フェラーリの伝説的なエンジニアであるマウロ・フォルギエリが、11月2日に亡くなった。87歳だった。
フォルギエリの逝去を受け、エンツォ・フェラーリの息子であり、現在はフェラーリ社の副会長でもあるピエロ・フェラーリが追悼のコメントを発表。かつては会社で共に仕事をしていた存在であるフォルギエリを偲んだ。
■フェラーリF1の伝説的エンジニア、マウロ・フォルギエリが死去。”158”・“312T”で黄金期築く
「1965年にフェラーリに入社した時、フェラーリ最初の従業員であるキャバリエ・ジベルティとオフィスを共にしていた」
そうフェラーリ副会長は語った。
「そして数年前に入社していたマウロ・フォルギエリが隣の部屋にいた。我々は10年、窓を隔てた隣で仕事をしていたんだ」
「我々は毎日顔を合わせていた。フォルギエリは自分のすること全てに精力的で、情熱的だった。そして自信に溢れた人物でもあった。夕方から夜にかけて行なわれた”Gestione Sportiva”の長い長い会議で、私は彼と私の父の間を仲裁することが多かった」
「父は彼の勤勉さを高く評価していた。ミスがあったとしても、それはより良いことを目指すため、そして先を見据えての試みによってのみ生じたモノであることを理解していた」
「我々は歴史の一部、そしてフェラーリとレース界全般に多大な貢献をした人物を失ってしまった」
また現在フェラーリF1のチーム代表を務めるマッティア・ビノットも、次のようにフォルギエリについて語った。
「今日はスクーデリア・フェラーリの全員にとって非常に悲しい日だ」
そうビノット代表は語った。
「我々はここフェラーリで働いた最も素晴らしい人物のひとりであるマウロ・フォルギエリの死を悼む」
「彼は27歳という若さでチームマネージャーに任命された。そしてその優れた洞察力により、自動車業界で最後のオールラウンド・エンジニアのひとりになった」
「私は色々な機会に彼と会ったが、その度に特別なモノを感じた。最後まで、本当にカリスマ的な人物だったんだ」
「彼の革新的なアイデアは、彼の活気溢れる性格、モチベーションを植え付ける優れた能力と共に、フェラーリの 歴史の最も重要な習慣のいくつかで、非常に重要な役割を果たした。そして彼は”跳ね馬”の伝説を押し上げるために多くのことを行なったということを意味している。彼が亡くなって寂しい思いをしている」
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