Loris Bicocchi
ロリス・ビコッキ
イタリア屈指のリゾート地にVIP向け空間「ランボルギーニ・ラウンジ」がオープン
ブガッティの“ハイスピード・エキスパート”
ブガッティの名テストドライバー、ロリス・ビコッキ。目元が親しげで笑うと口の周りに愛嬌のある皺が生まれ、まるで歌うように喋る。彼が情熱的に語りだすと、聞き手は誰もがみな魅了されてしまう。弁じ立てるのは自分自身のことではない。彼は生粋のイタリア人だが、とても慎み深いのだ。
彼が話すのは、つまりクルマのことである。とくにハイパーカーやスーパーカー、そしてブガッティについて。ビコッキはテスト/開発ドライバーとして長年携わってきたブガッティで、いくつもの素晴らしい記録を残してきた。
初めてのテスト車両はカウンタック
1974年、若き日のビコッキはスポーツカーに憧れていた。手の届かない夢だった。サンタアガタ・ボロネーゼで育った彼は、学校を卒業してすぐにランボルギーニで働きはじめる。ビコッキにとってもっとも身近なスポーツカーメーカーだった。
仕事の内容は倉庫係。やりたいこととは違ったけれど、興味を失わずに取り組んだ。疑問に思ったことは合点がいくまで何度も何度も質問を繰り返した。
1年後、彼はメカニックになり、その翌年には初めてスポーツカーのテスト走行を許可される。試験車両はランボルギーニ・カウンタック。「そうして私は20代前半で夢を実現したんです。それからずっと、この仕事を楽しみ続けてきました」。61歳のビコッキは懐かしそうにふり返る。彼にとっては夢そのものが仕事である。
1987年、イタリア人のロマーノ・アルティオーリがブガッティの商標を取得。当時最先端の技術を使ったスーパースポーツの開発に乗り出した。生産設備を置くのに選んだ場所は、フェラーリやマセラティ、ランボルギーニなどが拠点を構え有能な人材が多く集まるモデナ。
アルティオーリはパオロ・スタンツァーニをはじめ、ランボルギーニの開発者や設計者を説得し自身のチームへ引き入れた。「ある日、パオロから電話で呼び出されました。そこでプロジェクトについて打ち明けられ、面白い仕事を一緒にやるつもりはないかと直接言われたのです」。ビコッキは述懐する。
彼に与えられたタスクはひとつ。4基のターボチャージャーを装着したV12を積む四輪駆動のまったく新しい究極のスーパーカーの開発に、テストドライバーとして携わることだった。革新的な技術を載せたEB110 GTとEB110 SSは、1990年代を代表する最先端のスポーツカーとして誕生した。
「自分自身で開発をし、もっと速いクルマを運転したかった私にとって、まさに完璧といえる仕事でした」
夢の仕事
テストドライバーとして、ビコッキはシャシーやブレーキ、空力、タイヤ、エンジン、トランスミッションについて持ちうる限りの専門知識を注ぎ込んだ。「EB110はすべてが新しかった。過去からの流用はありませんでした。膨大なテストを重ねることが許されたのです」
完成したスポーツカーは、いかにもブガッティらしく何年も先を見据えたクルマだった。量産車初のCFRP製モノコック・タブ、1シリンダーあたり5バルブを備えたV12ユニット、4基のターボチャージャー、6速マニュアル・トランスミッション、膨大なパワーは四輪すべてへ配分された。「GTで560hp、SSではじつに610hp/8250rpmというパフォーマンスに達しました。まるでレーシングカーですよ」。ビコッキは興奮した口調で語る。
その性能は2019年の現在にしてもなお驚異的だ。EB110 SSの0-100km/h加速は3.2秒。1991年の段階でニュルブルクリンクを7分44秒でラップしている。「あのクルマがどれだけ先を進んでいたのか、いまでも驚くことばかりです。ダイレクトで純粋で軽くて、とにかく速い。グリップレベルも素晴らしく高かった」
当初40:60だった前後駆動力配分は、最終的に28:72へ改められている。「この設定がEB110のパフォーマンスを最大限に引き上げました。1990年~1995年にかけて、私が何マイルも何時間も走り込んだのはそのためです。どれだけテストを重ねたか、はっきりとは覚えていません。とにかく毎日ブガッティの運転席に座っていたんです。まるで見果てぬ夢の中にいるように」とビコッキ。
EB110という人生最高の体験
