだファミリー企業だと思っています」とロジャースは言う。「皆と同様、言葉の最も強い意味で物事をより速く進めようと日々悪戦苦闘しています。でも、われわれの決断は早いし、組織はとてもフラットなんですよ。ラルフ・スペッツ(JLRのCEO)はそう固く信じています。われわれ7人は隔週の月曜日ごとに集まって主要な課題を話し合い、その場で即決するよう心がけています」
何事も実証してみること。ロジャースの技術開発に対する情熱はいささかも変わらない。新築のビルを見下ろす彼の「打ち合わせオフィス」の窓台には、その証拠が展示されている。
革新的な新型I-PACEに使われる電動モーター(自社で設計開発するのに熱心である)、冷却補器類、それに高そうに見えるアルミ製の電子制御ボックスなどだ。
中でも目を引くのが(研修生のひとりが見つけたのだが)新型電動I-PACEのサスペンション・サブフレームである。スーパーフォーミングで作られた世界初の構造で、製造が大幅に簡易化される。われわれはこれらの複雑な部品をじっくりと手に持ち、その姿かたちを堪能した。
次は技術開発の難しさ、技術開発への挑戦について話し合う時間だ。ロジャースはユーモアを交えながら困難はたくさんあると認める。この会社のように大きな技術開発部門のトップは、彼のように楽天家でなければならない。
スペッツとラタン・タタ(JLRの親会社であるタタ・グループの当時の会長)がロジャースを技術開発トップに指名した理由である。彼は過去に何度か難局に直面している。
一度は、エクスプローラーを短くしても次期ランドローバーにはならないと、米国に行ってフォード(当時のJLRの親会社)に説明してこいと言われた時だ。もう一回は、欧州の主要鉄鋼メーカー(タタのことだ)に今後のJLRのクルマはアルミ製にすべきであると説明した時である。
エンジニアとデザイナーがどのようにやり取りをするのか、わたしはとても興味があった。
エンジニアとデザイナーのやりとり
エンジニアとデザイナーのやりとりに興味があったのは、現代では多くの場合デザイナーの発言力の方が強いからだ。
「彼らにはわれわれが必要なんですよ」とロジャースはざっくばらんに話してくれた。もっとも重要なことはJLRのフラットな組織における関係性であると念押しして。
「ゲリー・マクガバーンとイアン・カラムは古くからの知り合いです。ふたりの性格はとても違うし、それぞれ別々にチームを率いていますが、われわれは上手くやっていますよ。時には感情的になることもありますが、それはとても健全なことです」
ディーゼル需要の突然の減少は、自らディーゼル・エンジンを製造している会社には頭痛の種だと思うが、JLRはガソリン・エンジンも製造していることを幸いに思っているに違いない。
「ディーゼルに対する認識が2、30年も戻ってしまったようで残念です」とロジャースは言う。「現代のエンジンは信じられないほどクリーンなんですよ。われわれには運がなかったということです。われわれはエンジンをいつもファミリーとして開発してきました。ガソリン・バージョンとディーゼル・バージョンは同じ流れです。われわれはいつもどちらがいいのか、話し合ってきました。でも世界的にはつねに両方とも重要だと思っていて、ある地域で急な変化が起こるとは予想していませんでした」
わたしのもうひとつの懸念は、こらからの独創的なクルマの開発についてである。JLRは従来モデル群の隙間を急速に埋めつつあるので、レンジローバー・イヴォークのような独創的なクルマ-まったく想定外の成功だった-はもう出てこないのではないかとわたしは心配なのだ。ロジャースはそんな心配などしていない。
「独創的なイヴォークの後もたくさんのことをやってきましたよ。ジャガー初のSUVであるジャガーF-PACEを例に挙げましょうか。それにI-PACE。まったくのサプライズです。今後も今までと全然違った独創的なクルマを出していきますよ、絶対にね。約束します」
そういうと彼は棚のところに行って、いまはもう走っていないカッコいいランドローバー90クラシックのミニチュアを取り上げ、わたしの前に置いてこう言った。「こいつをもう一度やらないといけませんね」同意せざるを得ないではないか。
番外編 ロジャースが強く意識する3台
ニック・ロジャースはオークションでミニ・コンバーチブルを買ったばかりだ。あるとても特別な理由で。
このクルマが開発中だった1990年代の初め、ロジャースがBLの新進気鋭のエンジニアだったころ、彼は通称「トロイ・プロジェクト」のボディ・エンジニアリングの担当になった。
彼は言う「わたしはボディ・エンジニアにはなりたくなかったんです。でも、素晴らしい仕事だということがわかりました」
ロジャースのカー・コレクションはJLRに偏っている。主だったところでは、ジャガーXK120とランドローバー・シリーズ1だ。
ともに1940年代後半の独創性の時代を象徴している。彼はこのクルマに畏敬の念を抱いている。
「世界的に大流行するほど素晴らしい実用車をデザインすることを想像して見てください。あるいは戦争直後の時代に、70年後の今日でも通用する190km/hを超えるスポーツカーを作ることを」
ロジャースは過去に執着しているわけではない。彼の打ち合わせ部屋の壁にはアインシュタインの言葉が貼ってある。
「問題を作りだしたのと同じレベルの頭脳では、その問題を解くことはできない」
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