F1に舞い戻ったブルーオーバル
30年近く前の1990年代半ば、ジャッキー・スチュワート卿はフォードを説得し、新しいF1チーム「スチュワート・グランプリ」の創設で資金提供を得ることに成功した。
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英国のミルトン・キーンズの工業団地を拠点とするスチュワート・グランプリは、わずか3シーズンだけ存在し、1勝(1999年ニュルブルクリンク、ジョニー・ハーバート)を挙げた後にフォードに売却された。そう、そもそもはフォードがお金を出して作ったチームだ。それをフォードに売ったのだから、スチュワート卿は巧妙である。
その後、チームはジャガー・レーシングへと姿を変え、「The Cat is Back(猫が戻ってきた)」と大々的に宣伝された。しかし、フォードはF1参入を検討してきたすべての自動車メーカーに対して、安易に手を出してはいけないという顕著な例を示すことになる。偉大な名前と誇り高き伝統を持つジャガー・レーシングは、2000年から2004年にかけて、ろくな成績を残せなかったのだ。フォードがこの時期に下した最善の決断は、カフェイン入りの甘いエナジードリンクを売るオーストリアの野心家、ディートリッヒ・マテシッツにチームを売却することだった。
その5年後、レッドブル・レーシングは同じミルトン・キーンズを拠点に、スチュワート卿のタータンチェックを着た従業員とともにセバスチャン・ベッテルを擁して4連覇を達成した。
そして今、フォードはF1に再び参入することを発表した。数十年前に自分たちがお金を出して創設したのとまったく同じチームのパートナーとして、である。このようなことはありえるのだろうか。
適切なコミットメントと距離感
両者の契約は、2026年シーズンから始まり、少なくとも2030年まで続くものだが、いわゆる「Netflix効果」の究極の現れと言える。Netflixで配信されたドキュメンタリー番組『Formula 1 : 栄光のグランプリ』は、数十年にわたって欧州的なレースとは無縁だった米国でのF1人気を高めた第一要因とされている。2023年シーズンには、オースティン、マイアミ、ラスベガスと3回のグランプリが米国で開催されることになり……そして今回、フォードもこの餌に食らいついたのだ。
2017年に長年の最高権威であるバーニー・エクレストンを退陣させた米メディア大手リバティ・メディアにとっては、F1買収の正当性を完全に証明された形だ。フォードがF1に戻ってきたことは、とてつもなく大きな事件と言わざるを得ない。
しかし、その実はどうなのだろうか。2026年からはレッドブルとポルシェが組む可能性があったし、そうするべきだったのだが、結局のところチーム代表のクリスチャン・ホーナーは自身の任期を危険に晒すこの契約を土壇場で破棄した。ポルシェは、従順なパートナーという役割を受け入れるつもりはなかったし、ホーナーもそれをわかっていた。それに対して、フォードはもっと融通が利くかもしれない。フォードにはジャガー時代の二の舞を演じる気はないだろうから、参入はしても、首を深く突っ込むことはなさそうだ。
レッドブルはすでに投資をはじめ、ミルトン・キーンズに独自のパワートレイン部門を設立している。新しいF1エンジンの製造をフォードに依存することはないのだ。「2023年から、フォードとレッドブル・パワートレインは、2026年のシーズンに向けて、350kWの電気モーターと完全に持続可能な燃料を受け入れることができる新しい燃焼エンジンを含む、新しい技術レギュレーションの一部となるパワーユニット開発に取り組む」と、声明には慎重に記されている。
また、ホーナーの言葉から、さらに見えてくるものがある。「独立したエンジンメーカーとして、フォードのようなOEMの経験から恩恵を受けることができるのは、競争相手に対して有利に働くだろう」……つまり、現在アルファ・ロメオとザウバーの間に存在する “ステッカーのみのスポンサー契約” を超えるものなのだ。しかし、キーワードは「独立(independent)」だ。世界ラリー選手権のMスポーツと同様、レッドブルはフォードとは激しく、そして選択的に距離を置いている。
ホンダの役割とDFVエンジン
今回のフォードの発表を前に、レッドブルとそのスタードライバーであるマックス・フェルスタッペンが、ホンダのパワートレインで2022年の世界チャンピオンを獲得した。ホンダは、フェルスタッペンを2021年の初優勝に導いた後、正式にF1から撤退し、知的財産権(IP)をレッドブルに渡したが、昨シーズンはチームの独立を支援するために重要なサポート役を果たした。
ホンダがUターンし、レッドブルとの提携が再開されるという話もあった。しかし、フォードは苦労の末に得た経験を生かし、進化したパワートレインを供給することになる。そ んなことはプレスリリースには書かれていなかった。
DFVエンジンのエコー
しかし、それは重要なことだろうか? レッドブル・フォードが2026年以降に世界タイトルを獲得すれば、問題にはならない。フォードがすべてのモータースポーツに最大の貢献をした1960年代と70年代にも、それは重要ではなかった。1967年から1983年にかけて、フォード・コスワースDFV(Double Four Valve)V8エンジンは155のグランプリを制し、12のドライバーズタイトルと10のコンストラクターズタイトルを獲得するなど、比類なきF1エンジンとしてその名を轟かせた。
だが、このエンジンが存在し、フォードのエンブレムを背負っていたのは、英国のプレス担当者が、コーリン・チャップマンとキース・ダックワースの才能の組み合わせによってもたらされたチャンスを直感的に理解していたからにほかならない。ウォルター・ヘイズがいなければ、フォードはDFVの開発に必要な10万ポンドを出すことはなかっただろう。この10万ポンドは、モータースポーツ界、いや、自動車界全体にとって最高の10万ポンドとなった。フォードのバッジをつけたDFVは、1970年代に広く普及した。
しかし、DFVはミシガンから遠く離れ、ノーサンプトンを拠点とするコスワースや、ニコルソン・マクラーレン、ジャッドといった英国のインディーズチューナーの精鋭たちが中心となって、その物語を紡いでいくのである。彼らは、1967年当時、チャップマン、ダックワース、ヘイズでさえ想像できなかったほど、V8の寿命を延ばした。
F1では、見かけ通りのことはほとんどない。これまでもそうだった。しかし、重要なのはそのストーリーであり、フォードはその中でも最高の、しかし最も波乱に満ちたものの1つである。そこに新たな命を吹き込んだ幹部たちに賛辞を送りたい。ただし、気を引き締めたほうがいい。
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