計測ミスがなかったら出ていた「幻の大記録」
今からおよそ30年前の1990年、初めて実測300km/hオーバーを体験した。
バイクはZZ−R1100のチューニング車。理由は単純。「誰もやらないならやってやる!」だ。自ら好き好んで挑んだことだが、あの頃、日本で公式にその「大台突破」を証明するのは簡単なことではなかった。
その速度をバイクで出したことを証明するには公式のテストコースが必要。
それがJARI(日本自動車研究所)の高速周回路(通称・谷田部の周回路)だ。そこは190km/hで走れるように設計されたバンクふたつを、1km強の直線でつないだだけのコース。
ここを設計速度を100km/h以上オーバーしながら周回するのが難しかった。
バンクの中では速度が落ちるため、計測アタックの周は全開で進入する必要がある。だが、バンク最上段の車線はクルマ1台分の幅しかない。そこを狙って突入するのだ。
バンクの中では、遠心力で通常より車体やタイヤにストレスがかかる。
当時のタイヤはフルアタック4~5周でバーストすることもあった。また、バンクの中では前輪と後輪がチグハグな方向を向き、見ればわかるほどフレームが捩じれた。
300km/hアタックをした最初のモデルであるZZ−R1100、その7年後に登場したCBX1100XXあたりまではそんな状態での最高速テストだった。
テストというより「挑戦」に近い。
XXはZZ−Rから最強最速の座を奪ったバイクとされることが多いが、元気がよかったのは初期型だけ。以降のモデルは定地テストではほとんど差がなかった。
そんな状況に終止符を打ったのが、スズキ「GSX 1300 R ハヤブサ」だった。
どうせなら海外の記録、311km/hを超えたい…!
そう思って、計測区間はバンクの入り口、道が登りになるギリギリ手前に15m幅で設定。慣れているとはいえ、谷田部のバンクにほぼ全開で突入すると、景色の流れ方はシビレるほど速かった。
だけど、ハヤブサは思い通りのラインで突っ込んでいける。
バンクの中でスピードメーターに目をやると、針は振り切れ、表示のないエリアを指していた。
メーター読みなら345km/hあたり…。スズキのメーターは甘いのか…? 続いてどんどん加速する。もうタコメーターしか見る余裕はないが、真っ直ぐ走れた。
だが、タイヤも良くなったとはいえ、この速度レンジでは何度も続けて走れない。データが出せれば、アタックは最初の3周だけにしたかったし、手応え十分。でも、ピットに戻ると計測ミスだった…。
気を取り直してアタックを再開。しかし、今度は横風で蛇行し、速度が乗らない。計測地点でのタコメーターの針は1回目より回っていなかった。
それでも記録は312.29km/h。
スタッフは大喜び。でも、それより速かった最初のトライの計測ミスが悔しかった。
逃げた魚は巨大だった。
PHOTO:小見哲彦
文:宮崎敬一郎
本誌メインテスター。デビューしたての隼を駆り、日本自動車研究所内の高速外周路において、実測312.29km/hという市販車最速記録を樹立する。
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みんなのコメント
30年前に宮崎氏が乗ったのは、Drスダが組んだZZR1100C。
まだ隼が発売すらされていない時代の話。
当然宮崎氏自身が間違える訳もなく、記事本文は「後に隼に乗ったら」という内容。
webメディアが主流になってから、車バイク関係メディアの力量は、あからさまに劣化した。
やはりもう斜陽産業だから、人並みの能力がある人材すら集まらないのだろう。