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【黎明期から爛熟の現代まで】国産スポーツカー 波乱万丈70年の歴史を辿る

 スポーツカーとはなんぞや? と問われれば、実用車の対極にあるクルマだ、と答えることができよう。ものすごくぶっちゃけてしまえば、いわば不要不急(=必ずしも必要ではない)の存在である。

 では実用的なクルマとはなんだ、ということになると、すなわち「(できる限り多人数が)乗れて」、「(たくさん)積めて」、「(できる限り)走れて」…といったことになると思う。

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 しかしながら、戦後の経済復興の最中、諸外国に追いつき追い越せを合言葉とするなかで、過剰なまでのスピードに、そのスタイルに、そしてエンジン音の高鳴りに重きを置き、そこに「豊かさ」を重ねていた時代が確かにあったのだ。

 そんな熱き時代の「系譜」を、ここでは振り返りたい。

●【画像ギャラリー】セリカ、ギャラン、フェアレディ…日本のスポーツカーの歴史をギャラリーでチェック!!!

※本稿は2020年2月のものです
文・写真:ベストカー編集部
初出:『ベストカー』 2020年3月10日号

■「国産スポーツカー」の産声

●旧スポーツカー時代

 1950年代後半以降、やっとオール国産化を実現した日本の自動車メーカーは、タクシーや社用車として使われるセダンやトラック主体のラインナップから脱却をはかるべく、スポーティなクルマの開発に躍起になっていった。この時代を「旧スポーツカー時代」と呼ぶ。時はまさに鈴鹿サーキットの開設により、日本にモータースポーツの機運が高まり始めた時代で、「スポーツカー史」がここから始まった。

 1950年代、日本国内での乗用車の独自開発、独自生産がやっと軌道に乗り始めた時代、トラックやバスといった商用車以外の自動車は、実用的な『乗用車』しか考えられなかった。

 しかし早くも1952年、昭和27年には「ダットサン・スポーツDC-3」が登場した。車名にスポーツを冠した、当時としては圧倒的に時代の最先端を行っていたオープンスポーツモデルだ。

 このダットサン・スポーツDC-3 はわずか50台が生産されたのみで、まだまだ日本にスポーツカーという文化は時期尚早であったことが伺える。

 しかし1959年には「ダットサン・スポーツ1000」(S210型)、1960年には「ダットサン・フェアレディ1200」(SPL212型)と進化を続けていく。

ダットサン・フェアレディ1600

 この時点で現在のZに繋がる「フェアレディ」の車名が誕生したのだ。そして1962年からはS310系にモデルチェンジをして「フェアレディ」を名乗る。

 このモデルに2L直4エンジンを搭載したのがSP310フェアレディだ。

 この時期、やっと日本にも自動車を走らせること自体を楽しむという文化が認知され はじめた。国内初の本格的サーキット、鈴鹿サーキットが オープンしたのは1962年9月のことだった。

 初代スカイラインにミケロッティデザインの2ドアクーペ&オープンの「スカイラインスポーツ」が追加されたのも1962年のことだった。

 鈴鹿サーキットで『第1回 日本グランプリ』が開催され、1960年代中盤以降、モータ ースポーツ人気が高まるとともにスポーツカー文化が花開く。

 いすゞは小型4ドアセダンのベレットをベースにハイパワーエンジンを搭載した2ドアクーペのベレットGTを開発し1964年4月に投入。

いすゞ ベレットGT

 日産は、やはりファミリーセダンとして開発したスカイラインに、本来の直4、1.5Lエンジンに代えてグロリア用直6、2Lエンジンを搭載した「スカイラインGT」を急遽製作して、この年の5月に開催された『第2回 日本グランプリ』に出場。ポルシェ904とのデッドヒートを演じた。

 これが今に伝わる「スカG伝説」だ。

日産 スカイラインGT

 そしてトヨタ2000GTが登場するのが1967年。小型スポーツではホンダのS500/600/800、トヨタスポーツ800なども登場した。この時代を「旧スポーツカー時代」としたい。

トヨタ2000GT

■1970年代はスペシャルティカーが台頭する

●スペシャルティカーの台頭

 旧スポーツカー時代からの大きな違いは、明確にベースとなるセダンなどのモデルが存在し、シャシーやエンジンなどを共用しながら、クーペスタイルの流麗なエクステリアを与え、スポーティなクルマを作り上げたところにある。1969年に初代フェアレディZが登場し、翌1970年には初代セリカが誕生し、『旧スポーツカー時代』から新たな『スペシャルティの時代』へといっきに時代は移っていくのであった。

