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プジョー205:15年(1983~1998年)
2ドアのレンジローバー「SVクーペ」 999台限定 3月ジュネーブ公開へ
プジョーは老朽化した104の代替モデルとして、205の開発を1978年にスタートした。必須条件は軽く、生産が容易で、既存パーツを多く流用して開発コストを抑えられるクルマ。当時のプジョーは、経営不振のシトロエンとクライスラーの欧州部門を吸収した後で、失敗を許容する余裕はなかったのだ。
205のデビューは1983年代初頭で、まずは4ドアのハッチバックを投入。すぐさまベストセラーの仲間入りを果たし、ラインナップを拡大。2ドア・ハッチバックやコンバーティブル、小型のバンなどを加え、一世を風靡するGTiも登場する。さらに、ラリーやT16の追加で、多くのエンスージアストをショールームへ呼び込んだ。
1990年代半ば、モデル末期に入ると、低価格が最大のセールスポイントとなる。特別仕様車の設定もあり、1998年にラインナップ落ちするまで生産台数は極端に落ち込まなかった。
プジョー206:18年(1998~2016年)
15年続いた205の後継モデルとして、1998年に登場した206は、先代を超える長寿モデルとなったのはもちろん、ラインナップの多さでも上回った。2ドアと4ドアのハッチバックを基本に、SWと称したワゴン、可動式ハードトップを備えるコンバーティブルのCC、また一部市場向けの4ドア・セダンも用意された。
主要マーケットは欧州とラテンアメリカだったが、日本でもプジョー未曽有のヒットを記録するなど、世界各地で販売を伸ばした。生産も各地で行われ、累計台数はおよそ1000万台に達した。
206の長寿は、想定外だったといえる。2006年には後継車種の207が登場したが、ルノーが廉価な参加ブランドのダチアで成功を収めていたのに対抗するため、206+として存続。さらに中国市場では、外装を改修しシトロエンC2として販売された。
メルセデス・ベンツSL(R107):18年(1971~1989年)
R107、すなわちメルセデスの3代目SLほどタイムレスな優雅さを放つロードスターには、そうそうお目にかかれない。贅沢極まりないインテリアも備え、メルセデスのラインナップの頂点に20年近く君臨したモデルだ。また、歴代唯一、4座と固定ルーフを備えるクーペのSLCが設定されたが、これは1981年にW126ベースのSECに座を譲った。
フォード・モデルT:19年(1908~1927年)
T型フォードとも呼ばれる、世界初の本格量産を成し遂げたモデル。同時代の自動車が高価な高級モデルばかりだったのに対し、モデルTはずっとベーシックで、定職を持つ人間ならほぼ誰でも、購入を考えられるクルマだった。1917年当時で500ドルという価格は、現在の貨幣価値なら9600ドル(約106万円)。もちろん、中古車ならもっと安価で入手できた。
モデルTの登場で、馬も列車も使わずに遠出ができるようになったことは、多くのアメリカ人の時間の捉え方をガラリと変えた。移動はクルマありきとなった、といってもいい。生産は12か国で行われ、累計1500万台を数えた。
フィアット・パンダ:23年(1980~2003年)
初代のフィアット・パンダは、シトロエン2CVやルノー4に着想を得たベーシックカー。開発部門へのリクエストは、シンプルで頑丈、インテリアやパワーユニットは必要最低限というもの。エクステリアについては、同様の要件がイタルデザインに提示された。関係者全員が、同じミッションを心に刻んで造り上げた初期の個体は、126から借用した空冷2気筒と、しばしば批判されるリーフスプリングのリアサスペンションを備えていた。
長いモデルライフの間に、多くの追加モデルも設定された。有名な4×4や、プラスティックの延長ボディを与えたバン、2座のEVなどだ。トリノでは450万台が生産され、生産終了から14年を経た今でも、イタリアや、フランスの一部では街を走り回っているのを普通に見かける。
レンジローバー:26年(1970~1996年)
シリーズIIほど実用本位ではなく、万能性の高いレジャー車を求めるユーザーに狙いを定めたレンジローバーは、ランドローバーの新たな地平を切り開くモデルだった。SUV的なものの人気が向上する流れもあり、ヒット作となった初代レンジは、異例の長寿モデルとなった。1980年代を通じ、徐々に上級移行を重ねると、1987年にはLAショーでアメリカ上陸。高級スキー場にレンジが並ぶ光景が一般的になった。
フィアット126:28年(1972~2000年)
500の後を継ぐフィアットのエントリーモデルとして登場した126だが、この2車種は1975年まで併売された。500よりモダンなデザインを纏った126だが、その中身はそれほど目新しいものではない。小さなボディには4人分のシートが据え付けられ、エンジンは2気筒である。
時代遅れの設計ゆえ、西欧では500ほどの人気を獲得できなかった126だが、ポーランドではまるで国民車かというほどの人気を予想外に得る。この国ではマルフという、ヨチヨチ歩きの子供を意味する愛称で親しまれた。累計生産台数は460万台だが、これはポーランド・ティヒ工場製の330万台が多くを占める。なお、ここでは現在、現行500の生産が行われている。
