ウイリアムズF1チームの創設者であるフランク・ウイリアムズが、亡くなった。享年79歳だった。
ウイリアムズF1チームによると、フランク・ウイリアムズは先週の金曜日(11月26日)に入院し、日曜日(28日)朝に、家族に見守られながら、息を引き取ったという。
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フランク・ウイリアムズは、1977年にウイリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを設立。F1への参戦を開始すると、1979年にはクレイ・レガッツィオーニの手により、母国イギリスGPでF1初優勝を手にした。
結局同年にはレガッツィオーニとアラン・ジョーンズの手により合計5勝を挙げ、コンストラクターズランキング2位に躍進。そして翌1980年には、ジョーンズがドライバーズタイトルを獲得し、チームもコンストラクターズタイトルを獲得した。
その後はトップチームの一角を長年にわたって形成し、ケケ・ロズベルグ、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、デイモン・ヒル、ジャック・ビルヌーブらのチャンピオンを輩出した。
しかしその一方で、フランク・ウイリアムズは1986年に自動車事故に見舞われ、以後は車椅子での生活を強いられることになった。
近年では、実娘のクレア・ウイリアムズが副チーム代表として実質的な責任を担いチームを運営してきたが、成績は低迷。2020年9月には、チームをドリルトン・キャピタルに売却し、ウイリアムズ家の人々はチーム運営から退くことになった。
チームは日曜日に次のような声明を発表し、フランク・ウイリアムズの死去を伝えた。
「フランクは我々のスポーツの真の伝説であり、アイコンであった。彼の死は、我々のチームとスポーツとしてのF1の一時代の終わりを示している」
「彼は他に類を見ない、真のパイオニアたる存在だった。彼の人生には、逆境と言えることも多かったが、チームを16回ものチャンピオンに導き、ウイリアムズをこのスポーツの歴史の中でも最も成功したチームに成長させた」
「誠実さ、チームワーク、確固たる独立性と決意を含んだ彼の価値観は、我々のチームにとって中心的な精神であり、我々が掲げているウイリアムズ家の名前と同様に、彼の遺産とも言える」
フランク・ウイリアムズ卿のご冥福を、心よりお祈り申し上げる。
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