■連載/金子浩久のEクルマ、Aクルマ
コロナ禍が収束したら再開したいものの上位に「旅」が入る人は多いだろう。僕もそうだ。撮り溜めたBSテレビの紀行ドキュメンタリーなどを観ながら、指折り数えて待っている。海外旅行は、ハードルが高くなる。国境を再び開いて、多くの人々に対して入国許可をくれないと難しい。
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さらにハードルが高くなるのが、自動車旅行だろう。期間が長くなり、さまざまな場所を通っていくからだ。ちょうど、コロナ禍が始まる前に紹介された人と旅があった。マツダ「ロードスター」の開発責任者を務め、現在はロードスターアンバサダーの山本修弘さんから「スゴい人がいるんですよ」と紹介されたのだ。
ドイツ人のクラウス・フォン・ディレン(Herr.Klaus von Deylen)さんは、夫妻で2019年8月にドイツを出発して東へ進み、モスクワを経由してウラジオストクからフェリーに乗り、鳥取県境港に上陸した。ディレンさんたちが運転してきたのが、1967年型のNSU社製の「Ro 80」という4ドアセダンだ。
NSU社は現在は消滅してしまったが、ロータリーエンジンを世界で初めて商品化したことで有名だ。そのクルマは「ヴァンケルスパイダー」というクルマだったが、次にローター数を増して出力を増大させたのが「Ro 80」だった。「Ro 80」はロータリーエンジンを搭載していることだけでなく、空力特性を追求した先進的なデザインが施されたボディをはじめ、エンジン縦置き前輪駆動方式など数々の優れた設計によって評価が高かった。この年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
ディレンさん夫妻は、それまでにも「Ro 80」による長距離ドライブ旅行を経験済みで、インド、パキスタン、中東、カンボジアとベトナム、オーストラリア、チリをはじめとした南米諸国、アイスランドなどを走っている。また、2008年にはニューヨークからサンフランシスコまでの北アメリカも横断している。
そして、2019年には念願のユーラシア大陸横断だった。ディレンさんには目的があった。日本に上陸したら広島のマツダを訪ねることだ。マツダはNSU社亡き後もロータリーエンジンの開発を続け、多くのクルマを製造していたことはよく知られている。1991年にはロータリーエンジンを搭載した「787B」でルマン24時間レースで総合優勝したことは世界中から大きなリスペクトを集めた。
「広島に行くというのは、NSU以外でロータリー・ピストンエンジンを造った唯一のメーカーを訪問するためです」
そんなマツダに、「Ro 80」を運転して訪問することは、まさに“ロータリーエンジン巡礼の旅”だった。マツダでは夫妻を本社で歓迎し、ミュージアムにも案内した。開発担当者も夫妻を出迎え、ロータリーエンジンに関するディスカッションも行われた。
「マツダでは大歓迎を受け、非常に感激しました」
ディレンさんの「Ro 80」には、さまざまんモディファイが加えられている。ラジエーターの大型化、電動ファン大型化、2サイクルエンジン用オイルによるシール潤滑、点火装置のフルトランジスタ化、スパークプラグ“かぶり”防止のための自作の点火停止スイッチなどロータリーエンジンを知り尽くしていないと施せないモディファイに、マツダの開発者たちも大いに感心させられた。
モスクワからウラジオストクまでディレンさん夫妻が走ったルートは、僕らが2003年に逆方向に東京からポルトガルのロカ岬まで走った時のものとほぼ同じである。僕らの時は、ハバロフスクからチタまでの極東シベリアの道路状況の悪さに大いに悩まされたが、15年後は立派なバイパスもできて問題はなくなっている。そのことを、僕と同じルートを一人でポルシェ356を運転してドイツに向かった鈴木利行さんから教わった。
https://note.com/kanekohirohisa/n/ncbf72867abfb
ディレンさんも、特に大きな問題はなかったようだ。
「たいていのことは今まで経験がありますし、私たちの健康状態が最優先事項でした。ホテル検索予約サイトから簡単にホテルの予約ができるので、夕方、翌日のホテルの予約をしていました」
僕らが大きく心配したガソリンスタンドも問題ない。
「ガソリンスタンドも十分にありましたが、Ro 80のガソリンタンクが大容量だったことが給油回数を少なくしてくれ、有利でした」
毎日はじめて訪れる場所の連続となる旅は大いに刺激的だ。
「一日一日、訪れたすべての土地が初体験で、一日に1000km走った日もありました。素晴らしい体験の連続でした」
その後、ディレンさんはユーラシア大陸横断と日本での旅を終え、無事にドイツに戻られた。
「新たな旅の可能性や行先を見付けた時は、いつでも『Ro 80』に乗って旅をしたくなります。20年もの間、ロータリーピストンエンジンに失望したことは一度もありませんでした。次の行き先は北極圏で、バレンツ海に面したキルケネスやガンヴィク辺りまで行ってみたいと考えています。この辺りはノルウェー最北端の港町なのでマイナス40度近くにもなるところなので、妻は留守番の予定です」
ディレンさんの旅は続く予定だったが、コロナ禍に巻き込まれることなく、無事に走ることができたのだろうか? ディレンさんにしても、鈴木さんにしてもクラシックカーでユーラシア大陸を横断してしまったところがスゴい。
そのバイタリティと実行力に最大限の敬意を表する。しかし、現実にふたりはそれを成し遂げたわけだから、道路状況やWi-Fi環境が劇的に改善されて、その分の旅の負担が軽減されていることは間違いないのだ。だから、こちらの旅ごころも大いに刺激されてしまうのだが、コロナ禍が収束されないことにはどうしようもない。今はただ地図を眺めて、ルートを想像するだけだ。
文/金子浩久(モータージャーナリスト)
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みんなのコメント
自走で行った人もいる。