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山田宏の[タイヤで語るバイクとレース] Vol.9「マシンはあるのに体制決まらず!」

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山田宏の[タイヤで語るバイクとレース] Vol.9「マシンはあるのに体制決まらず!」

急ピッチで進められた開発体制づくり

ブリヂストンがMotoGPでタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。物語の舞台は前回から、ブリヂストンがロードレース世界選手権最高峰クラスへの挑戦を決定した2000年。当時のことを、詳細に振り返ってもらいます!

連載:山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]【独占Webコラム】

TEXT: Toru TAMIYA

その名は「Rey(レイ)プロジェクト」

前回の連載で触れたように、2000年6月20日の経営会議でGOサインが出てすぐに、ロードレース世界選手権(WGP)の最高峰クラスに挑戦するためのプロジェクトグループが結成されました。本社と技術センターの常務2名をトップに、技術センターではタイヤ設計、材料、試験、基礎研究などの各部門から部課長と担当を配属。本社では、私の所属した販売部門が事務局となり、広報部も入れてプロジェクトグループを結成して、定期的にプロジェクト会議を実施しました。ちなみに、この活動を「Rey(レイ)プロジェクト」と命名しました。Reyとはスペイン語で「王者、王様」という意味です。

最初のプロジェクト会議で、目標・計画をメンバー全員で認識し、タイヤ開発部隊は早急にプロジェクトグループの組織と人事、室内評価試験機の開発、生産設備の増強などを進め、さらに現有設備でGP500用のタイヤを試作して、室内評価をスタートしました。ただし、かなり動きが早かった開発部隊に対して、テストチーム結成の仕事を担当した私は、レベルの高いGP500マシンをタイヤテスト用に借りられるかどうかさえ、まだ知らない状態でした。

ある程度のレベルに達した試作タイヤをテストするマシンと、それをメンテナンスするスタッフ、そして実力のあるテストライダーを確保して、ハイレベルなテストチームを結成できるかどうかが、このプロジェクトにおける最初の大きなカギであり、それが私に与えられた当面の大きな仕事でした。

しかし、レベルの高いGP500マシンをタイヤのテスト用に借りられるかも知らないし、マシンに精通してきっちり整備できる人を揃えられるかもわからないし、レース経験のあるスキルの高いライダーを確保できるかも不確定。それぞれが未経験でハードルの高い課題なのに、2001年にテストをスタートするまでの約半年間で、それらをすべて準備しなければならなかったのです。

―― ホンダのNSR500は、ミック・ドゥーハン選手に1994~1998年の5連覇、アレックス・クリビーレ選手に1999年のチャンピオンをもたらした。2000年は王座こそ逃すが、バレンティーノ・ロッシ選手(写真)が最高峰クラス初参戦でランキング2位となるなど、最高峰のポテンシャルが長年にわたり維持されていた。

GP500では1度、断念していた過去があった

この当時、HRCが1997年に市販化した2気筒エンジンのNSR500Vを除けば、我々が購入により入手できる可能性があるGP500マシンはない状態。そこで我々は、4気筒エンジンのNSR500を借りるため、HRC(ホンダレーシング)へ直談判に向かいました。この前年まで、WGPのGP500クラスではNSR500が6連覇を達成。もっとも安定して高性能を発揮し続けているマシンを使用してタイヤ開発を進めることが、我々のプラスになると考えたからです。あれは、2000年7月のこと。プロジェクトに携わるブリヂストンの常務2名を一緒に引き連れて、当時のHRC社長だった池ノ谷保男さんを訪ねました。そこには、HRCのWGP総監督やRC211Vの開発責任者を務めたことでも知られる吉村平次郎さんも同席。「HRCとして、レース参戦目的以外でマシンを貸与した前例はない」とのことでしたが、我々のプロジェクトについて説明して、頭を下げてお願いしたところ、「WGPに新規メーカーが参戦するというのは、HRCとしても大歓迎」と、有償によるマシン貸与を快諾してくれました。

もっともこのとき、「BSさん、今度は本気でやってくれるんでしょうね?」というような嫌味も言われました。じつはブリヂストンは1980年代後半に、HRCとGP500用タイヤの共同開発を行なったものの、目標性能に達しなかったために一度断念した過去があったのです。