「EB110は私の人生とキャリアにとって最高の一台です。あの頃抱いていた感情は、いまもはっきりと思い出せます」。EB110の最高速度の公認記録は342km/h。いまからちょうど25年前の1994年7月にはCNG仕様のEB110 GTが公道量産車として世界最速の344.7km/hを叩き出している。さらに同僚のジャン・フィリップ・ヴィトコクがEB110 SSで351km/hを計測するが、間もなくしてブガッティは破産宣告を余儀なくされた。
ビコッキはしばらくの間ブガッティでの活動を制限される。しかし彼はもうEB110なしにはいられなかった。やがてGTレースを戦うモナコ・レーシング・チームに参加し、IMSA選手権のGTS-1クラスやル・マンのGT1クラスへEB110で挑む。彼の知識とスキルはスーパーカーの世界で強く求められた。しかしビコッキの心はブガッティに奪われたままだった。
1998年、フランス・アルザスのモルスハイムでブガッティの名が復活した。その2年後、ビコッキはそこで働く仲の良いエンジニアから一本の電話を受ける。新しいプロジェクトを一緒にやる気はないか、そう彼は言ったという。「EB110のように、ヴェイロンもすべてが新しいクルマでした。真似すべき相手はいません。パワーは1000hp以上、400km/hを超える速度は想定外でした」。世界最高速のクルマをテストするビコッキの日々が再び始まった。
ヴェイロンをつくるという挑戦
ヴェイロンの2台目のプロトタイプから、ビコッキはシャシーやサスペンション、ブレーキ、タイヤ、そしてステアリングを躾ていった。「量産車の世界では誰も挑んだことのない領域へよじ登ることは、とてもやりがいのある作業でした」とビコッキは語る。
ドライバーへ負荷をかけずに、凄まじいパワーを路面に伝えながら容易に運転できること。それが彼に与えられた課題のひとつだった。空力と高速走行のテストの最終段階では、ビコッキと同僚エンジニアはミリ単位での調整を繰り返した。
「高速走行では、フラップやスポイラー、ディフューザーの角度を数ミリ変更するだけで挙動や姿勢が変わってしまうんです。だから何度も何度も試行錯誤しながら、最適解へ近づいていかなければなりませんでした。徹底的に微調整を繰り返したんです」
ヴェイロンの後継者であるシロンにもまた、ビコッキの専門知識が必要とされた。彼は公道やテストコース、寒冷地から酷暑地帯まで、世界中で数千kmの走行テストを実施。ブガッティのコクピットに座るビコッキは、以前と変わらず疲れ知らずのままだった。
ヴェイロンとシロンはいずれもハイパースポーツカーに違いないが、両車はまったく異なる存在だ。「ヴェイロンはすべてが個性的なクルマでした。そして、シロンはその進化版ではありますが、まったく新しいクルマなのです」
空力性能もシャシーもエンジンもすべてが変わった。油圧制御だったステアリングは電子制御になり、より精度が増した。四輪を駆動するシステムも精密になり、より力強いトラクションを得られるようになっている。「シロンはヴェイロン以上にダイナミックなクルマですが、同時にさらなる安全と快適性を手に入れました」
モルスハイム発のハイパースポーツカー、シロンは驚異的なパワーとパフォーマンスを持つ。しかしビコッキを魅了するのはその2点だけではない。とりもなおさず彼が惚れ込んでいるのが、その優れたドライバビリティだ。長年ブガッティへ身を捧げてきた彼は、想像上のガレージに2台のクルマが納まる姿を夢見ている。1990年代最高峰のスーパーカーEB110 SS、そしてシロンである。
ロリス・ビコッキは柔らかく微笑んでいる。そしていつもそうしてきたように、いまもはるか前を見つめている。スピードへの情熱と正確な分析力は、この45年の間にひとかけらも失われることがなかった。結果に満足しあぐらをかくことをせず常に研究し完璧を追い求め、車両開発の手を止めることがない。彼の足並みは、じつはエットーレ・ブガッティのそれとぴたり揃っている。完全を絶えず追い求め、エンジニアリングを芸術の域まで押し上げたあの人と。
ビコッキがブガッティと過ごして安心感を覚えるのは、そういう理由なのかもしれない。
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