5.0LのV8エンジンを搭載したレースカー
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)F5000が始まったのは1968年だが、それ以前から5.0LのV8エンジンを用いたレースカーの素地は形成されていた。英国でガレージを構えていたクリス・サマーズは、使い込まれた高価なレース用エンジンを当時75ポンド(1万円)で買い取る。ローチェスター社のラムジェット・インジェクションを備えたV8エンジンで、シボレー・ベルエアの研究車両に積まれていたユニットだ。ミニの改造で有名だったダウンタウン・エンジニアリング社によって排気量は4.4Lから4.7Lへと拡大され、最高出力は325psを誇った。
アメリカでは、モータースポーツ界でトップにいたダン・ガーニーはレース用エンジンの開発にも力を入れており、ミッキー・トンプソンがドライブするビュイックのエンジンを積んだマシンは1962年のインディ500で8位に入賞。ジム・クラークが1963年に戦った、フォード製のエンジンを搭載したロータスも、アルミニウム製による試験ユニットだった。
1967年に排気量制限は4.2Lから5.0Lへと拡大。ガーニーはアメリカのリバーサイド・インターナショナル・レースウェイで開かれたレックス・メイズ300で優勝する。エンジンはイーグル・インディカー用のフォード製プッシュロッド・スモールブロックを、ウエスレイク・エンジニアリング社とともに独自に組んだもの。ガーニーは1968年のインディでも2位に入賞している。
大西洋を挟んだ英国でレース・プロモーターだったジョン・ウェブは、スポーツカー・クラブ・オブ・アメリカが決定した、1968年から5.0Lのエンジンをコンチネンタル・チャンピオンシップに搭載するという決定に興奮していただろう。予算の少ないチームにも可能性があったためだ。同時にレースカテゴリーの名前はフォーミュラー5000と命名された。
世界各国で展開したF5000カテゴリー
F-1に置き換わることはなかったが、500psを超えるハイパワーなレースは、それから数年、大西洋の両岸だけでなく、世界的にモータースポーツを力強く牽引する。ヨーロッパのほか、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカでも、独自に開催されたのだ。
1969年の4月、チェルシャーでF5000のポールポジションを取った英国のレーサー、デヴィッド・ホブスは当時を振り返る。「わたしはサーティースの四角いTS5に乗っていましたが、その頃のクルマは良くできていました。しかしレン・テリーが設計したフロントサスペンションは特殊で、レース中に疲労でアームが曲がることも少なくありませんでした。レース後半ではシャシーを路面に擦っていましたよ」
最終的にチェルシャーで優勝したのはピーター・ゲシン。ブルース・マクラーレンのM10Aをドライブしていた。TS5を駆るデヴィッド・ホブスと、ローラT142に乗っていたキース・ホランドを抑えての優勝だった。3名ともに使用していたエンジンは、302cu.in(4948cc)のシボレー製スモールブロックだったが、優勝したインジェクション仕様はコスト高を理由に欧州での利用は禁止される。
優勝したピーター・ゲシンのマシン、M10Aは1968年のF1マシンのM7Aから派生した葉巻型だったが、ゴードン・コパックが設計したシャシーは、バスタブ型ではない筒状のモノコックを利用していたため、車重は重かった反面、剛性は高かった。
マクラーレン、サーティースとローラ
サーティースTS5はバスタブ・モノコックで、ロジャー・ネイサンが設計をしたもの。ジョン・サーティーズとジェームス・ガーナーのアメリカン・インターナショナル・レーシングとの契約が成り立たず、TSリサーチ&デベロップメントへと納入された経緯があった。
ローラT142はグループ4のレギュレーション変更に伴い溢れ出た、ローラT70のドライブトレインをスペースフレームに搭載したマシン。マクラーレンよりも安く、当時7055ポンド(91万円)。ロータスがトップグリッドを圧倒しており、実際は競合にはならなかった。
徐々に様々なマニュファクチャラーによる参戦も始まり、F5000には変化が起こる。カリフォルニアのイーグルMk5は、第2世代のインディカーをベースにしたモデル。トニー・サウスゲイトによって改造を受けたクルマで、クロモリ製ではなくスリムなスチール製のモノコックが特徴。1968年と1969年のSCCA(スポーツカークラブ・オブ・アメリカ)で優勝している。だが、英国製のシャシーが優位だった。