ジープ・ワゴニア/グランドワゴニア:28年(1963~1991年)
高級SUVの先駆けとなったジープ・ワゴニアは、ジープにとっては節目となるモデルだった。第二次大戦時のウィリスから発展したCJ系バリエーションとは、パーツにもデザインや設計にも共通性のない初のラインナップだからだ。家族がゆったり乗れるスペースと、ユーザーが積極的に4WDの性能を試したくなるのに十分な地上高を兼ね備えたクルマだった。
レンジローバーのように、ワゴニアは次第に高級志向へ傾き、後にグランドワゴニアと名を変える。ジープはキャビンのNVH対策に力を注ぎ、トラック的な雰囲気を薄めようとした。生産は1991年に終了し、初代グランドチェロキーがバトンを受けた。
フォルクスワーゲン・ジェッタ(2代目):29年(1984~2013年)
欧州での生産は1992年に終了したが、その前年から始まったのが中国での生産だ。初期段階は完全ノックダウンだったが、1995年には中国での合弁会社であるFAWフォルクスワーゲン(一汽大衆)が、現地調達した部品での製造を開始する。その時々のフォルクスワーゲンのデザイン言語に合わせて、作り変えられたフロント周りは3タイプ。北京などでは、今も2代目ジェッタがタクシーで広く使われている。
トヨタ・センチュリー(初代):30年(1967~1997年)
先ごろ、最新の3代目が登場したセンチュリーは、レクサスの構想すらなかった頃にトヨタが生み出した日本の最高峰車種。そのほとんどが手造りで、特別な顧客に向けて提供された。光ファイバーやオートエアコンといった、先進的な技術や装備をいち早く採り入れたのも注目点だ。
プジョー404:31年(1960~1991年)
オートカーでは、1965年に404セダンをテストし、そのロードマナーを絶賛した。ピニンファリーナ・デザインを纏うこのクルマは、舗装路以外でも優れた走りを見せ、伝説的な頑丈さもあってアフリカ全土で熱狂的な支持を集めた。欧州での生産が1975年に終了した後も、ケニアでは1991年まで製造され続けた。後継モデルの504もまた、同様に長寿モデルとなった。
フォルクスワーゲン・サンタナ:31年(1981~2012年)
中国で生産されるようになった欧州車の先駆けがサンタナ。最初のモデルの座こそシトロエンCXに譲ったが、その構造が複雑だったため、中国政府はフォルクスワーゲンと大規模な導入契約を結んだ。
中国のユーザーは、このサンタナによって、後席に十分なレッグルームのある大型セダンに触れる機会を得た。サンタナ2000、サンタナ3000、サンタナ・ヴィスタといった中国独自のバリエーションも多く、自家用車だけでなくタクシーや警察車両にも多数採用。政府関係者も、高官にはロングホイールベースのアウディが与えられるが、それ以外はサンタナを公用車とした。
このほか、日産がノックダウン生産したのをはじめ、ブラジルやアルゼンチンではフォードとの合弁会社であるオートラティーナで製造され、ブルーオーバルのエンブレムを付けて販売されるなど、まさにグローバルカー。そして、中国では新型車がその車名を受け継いでいる。
プジョー405:31年(1987年~継続中)
欧州以上に、それ以外の世界各地で多く販売された405。フランスでの登場は地味なもの。大西洋を隔てたアメリカでも販売は不振で、彼の地へ正規導入された最後のプジョーとなった。
成功したのはイランへの投入で、1988年に欧州COTYを獲得したピニンファリーナ・デザインのセダンが、現在でも現役だ。またイランでは、ヒルマン・アヴェンジャーのコンポーネンツを流用する、ロアと銘打った後輪駆動の405が、短期間ながら製造されていた。
ラーダ2105:32年(1980~2012年)
ロシアのアフトヴァスは、フィアット124ベースの2101の後継モデル開発にあたり、全面刷新ではなく2101のアップデートで済ます道を選ぶ。4気筒エンジンはマイナーチェンジ程度でキャリーオーバーされ、ただし角型ヘッドライトとプラスティックのグリルで明確な差別化が図られた。
ラーダ名義で生産された2105は、世界各国へ輸出された。カナダではホワイトウォール・タイヤを装着し、英国ではリーヴァの名が与えられた。1400万台という生産台数は、今でも世界屈指の多さを誇る。
フィアット・ウーノ:33年(1980~2013年)
欧州では1995年に販売を終了し、記憶の中のクルマとなりつつあるが、ブラジルでは4年ほど前まで生産され、市場ではいまだ現役モデルだ。このブラジル仕様、後年には2000年代初期のトレンドに則ったデザインのアップデートを受け、2010年に2代目が導入された際には車名がミッレと改められた。ただし、メカニズムの改良は微々たるものだ。
フィアットが現地生産の終了を決定したのは、ブラジル政府が2014年元日以降製造される新車にフロントエアバッグとABSの装備を義務化したためだ。最後を飾ったのは、グラッチェ・ミーレと名付けられた限定モデルだった。
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