日本~ヨーロッパ、フライトの今昔
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第167回
「30年前の未来のクルマ」展で改めて驚いたトヨタ4500GTの素晴らしさ
フル回転で仕事をしていた時は、年に10数回海外に出ていた。それに、家内と出かけるプライベートの旅が1~2回加わった。
若い頃はアメリカが多かった。仕事ではあちこち行ったが、プライベートではLAエリアかサンフランシスコ・エリアがほとんど。南カリフォルニアに夢中になっていた。LAの場合はサンタモニカがベースタウン。そして、クルマで、コーストハイウェイ沿いのビーチタウンに遊びにゆく。天候や気分の赴くままに、、、。そんな旅ばかりしていた。
しかし、歳を重ねるにつれ、プライベートの旅はヨーロッパが多くなった。そして、移動の少ない旅になっていった。これは前にも話した。加えて多くなったのはハワイ。もちろん、ハワイが好きだからだが、理由はもうひとつある。フライト時間の短さだ。
僕は長年鍛えてきたから?、、、フライト時間は長くてもなんともない。けっこう好きだ。ところが、家内は嫌がる。
で、今回の話だが、僕の体験あれこれを交えながら、「東京~ヨーロッパ間フライトの変遷」を辿ってみたい。
東京~ヨーロッパ間フライトの初体験は1964年。世界一周の旅の最後に、ロンドンから東京に飛んだ時。東南アジア経由の「南回り各駅停車便」だった。どこ経由だったかは覚えていない。調べてみると、ロンドン→アテネ→ベイルート→テヘラン→ニューデリ→バンコク→香港→東京だったようだが、、、とりあえずあちこちに降りたことだけは覚えている。
初めての海外の旅だったから、「各駅停車」だろうがなんだろうが関係ない。降りる時/飛び立つ時、窓外の街の表情を見るのが楽しくて仕方がなかった。香港を飛び立った時まで世界旅行を続けている実感があった。
新たな空港に着く度、一部乗客が代わるのも面白かった。特に中東/アジアでは民族衣装を着た人も目立ち、「新たな世界観」みたいなものを味わえた、、、微かにだが、そんな記憶もある。ちなみに、当時の南回り各駅停車のフライト時間は18時間だったとのこと。記憶的にはもっと長かったように思うが、、、。
南回り各駅停車には1971年にも乗った。初のヨーロッパ家族旅行の時に。アムステルダム、ジュネーブ、ローマ、ベニスを巡る旅だった。南回りの終着駅はロンドンだったかと思うが、、、ひどい目に遭った。ほんとうにひどかった。ロンドンに着くまでに、たしか38時間ほどかかったのだ!!
羽田出発は順調。香港、バンコク(だったと思う)も順調だった。、、、ところが、ニューデリーでとんでもないことが起こった。着陸までは順調だったが、、、再度飛び立つまでに20時間ほどかかってしまった。理由は「砂嵐が危険な状態で迫っていて飛べない」とアナウンスされた。窓から見る限り実感はなかったが、まぁ、そうだったのだろう。
で、今夜は「ニューデリーで一泊していただく」ということに。驚いたが、未知の街で一泊も悪くないなといった気分だったと思う。航空会社のスタッフに、アムステルダムで宿泊予定のホテルに「事情」の連絡を依頼し、ニューデリーのホテルに向かった。
なかなか贅沢なホテルだった。部屋も広かったし、庭も広かった。しかし、部屋の扉の前に、ガードマンというか、なんでも係というか、、、専属スタッフひとりが立ち続けていたのには驚いた。
部屋を出る度に恭しく頭を下げ、「なにか御用はございませんか?」と声をかけてくる。まったく用無しでは申し訳ない気がして、英字新聞とコーヒーを持ってきてくれるよう頼んだ。そして、その都度チップを。喜んでいたようだったのでホッとした。
空港とホテルを往復したバスの窓から、ごく一端ではあるものの、ニューデリーの街と喧騒も体験できた。そんなことで、目的地アムステルダムに着いたのは1日遅れ。東京~ロンドン各駅停車の所要時間は38時間だった。やれやれだ。
1980年代、、、仕事でヨーロッパに行く回数は急に増えた。その頃の主たる飛行ルートは極北の地、アンカレッジ経由になっていた。当時の主力機だったダグラス DC-8型機の航続距離では、ヨーロッパまで飛ぶには給油が必要だった。そのため、北極圏を通る北回りルートでは、アンカレッジが給油地として重要な役目を果たした。