 こうした1960年代の旧スポーツカー時代から一転、1970年代に花咲くのがスペシャルティカーだ。

 スポーツカーとスペシャルティカーの違いに明な線引きは難しいのだが、一般的にはセダンなどの実用的乗用車のコンポーネンツを共用しながら、流麗なクーペスタイルのボディを纏ってスポーティなクルマに仕立て上げたモデル、とされる。

 その線引きで言えば、ベレGもスペシャルティカーではないか!? という見方もできるが、明らかにメーカー側が意識してそうした車両開発に取り組んだのは1969年に登場した初代フェアレディZで間違いなかろう。

日産 フェアレディZ

 トヨタからはコロナの基本コンポーネンツを活用し、カリーナとともに開発された初代セリカが1970年12月に登場し、人気を博す。

トヨタ 初代セリカ

 いすゞ117クーペ、三菱 ギャランGTO、マツダ サバンナなど、スペシャルティカーが台頭し、旧スポーツカー時代を一掃し、新たな時代の幕開けとなったのだ。

サバンナGTはハイパワーな12Aロータリーエンジンを搭載してスポーティな走りを見せつけた

1960年代後半から1970年代中盤に掛けて 次々とスペシャルティカーが登場した。写真は三菱ギャランGTO

いすゞ117クーペ

 しかし、このスペシャルティ時代を襲った悲劇が1973年前後に勃発したオイルショックと排ガス規制の強化であった。

 高性能エンジンを搭載するスペシャルティカーは、当時ソレックスやウェーバーといった高性能キャブレターを装備し、高回転高出力型エンジンは有鉛ハイオク仕様とされるものがほとんどだった。

 オイルショックでガソリンが枯渇し、価格は高騰。ガソリンを無駄に消費すると見られたモータースポーツは批判の対象となり、高性能車も社会の敵と見なされた。

 この時期モータリゼーションの拡大に伴って交通事故も増加し、死亡事故件数もいっきに増大した。

 スポーツカーは「社会悪」とされ、また、触媒レスの有鉛ガソリンエンジンは公害をまき散らす悪役となり、その存在を否定されたのだ。

 この時期の日本車のエンジンは、強化された排ガス規制に対応するためにパワーを絞り、スポーツカーと呼べるクルマは次々と姿を消していったのだ。

■1980年代はホットハッチ、そして多様なスポーティカーが登場する

●ホットハッチの侵略

 盤石だったスペシャルティ一族の牙城を脅かしたのが、1980年代前半に台頭したホットハッチ一族だ。この背景には1979年に日本車にターボエンジンが解禁され、小排気量エンジンでハイパワー、大トルクを実現できるようになったことがある。その先鞭を付けたのがB11型5代目サニーに追加された1.5Lターボや三菱ミラージュ1.4Lターボだった。時は1982年、まさにスペシャルティカーが謳歌していた時代に一石を投じるものとなり、スターレットターボやNAハイパワーのシビックSiなどが加勢して勢力を拡大した。

 1970年代後半の日本車は完全に牙を抜かれていた。この時代のスカイラインは5代目C210系(いわゆるスカイラインジャパン)だったが、直6、2L(L20型)を搭載するGTでさえ、“もわ~”と精彩を欠いたエンジンの吹け上がりで、C10時代のSUツインキャブを装備したL20型エンジンのパンチとは比べるべくもなかった。

 トヨタのM型2L、直6もしかり、直4の1.5~2Lクラスも軒並み精彩を欠いていた。

 ここに一石を投じたのがマツダだ。サバンナRX-7を1978年に投入する。燃費、排ガスには不利といわれたロータリーエンジンを搭載する、リトラクタブルヘッドライトの2ドアクーペ。センセーショナルだった。

マツダ 初代サバンナRX-7

 コンパクトで軽いボディに130ps/16.5kgmのロータリーエンジンはパワフルで、排ガス規制時代の暗いムードを吹き飛ばすには絶大なインパクトだったのだ。

 1979年、国産市販車に初のターボエンジンが解禁された。

 最初の搭載車は高級サルーンの日産セドリック/グロリアだったのは、認可を勝ち取るための「ターボは燃費向上のため」という理由を正当化するためだった。

 その後1980年にはスカイラインにターボモデルが追加され、各メーカーも次々とターボエンジンを開発していくこととなる。

 1.3~1.6Lクラスのエンジンにターボを組み合わせることで、それまでエントリーユーザー向けとされていたコンパクトハッチバックモデルがいっきにスポーティカーに変身していく。これが『ホットハッチの侵略』だ。