オーストラリアのF5000では、トライアングル・モノコックを持つ、フランク・マティックがドライブした、モジュラー・コンセプトのクルマが代表的存在。スペースフレームの構造を展開させ、排気流を利用したツイン・リアウイングも個性的だ。アデレードのレーサー、ギャリー・クーパーのエルフィン600や、ニュージーランドにはマンクス・グランプリでオートバイレーサーとして参戦したジョージ・ベッグなどのマシンもあった。
ロータスのF5000マシンとしては、1970年にフォードエンジンを搭載してジョージ・フォルマーがアリゾナで優勝。イーグルは、ジェームズ・ハントが車重で不利な755をドライブするも、ラグナセカで2位に着けただけで、1974年の復帰戦で優勝することはできなかった。
レーサーのデヴィッド・ホブスが振り返る
レーシングドライバーのピーター・ゲシンはマクラーレンM10Bプロトタイプで1970年のタイトルを死守。ドライサンプ・レイアウトでエンジン搭載位置が低かった。翌1971年、マクラーレンは大勢を変えずに参戦。ニュージーランド人のグラハム・マクレーは、2.5Lのサラブレッドを強化したF5000マシンで、タスマン・シリーズで優勝。デヴィッド・ホブスは、セントルイスの運送会社経営者のカール・ホーガンのチームで戦った。
「13戦中、8戦しか出場できなかったので、1969年のタイトルは逃しました。1970年も、シーズンの半分しか出場できず、フィニッシュできたのも3戦のみ。それでもサーティースのTS5とTS5Aは、マクラーレンと互角に走りました。高くそびえたリアウイングの利用が1970年に制限されましたが、心配したほど影響はありませんでした」 と振り返るホブス。
「ロジャー・ペンスキーが、デイトナやワトキンズ・グレン・インターナショナル・サーキットでフェラーリ512Mをドライブして欲しいと頼んできたので、チームを変更しました。それに、インディの500マイルレースでも3回戦いました。彼はグッドイヤー・タイヤとの仲介もしてくれました。マシンのセットアップも良く、われわれは5戦で優勝できたんです」
ローラ社のオーストラリア人開発ドライバーのフランク・ガードナーによって、単純なモノコックを持つT190は改良を受け、ホイールベースは延長された。T192となったクルマは、1971年のロスマンズ・ヨーロッパシリーズで3度の優勝を果たす。その後、ローラT240 F2マシンとシボレー製エンジンという組み合わせに変更された。エンジン両サイドに高くそびえるラジエターが特徴だ。ドイツのホッケンハイム・リンクでは、エマーソン・フィッティパルディのロータス56Bを破るなど、3勝をさらに挙げ、年間タイトルを取る。
自費で手配したシェブロン製シャシー
ローラT300はアクシデント続きで評判が悪く、「貧弱なローラ」というあだ名が付いていたが、ブライアン・レッドマンがドライブした。「1970年の次の南アフリカではクラッシュし、怪我をしてしまいました」 と振り返るのは、ブライアン・レッドマン。
「4カ月後に復帰すると、シド・テイラー・レーシングからF5000マクラーレンM18をドライブして欲しいと依頼がありました。特に素晴らしいマシンではありませんでしたが、断る理由もなく引き受けたんです。でも、新しいローラ製シャシーは非常に軽量になっていて、時代遅れなことはすぐに分かりました」
「そこで、コンストラクターのシェブロン社を率いるデレク・ベネットに、F5000のマシンは作れるか聞いたんです。できるという返事で、期間を尋ねると10週間。価格は当時で3000ポンド(39万円)でしたが、レーシングカーを自分で買ったのはその時だけでです」 エンジンとトランスミッションはテイラーのマシンのものを流用し、レッドマンが手配したシェブロン・シャシーのB24はデビュー戦で優勝。1972年のオールトンパーク・サーキットだった。
「その後シド・テイラーが、タバコブランドからの支援金があり、2万ドル(220万円)を掛けてアメリカのワトキンズ・グレン・インターナショナル・サーキットに向かうと話したのです。リバプールからクルマを出荷し、ニューヨークでステーションワゴンを買いました。レースではバッテリーが上がるまで、2位を走っていたのです」 と話すレッドマン。
続きは後編にて。
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