アンカレッジの給油ストップは2時間ほど。その間、空港ラウンジで過ごすのだが、免税店は大繁盛。和食レストランも大人気だった。提灯をぶら下げたレストランで、殺伐とした北の僻地の景色を眺めつつ食べるうどん、、、味は忘れたが、いい思い出になっている。ちなみに、このアンカレッジ経由ルートの所要時間は16時間ほどだったと記憶している。
ほぼ同じような時期だったように思うが、モスクワ経由ヨーロッパという飛行ルートもあった。最初はアエロフロート=ロシア航空だけ。後に日本航空が加わったと記憶しているが、けっこう印象的な思い出がある。モスクワでの給油時は飛行機から降りてラウンジで待つのだが、降りる際に立ち会う空港職員、あるいは警備員?の冷ややかな眼差しには、なんとなく恐怖感を覚えたものだ。
アエロフロート機には数度乗ったが、サービススタッフの笑顔も記憶にない。リクライニングシートが壊れていて、背が倒れたままだったが、席の交換は認められなかった。
アエロフロートではもうひとつ怖い思い出がある。僕は左翼のすぐ後ろ辺りの窓側に座っていた。モスクワ空港に向けて降下を始め、地上の様子がよく見えるようになった頃だった。突然、左翼の機体側のエンジンから炎が吹き出した。少しづつ炎は大きくなっていったが、飛行の乱れはなかった。
気づいた客からは当然、驚きと恐怖の声が上がった。しかし、乗務員に慌てる様子はなかった。「心配ありません。このままモスクワ空港に着陸いたします」との機内放送があり、何事もなかったように着陸した。降下途中で炎も消えた。
事情の説明は一切ないまま、機材はモスクワで交換。フランクフルトには2時間遅れほどで着いた。このルートの飛行時間は13~14時間くらいだったと思う。
そして、1991年、ソ連崩壊によってシベリア上空経由の航路が全面開放。以降は北回り直行便が就航することになる。フライト時間も12時間前後と短くなり、ヨーロッパはグンと近くなった。
ヨーロッパが近くなったのはフライト時間だけではない。1990年代からはビジネスクラスを中心に、各航空会社間で座席の快適性が競われるようになったことも大きい。シートピッチは徐々に大きくなり、リクライニング角度は徐々に深くなり、空間のプライバシー度は高くなり、、、そして、2000 年代に入ると、いわゆる「イージースーパーシート」系での各社の快適性競争が始まった。
さらに、2010年代にはスタッガードシート(互い違い配列シート)なるものも登場。居住スペースの拡大と同時に、プライバシー度はさらに向上。全席通路側アクセス可能なものも出てきた。モニターが液晶ワイドスクリーン化されたことも付け加えておこう。そして、今後のビジネスクラスは個室化への競争が繰り広げられることになるだろう。
50年前のヨーロッパは遠かった。若かったし、それが当然と思っていたから苦にはならなかった。でも今、50年前の機材とシートで18時間のフライトをと言われたら、、、よほどのことがない限り丁重にお断りするだろう。
最後になるが、乗りたいと思いながら、まだ乗れていないビジネスクラスがある。「THE ROOM」と呼ばれるANAのビジネスクラス。2019年8月から羽田~ロンドン線に導入されたが、その名の通り完全個室型である。
コロナの影響で、海外旅行は2019年暮が最後。だから、まだ、乗っていない。現在はNYとフランクフルトが加えられているので、選択幅はグンと広がった。
早くて今年の暮(かなり厳しそうだ)、遅くても来年初夏辺りには海外に出られるようになってほしい。そして、大好きなウィーン、ミラノ、ミュンヘン辺りに行くなら、フランクフルト乗り継ぎで「THE ROOM」が使える。楽しみだ。
本連載のイラストを手がける溝呂木先生の個展が開催されます
溝呂木陽水彩展2021
場所:スポーツカーズ in フィアットカフェ松濤
住所:渋谷区松濤2-3-13 03-6804-9992
会期:2021年9/4(土)-26(日)火曜定休
時間:10~18時
入場無料
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。
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みんなのコメント
こんな街並みを流麗なレーシングカーが本気のスピードで駆け抜けていくなんてのも今ではもう見れない光景。
80年代のSUの日本便の機材はIL62だと思うので、左翼にエンジンはついていない。左翼にエンジンが付いている機材だと、日本に就航したのは2発のものだけではなかったか。