1980年代のホンダは、「シティ」や「トゥデイ」、そして「レジェンド」など多くの個性的なモデルを市場に投入した。とりわけ印象的な5台を小川フミオがセレクトし、振り返る。
1980年代の日本車はいまも輝いてみえる。性能的には現代のクルマのほうが上だ。でも、当時の日本車は、世界基準の性能を追求しつつ、ほかにない個性を創出しようと努力していた。
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ホンダはなかでも際立ったメーカーだった。そもそも1963年に、初めて世に問うた四輪車が、当時“腕時計のように精巧な”とも評された水冷DOHCエンジンを搭載したスポーツカーだった。その“よき伝統”は1980年代まで続いたといえる。
代表例が1981年の初代「シティ」であり、続く1983年の3代目「シビック」だった。当時、ホンダの生産設備の問題から、長いホイールベースは作れないし、ボディ面のプレス加工技術にも制約があった。それでも、シビックの機能主義と審美性をきれいにバランスさせたデザインは衝撃的だった。ホンダをトヨタや日産のライバルへと押し上げる原動力になったのは不思議なことではない。
1980年代のホンダは、デザイン性にすぐれたコンパクトカー、優雅なクーペ、先進的な技術を盛り込んだ大型セダン、さらに着想力を感じさせるクロスオーバー(当時はRV=Recreational Vehicle)といっきに花開いた感が強い。
ひとことで感想を述べると、作り手の情熱がほとばしったような製品なのだ。自動車は工業製品であるものの、名車として残るモデルの多くは、作り手である人間の存在をかんじさせる。デザイナーもエンジニアも個人の名前は公(おおやけ)になっていなくても、ここで採り上げるホンダ車はどれも、開発者の熱い思いがみえるようなモデルなのだ。だからいまでも乗りたくなる。
(1)シビック(3代目)
大きなジャンプ。それが3代目「シビック」をはじめて見たときの私の感想だ。1979年に出た2代目は、こういってはなんだけれど、中途半端な印象である。足まわりなどそれなりに洗練はされていたものの、1972年の初代のキープコンセプトで、スタイリングもぱっとしなかった。
“スーパーシビック”と、メーカーはうたっても、ぜんぜんスーパーなかんじのなかった2代目だった。それに対し“ワンダーシビック”と、呼ばれた3代目は、斬新なスタイリングコンセプトで、たしかに“ワンダー(奇跡と驚異)”と、感じられたのだ。
メイン車種のボディスタイルはハッチバックを継承したものの、すべてにおいてあたらしかった。グリルを小さくしたフロントマスクは変型ヘッドランプによる好ましい個性を演出。
自動車デザイン用語でいうコーダトロンカ(すとんと垂直に断ち切ったようなリア)を、思わせるリアは、大きなウィンドウといい、ブラックのガーニッシュを積極的に使ったコスメティクス(表面処理)といい、欧米のモノマネの時代は終わったことを強く知らしめてくれていた。
思いきりのよさという点では、シリーズを3本立てにしたのも英断だ。標準モデルは2ドアのハッチバック、利便性を求める顧客むけには5ドアに大きめな荷室のそなわったシャトル、そしてオーソドクスなクルマを好む層には4ドアセダンが用意された。
シビック・ハッチバックには、1984年に135psの1590cc4気筒DOHCエンジン搭載の「Si」グレードを搭載するなど、高性能車を求めるマーケットへの目配りも見られた。1987年までの生産期間中、数おおくのシビックが送りだされ、当時、東京の市街地では数おおく見かけたものだ。
基本コンセプトがしっかりしているので、いまでも古びて見えない。ホイールベースは2380mmしかないので、前席主体になってしまうかもしれない。でも市街地にはこんなきれいなクルマが似合う。それは現在でも変わっていないと思う。
(2)クイント・インテグラ(初代)
1985年の「クイント・インテグラ」は、ホンダが生産技術の点でも大きく前へと進んだときに発表された。代表例はホイールベースで、1980年発表の先代は多機能ファストバックスタイルながら2360mmしかないホイールベースのせいで、実用性は低かった。
2代目になってインテグラのサブネームを持ったクイント・インテグラ。このモデルでは、ホイールベースを2450mmへと延長。すこし遅れて登場した4ドアでは2520mm。国際的な水準のプラットフォームが完成したのだ。
シビックと、高級路線へと舵を切った「アコード」のあいだを埋める車種として企画されたクイントインテグラ。シャシーは新設計で、サスペンションシステムはシビックと共用した。そして2代目はスタイリッシュさが売りものの、クーペとクーペライクなセダンになったのだ。
操縦しての印象はやや粗っぽさが目立っていた。サスペンションのストローク量はやや不足ぎみで乗り心地はすこし悪く、同時に前輪駆動における左右輪の回転を合わせる等速ジョイントの性能も不足ぎみ。
135psのパワフルなモデルで、強めにアクセルペダルを踏み込んだとき、ステアリング・ホイールがとられる、いわゆるトルクステアを経験したこともあるぐらいだ。
それでも、嫌みのないスタイリングといい、従来にくらべうんと広くなった室内空間といい、明るい雰囲気の魅力は大きかった。リアにスポイラーをそなえた2ドア版「RS-i」など、いま乗っても、けっこうスタイリッシュかもしれない。