 日産の5代目サニー(B型)、三菱ミラージュターボ、そしてスターレットターボ(EP型)など、コンパクトFFハッチバックのスポーティモデルが各メーカーから登場していく。

1979年に国産車でターボエンジンが解禁されると、1.3~1.6Lクラスのターボエンジンが次々に開発され、サニーターボ(写真)、スターレットターボなどが登場した

トヨタ スターレットターボ

 この時期、ホンダは一部モデルを除きターボエンジンには積極的ではなかった。エンジン開発に自信を持つホンダは、1.6L DOHCエンジン(ZC型)を開発し、シビックSi、CR-X Siなどでターボ勢と相まみえるのだ。

ホンダ シビックSi

 このNA開発の究極が1989年4月、インテグラに搭載して登場したB16A型VTECエンジンだ。

●ハイソカーの乱

 さて、このホットハッチの侵略と並行して「ハイソカーの乱」も勃発。1981年の初代ソアラが起爆剤となり、4ドアサルーンにも飛び火し、一大勢力を形成する。

ハイソカーブームの決定打となったのが1981年に登場したトヨタ 初代ソアラ。

日産レパード TR-X

 ホットハッチ一族の台頭により勢力図に変化が起こり始めていた1980年代前半、もうひとつの勢力となるハイソカー一族が侵攻の時機をうかがっていた。1981年、初代ソアラが登場したことでいっきにその機運が高まり、その勢力は既存の高級サルーン、クラウンやセド/グロ、さらにはマークII三兄弟にまで及んでいった。ハイソカーの源流は、実はソアラよりも先に侵攻を開始していた日産レパードだったのだが、レパード軍は陣地を拡大できぬままソアラ勢の軍門に下った。

●デートカーの役

 その一方で「デートカー」と呼ばれる勢力も台頭。

ハイソカーとともにデートカーと呼ばれる一群も台頭してきたのが1980年代。写真は1982年の初代プレリュード

 スポーティ路線を強めていたスペシャルティカー族だったが、その家臣の一部がこのままではハイソカー一族の侵略に耐えられないと反旗を翻し、新たな勢力「デートカー」を立ち上げて独立を目指した。主な武将はホンダ家のプレリュード、日産家のシルビアなどだったが、のちにスペシャルティ一族の重臣トヨタ家のセリカまでもが加わったことで形勢は一気に逆転した。

 元々はスポーツカーの系譜だったモデルがスペシャルティカーとなり、スポーツ路線よりもソフトなスタイリッシュさを追求していくのだ。

 その旗頭が1982年登場の2代目プレリュードで、FFになったST165系セリカ、FRを堅持したS12型シルビアなども追随した。

トヨタ ST165系セリカ

●軽自動車事変

 この混乱の世に乗じて気勢を上げたのが軽自動車。1987年の初代アルトワークス登場はあまりにもセンセーショナルだった。64ps規制はこの時に誕生し、今に続いている。

スズキ 初代アルトワークス

 こうして群雄割拠の様相を呈していたスポーツカーの混乱に乗じ、それまでの圧政に苦しめられていた軽自動車たちが蜂起した。その火種は遠州に立ち上がり、遠く泉州の地でも気炎が上がった。これが「軽自動車の一揆」である。具体的には1987年、遠州スズキ家からアルトワークスが立ち上がり、驚いた中央は急遽64馬力規制で勢力の制圧に動いたが、泉州ダイハツ家がミラTR-XXターボを武器に加勢。三河の地からはやや遅れて1989年に渡来の鉄砲を携えてミニカが軍勢に加わった。

■1980年代後半~スポーツカー近代史はバブルとともに浮沈した

●バブル時代スポーツカー革命

 ここからは近現代史。言うまでもなく1989年のR32GT-R、Z32フェアレディZ、ユーノスロードスターの誕生は日本におけるスポーツカー革命といって過言ではない。

日産 R32GT-R

日産 Z32フェアレディZ

マツダ ユーノス ロードスター

 続く1990年にはホンダNSX、三菱GTOが登場し、1991年にはRX-7がFD3S型にモデルチェンジをする。

ホンダ NSX

三菱 GTO

 日本のスポーツカー史に大きな一石を投じたのがまさにこの革命。1980年代後半、バブル経済で自動車メーカー各社の業績は上向き、領地拡大のために軍神的な存在の武将育成に力を入れていた。この武将がいっきにその実力を発揮し、激しい闘いを繰り広げることになるのが1989年から1990年にかけての2年間だ。特に武将育成に力を入れたのが日産家で、R32スカイラインGT-R、Z32型フェアレディZなどは後年に語り継がれる伝説的名将となった。やや遅れて1990年にはホンダ家が欧米出兵を目指してNSXを、三菱家がGTOを送り込んだ。