まあでも何はともあれ、HRCの全面協力によりマシンの準備は確約できました。しかしまだ、問題は山積みです。マシンだけがあっても、勝手に走るわけではないですし、そもそもWGPの最高峰クラスに参戦してトップクラスの成績を残し続けるマシンですから、そこらのライダーを連れてきてすぐにポンと乗れる(ポテンシャルどおりに走らせられる)わけありません。翌年の体制づくりに対して、私はかなり焦っていました。

その一方で、HRCの協力を早めに得られたことで、実走テストに関しては2000年の段階で最初の一歩を踏み出すことができました。9月末に、ブリヂストンのテストコースにHRCのメンバーに来てもらい、試作タイヤを装着したNSR500によるテストを実施したのです。このときは、我々が持っている現状の技術力やタイヤの性能はどの程度で、どのような問題があるのかという現状把握が目的。運営はすべてHRCにお願いして、ライダーは当時のHRC契約ライダーだった故・鎌田学選手が担当してくれました。そしてこのとき、私は来年の体制づくりに有益な情報を得ることになるのです。

―― NSR500という、当時のWGPで最強のマシンをタイヤ開発に使えることは決まった。写真は1997年型。

伝説のメカニックに話を聞いてもらえるチャンス!

この9月テストには、メカニックなどのHRCスタッフも複数参加してくれていたのですが、昼休みにその中のマネージャーと雑談をしているときに、「来年、アーヴさんがレースを完全に辞めるらしいんだよ……」という話を聞いて、私はすぐに食いつきました。

アーヴさんとは、米国生まれの凄腕メカニックとしても知られるアーヴ・カネモトさんのこと。国内レースシーンで活躍後、1981年にはWGPのヤマハチームメカニックとなり、あのバリー・シーン選手と組んでいました。1983年には、前年に設立されたHRCに移籍してチーフメカニックを務め、1983年にはフレディ・スペンサー選手のWGP最高峰クラスチャンピオン、1985年にはスペンサー選手の500ccと250ccのダブルタイトル獲得を支えました。

1989年に独立してカネモト・レーシングを設立してからは、エディ・ローソン選手を擁して1989年のGP500チャンピオン、ルカ・カダローラ選手とともに1991~1992年のGP250タイトルを獲得。1997年からは再びマックス・ビアッジ選手と組んで、マルボロ・チーム・カネモト・ホンダとして1997年にはGP250のチャンピオン、翌年はGP500のシリーズランキング2位を獲得していました。とにかくスゴい人ですが、ビアッジ選手に代わりジョン・コシンスキー選手が加入した1999年にはメインスポンサーを失っていて、我々がReyプロジェクトを立ち上げた2000年はチーム運営を休止していました。

「本当ですか? それなら、すぐにアーヴさんと連絡を取ってください!」と、私は図々しくもそのマネージャーに懇願。テストの翌日は土曜日で、本来ならHRCもブリヂストンも休業日でしたが、私がHRCを訪ねて、そのHRCマネージャーと打ち合わせをして、アーヴさんへの電話をお願いしました。そして、アーヴさんが本当にレースチーム運営から身を引こうとしていることを確認。「それならぜひ、我々の話を聞いてもらいたい」とリクエストしました。

WGPの最高峰クラスマシンを、アーヴさん以上にちゃんと転がしてくれる人なんてそうはいません。実際のレース経験も豊富で、これもタイヤ開発に役立つことは間違いありません。アーヴさんは、我々にとって雲の上の人というような存在でしたが、当たって砕けろの精神でアタックし続けるしかないと、このとき心に誓ったのです。

―― HRCのチーフメカニックを務めた後、 1989年に独立してオーナーチームを設立したアーヴ・カネモトさん(写真右)は、エディ・ローソン選手と組んで初年度にWGPのGP500チャンピオンを獲得。そして翌年から2シーズン、ワイン・ガードナー選手(写真中央)を起用した。

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みんなのコメント

1件
  • そう言えば 出力の出方が違う並列4発とV4エンジンのタイヤは同じものでない方が理想的なのだろうか!?
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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