(3)アコード(4代目)
ホンダが大きく高級化路線へと舵へ切り始めた1980年代の終わりごろを象徴するともいえるのが、1989年発表の4代目「アコード」である。
ホイールベースは2720mmへと大きく延ばされ、ボディ全長は4680mmへ。サイドウィンドウの輪郭をきれいなクロームで縁どり、ボディ面はセクション(輪切り)でみたとき、美しいカーブを描いている。
さらにもうひとつ、このアコードの特徴は、とても低いノーズだ。前後のサスペンション形式を凝ったダブルウィッシュボーンにして、ホイールアーチとフェンダーラインとのあいだが、スポーツカーなみに薄い。これは1990年代以降、ホンダ車のひとつの特徴となったものだ。
4代目アコード・シリーズには、標準のアコードにくわえ上級モデルの「アコード・インスパイア」も用意された。こちらは5気筒縦置きという日本車では珍しいメカニズムを採用した。
1990年には米国工場製の「クーペ」、1991年にはやはり米国生産の「ワゴン」も日本に導入されるなど、選択肢が一気にふえたのも4代目の特徴だった。
(4)シティ(初代)
よく出来たコンパクトカーは時を経ても魅力が褪せない。シトロエン「2CV」しかり、フィアット「ヌオーバ500」や「パンダ」しかり。日本代表には、ホンダが1981年に発表した初代「シティ」をあげたい。
発表当時、平均年齢27歳のメンバーが開発した、というのが話題になった。それに続いてのキーワードは“新感覚”。若ければいいものが出来るとは限らないけれど、常識にとらわれないように、そのひとたちの感覚をうまく取り込んだ開発陣の努力のたまものだろう。
当時のホンダには、若さをブランド価値に積極的に結びつけようという気風のようなものがあったと思う。ショートデッキのトールボーイ(車高が高いハッチバック)スタイルは斬新だった。それでいて、あまり経験がゆたかでない(はずの)20代が中心に開発したとは思えないほど、ディテールにいたるまで凝っていて、手抜き感いっさいなし、というのも大きな魅力である。
エンジンは1231cc。現在では、これだけ排気量があればかなりパワフルなクルマが作れるものの、このときのシティは最高出力67ps。じっさいに、パワー感は不足していた。が、気分的には楽しかった。
けれどもうすこしパワフルなら……という思いに対応したのが、1982年のシティ・ターボだ。11カ月での製品化なのだから、計画当初から、入念なモデル展開計画があったはず。
おなじ年に「Rタイプハイルーフ」、翌1983年にはハイルーフのサンルーフ、1カ月遅れて5月には「ブルドッグ」なる愛称をもった「ターボII」が登場。さらに1984年には「カブリオレ」と、ジェットコースターのような速さでのモデル展開を楽しませてくれた。
トールボーイのハッチバック。軽自動車の世界では当たり前のコンセプトになったものの、普通乗用車ではめったにない。いまだって、この初代シティは使い勝手がよさそうだ。オリジナルの設計では現在の衝突要件をクリアできないのはわかっているものの、また、こういうクルマが欲しいと思う。
(5)トゥディ(初代)
こういう“勇み足”も当時のホンダの魅力だった。1985年登場の「トゥデイ」は、ホンダが11年ぶりに復帰した軽自動車の再帰第1号だ。勇み足としたのは、軽自動車といえば、荷物を積めて、ひとが乗れて、とパッケージが最優先。なのに、トゥデイの最大の特徴といえば、スタイリッシュであることだった。
2330mmとかなり長いホイールベースに、1315mmに抑えられた全高のボディ。しかも2ドアのみ。たとえば、ダイハツ「ミラ」(1985年)の4ドアボディは、ホイールベースは2250mmに抑えられたものの、全高は1415mmもあった。
初期型は、545ccの2気筒エンジンによる前輪駆動。ホンダが唱える「マシンミニマム、マンマキシマム」のためにはコンパクトなドライブトレインが必要であり、審美性を大事にするデザインポリシーを合体させた結果がトゥデイになったのだ。
この初期型は、ぐっと低められたノーズと、左右非対称グリル(ナンバープレートも左側に寄せられていた)に丸型ヘッドランプの組み合わせが、キュートな雰囲気を醸し出していた。大きく傾斜したウインドシールドも特徴的で、ワイパーアームは1本。設計者はフィアットパンダのファンだったにちがいない、と私はひとりごちたものだ。
1988年にはマイナーチェンジが実施され、エンジンは3気筒に。最高出力は31psから42psへと上がった。オートマチック変速機も2段から3段に。そこまではいい。フロントマスクが矩形ヘッドランプになってフツウになってしまったのは残念だったのだ。
都会に住むひとには、このコンセプト、作り手のこだわりをつよく感じさせて魅力的だった。でも軽自動車にしか乗らないユーザーの大半には不評だったようだ。1993年の2代目は、ボディこそ2ドアだったものの、全高は135mmに上がるなど、機能性を重視するデザインとなった。
ここで振り返ってみても、初代の、しかも初期型のデザインは秀逸だ。このままでずっと残ってほしかった、と思うのである。
文・小川フミオ
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