MAZDAの綴りは世界最古の宗教にあった?
マツダが創立100周年を記念した「100周年特別記念車」を発売しました。ロードスター、マツダ3、CX-5など全11モデルをベースに、白いボディと赤い内装を与えられているのが共通点です。
マツダの原点は、1920年にスタートした東洋コルク工業で、モビリティカンパニーとしてのスタートは1931年に生まれた3輪トラック「DA号」です。このときにゾロアスター教の光の神アフラ・マツダ(Ahura Mazda)のごとく、このクルマを小型自動車の光明にしたいとの願いを込めて「Mazda」という表記を採用したというのは、ファンにはよく知られているエピソード。
その後のマツダは順風満帆だったわけではありません。原爆からの復興の象徴となった時代もあれば、経営難からフォード傘下に入ったこともありました。そうした歴史のつながりを表現するプロダクトとしての100周年特別記念車のモチーフに、V型2気筒エンジンを搭載した軽自動車「R360クーペ」を選んだ理由はなんでしょうか?
数ある歴史的モデルではなく、無名に近い軽自動車が選ばれた理由
マツダの歴史を振り返れば印象的なモデルはたくさんあります。初のロータリーエンジン搭載車である「コスモスポーツ(1967)」、リトラクタブルライトが印象的なスポーツカー「RX-7(初代・1978)」、第1回日本カーオブザイヤーを受賞した「ファミリア(5代目・1980)」、ライトウエイトオープンスポーツブームを起こした「ユーノス・ロードスター(1989)」などなど。1991年に日本車として初めてル・マン24時間を制した「787B」も歴史的マシンでしょう。
常務執行役員 デザイン・ブランドスタイル担当の前田育男氏はその理由について「デザイン的に特徴があり、画期的なモデルであったため。また戦後の国産車で初めて“クーペ”という名前をつけたのもこのモデルで、クーペデザインを重視するマツダのクルマ作りの源泉を感じる部分があります」と説明します。
また、デザイン本部 副本部長の中山 雅氏は「R360クーペはマツダが商用車から乗用車にシフトするきっかけになったクルマであり、当時の全日本自動車ショーにおいて、マツダが商用車館から乗用車館に移るきっかけになったモデルと聞いています。戦後、3輪トラックによって物流を支えたマツダが、文化的な側面でも豊かさを提示した最初のモデルだと感じています。これからもマツダが自動車文化に貢献する象徴として、モチーフにふさわしい存在だと感じています」と明かします。
ちなみに、今回モチーフとなった赤ルーフ&ホワイトボディ、赤内装のR360クーペは、その全日本自動車ショーにおいてマツダブースの主役として展示された仕様に準じたものだとか。コレクターズアイテムとして100周年記念車の価値が上がるかは未知数ですが、トリビアは盛沢山となっているようです。
文:山本晋也(自動車コミュニケータ・コラムニスト)
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みんなのコメント
アンチマツダなんて言われる心無い人の批判の声も聞かれますが、頑張って欲しい。
私はこれからも応援してます!
今やどちらも独自のポジションとなる製品を出している
いいんじゃないの