 しかし革命期は長くは続かない。バブル経済の崩壊とともに冷え込んだ日本経済はスポーツカーに逆風を吹かせた。

●スポーツセダンの変

 そこで一気に立場を強めたのがスポーツセダンだ。4ドアボディで5名乗車。見た目には実用車的なのでスポーツカーのような風当たりはない。

 1990年代、スポーツカー革命の一方でもうひとつの勢力が台頭していた。それが『スポーツセダン』だ。2ドアスポーツが受難の時代と見るや、4ドアセダンの勢力が一気に時代の変革を訴えて蜂起。その旗頭となったのが日本全土に広大な領地を広げていたトヨタ家のアルテッツァだったため、他勢は虚を突かれた形となった。日産家はもともとその素養を持っていたスカイラインで対抗。ホンダ家はアコードユーロRでスポーツセダンの変に乗じた。

 4ドアセダンにハイパワーエンジンを搭載し、ハンドリング性能に磨きをかけたスポーツセダンが次々と登場する。

 その象徴的な存在が1998年に登場したトヨタアルテッツァだった。

トヨタ アルテッツァ

 FF全盛の当時、あえてFRプラットフォームを採用し、コンパクト4ドアセダンに仕立て、エンジンは210psの直4、2L(3S-G型)。アコードユーロRやレガシィB4などもスポーツセダンの一族だ。

ホンダ アコードユーロR

スポーツセダンは1990年代に花開く。初代レガシィは1989年1月に登場し、スポーツセダンとしては草分け的

●ランエボ・インプの乱

 このスポーツセダンの台頭の世の中でランエボ&インプレッサSTiの熱いバトルが繰り広げられたのは周知のことだろう。

『スポーツセダンの変』と呼応するように勃発したのが『ランエボインプの乱』だ。三河三菱家が小型セダンのランサーに2Lターボの強心臓を移植する強靱な武将を育て上げると、上州から中央制覇を目指していたスバル家が武蔵国の分家と協力し、インプレッサを急遽育成。STiバージョンとしてランエボの台頭に抑えをかけるも、後に共闘して独自の世界を築き上げるに至った。これを「ランエボインプの乱」と呼ぶが、戦いの場の様相が一変したことで収束した。

三菱 ランサーエボリューションIII

スバル インプレッサWRX STi Ver.III

 WRC、全日本ラリーなどでランサーエボリューションとインプレッサSTiが活躍し、この競技ベースマシンとしてランエボ、インプは毎年改良に次ぐ改良でパフォーマンスを高めあっていった。

 両車ともに比較的コンパクトな4ドアセダンにハイパワー2L直4エンジンを搭載し、フルタイム4WDで力強く走る。純粋なスポーツカーとはちょっと異なるテイストだが、スポーティな走りを楽しめる市販車として人気を博したのは言うまでもない。

■「2002年の屈辱」を経て、日本のスポーツカーは新時代へ

 バブル期に革命を起こしたスポーツカーたちだが、その後もなんとか改良をしながら生きながらえた。

 しかし決定的だったのが2002年に強化された排ガス規制。これをクリアするためにはエンジンを根本的に新設計する必要があり、スポーツカー需要が見込めない日本市場でコストを掛けて新開発をするメーカーはない。

 これが「2002年の屈辱」で、これに屈してA80型スープラ、R34型スカイラインGT-R、S15型シルビア、FD3S型RX-7などが姿を消した。

 NSXやS2000などは残ったものの、もはや一時期の勢力はない。トヨタのラインナップから2ドアスポーツモデルが消滅したのがこの時期だ。

 そして現代。トヨタでさえ単独でスポーツモデルを開発することは難しく、スバルと組んで86/BRZを投入。BMWとのコラボで新型スープラを投入したのは去年のことだ。

 ホンダはNSXやS660を単独で開発し日産はGT-Rを改良しながら生産を継続している。まさにスポーツカー維新、メーカーの壁を越えた廃藩置県の様相だ。

■そして、2020年代。スポーツカー史はどうなっていくのか!?

 そして現代。トヨタはBMWと協業で新型スープラを開発。86/BRZはトヨタとスバルのコラボがなければ生まれなかった。

トヨタ スープラ

 1989年以来、連綿と進化を繰り返しているロードスターは今後どのような道を進んでいくのだろうか!? GT-Rの後継モデルは!? そろそろZのモデルチェンジも気になる!!

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