時代の狭間で変遷を繰り返した猛牛
週刊プレイボーイで『サーキットの狼』第二章として連載が始まった『サーキットの狼II モデナの剣』は、バブル経済の象徴として1980年代の日本を再び席巻することになる。主人公である“剣・フェラーリ”と共に登場するスーパーカーはカーマニアたちを魅了すると共に輸入車ブームに拍車を掛け、日本の自動車文化の飛躍的な向上に貢献した。
池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼II』とその後【第9回:ひと目惚れしたディアブロSV】
ここでは自動車漫画の草分け的存在である両作品の作者であり、スーパーカーのカリスマとして名を馳せる池沢早人師先生をお招きし、1990年代を駆け抜けた素晴らしきスーパーカーたちを振り返ってみたい。今回はスーパーカーの主役でありフェラーリと双璧をなすランボルギーニの「ディアブロSV」を振り返る。
ランボルギーニ本社で試乗してひと目惚れ
『サーキットの狼』の連載終了から10年後。1989年から週刊プレイボーイで続編として描き始めた『モデナの剣』はバブル経済の時期とリンクしている。そうなると昔は手が届かなかった輸入車に人気が集まり、BMWやメルセデスが馬鹿売れし、ちょっとマニアックなクルマ好きはフランスやイタリアのクルマに夢中になった。さらに業界人やファッション系ではポルシェやフェラーリに乗るのがステータスになり、深夜の六本木や芝浦はモーターショーさながらの華やかな風景を見せてくれた。
そんなバブル景気もすっかり薄くなって、本気のクルマ好きだけが頑張ってスーパーカーを手に入れる時代になっていた1997年。当時はバブルの名残もあってどの自動車雑誌でも輸入車が表紙を飾り、恒例行事のようにメルセデスやフェラーリ、ポルシェの特集が組まれていた。そんな時、GENROQ編集部から声がかかり、イタリア取材としてフェラーリとランボルギーニを訪れることになったんだ。
スーパーカー好きとしてはこんなに美味しい取材は無いと思い、編集部員とイタリアへ飛ぶことになった。そこで出逢ってしまったのがディアブロSV。ランボルギーニの本社で歓迎してもらったボクたちだけど、試乗することになったディアブロSVがこれまた凄かった。これは試乗車として用意されたクルマではなく、今回の取材のためにファクトリーからラインアウトして手押しで登場した個体。それをその場でガソリンを入れて提供してくれたんだからね。これには感動したねぇ。
鮮やかなブルーのボディにグラフィカルな「SV」のロゴをデザインしたディアブロは、イタリアの風景にとても似合っていた。エンジンをかけるとV12気筒エンジンが迫力のサウンドを響かせ、ボクの脳ミソからアドレナリンを絞り出す。
伝説のテストドライバーとランデブー
試乗へと向かう先導車にはランボルギーニのテストドライバーであるヴァレンティーノ・バルボーニさんが乗り、ボクが追いかけるかたちになったんだけど、まぁ伝説のテストドライバーは容赦がないよね。ファクトリーから出た一般道で「ちょっとペースが速いじゃん」と思ってメーターを見たら200km/hを超えていた! まあ、そのおかげでディアブロSVの実力が堪能できたんだけどね(笑)。
基本的にスーパーカーの試乗はお披露目的なものが多く、腫れものに触るような試乗会が普通なんだけど、バルボー二さんはボクに本当の性能を味わってもらうため先頭に立って体現してくれたんだと思う。それにこの時の試乗に至る前、彼は1995年の全日本GT選手権の開幕戦・鈴鹿サーキットに来ていて、その際にボクがディアブロでレースに出ていたのを知っていた。だからこそ遠慮することなくランボルギーニの性能を分かって欲しいという“無言の心遣い”だったんじゃないかな。そんな心配りができるところもバルボー二さんがレジェンドたる所以なんだよね。
実際にディアブロSVに乗って感じたことは、V12エンジンはカウンタック時代とは比べ物にならない軽さとパワフルさで、アクセルを踏み込めば3速でもホイールスピンをするほど豪快だった。同じV12エンジンでもフェラーリとは全く別次元のベクトルで開発されている。フェラーリが跳ね馬でランボルギーニが猛牛・・・。その違いがディアブロSVに乗って心から理解できた。
世の中には速いクルマ、パワーのあるクルマはたくさんあるけど、ドライバーをワクワクさせるクルマって意外と少ないんだよね。でも、ディアブロSVにはそれがある。シザースドアを跳ね上げてドライビングシートに滑り込んだ瞬間から鼓動は高まり、エンジンを始動させてクラッチを繋ぐことで非日常への世界と連れていかれる。スーパーカーとしての夢と楽しさが揃ったクルマとしてボクは完全にひと目惚れしてしまった。
念願のディアブロSVを手に入れたが・・・
カウンタックからの後継モデルとして登場したディアブロだけど、初期モデルはさほど魅力的には感じていなかった。前方視界を遮るように上方に飛び出したメーターナセルやスタイル自体もボクの好みじゃなかったしね。でも、イタリアで試乗したディアブロSVはボクの心のタガを外してしまったようで、帰国後も衝撃を忘れることができず“生涯の1台”と心に決めていたポルシェ 911 GT2を手放してディアブロSVを買ってしまった。もちろん、オーダーしたのは試乗車とまったく同じブルーのボディにSVのロゴをデザインしたモデル。でも、その時は悲劇が訪れることを予感さえしていなかった・・・。
手元に届いたディアブロSVは、イタリアで試乗した“憧れ”と同じ姿で目の前に現れた。鮮やかなボディに印象的なSVのデカールが輝いて見え、ボクの心臓は早鐘を突いたようにレッドゾーンへと突入することに。でもポルシェ 911 GT2を手放して迎えたディアブロSVは、イタリアで試乗した時の感動には遠いものだった。
あのとき見た景色と刺激はなんだったんだろう!? 確かに軽さとレスポンスはかつて所有していたカウンタック LP400 Sなど問題にならないほどパワフルだったけど、停車中のバイブレーションが収まらず、それはエンジンの振動だけでなくてボディ全体にも及んだ。猛牛ならぬ震えるクルマだった。そして、伝説のドライバーと楽しんだイタリアでのランデブーを再現してくれることはなかった。
交換したマフラーは火柱を上げた!
そう、ボクは大切なことを忘れていたんだ。昔からランボルギーニは個体差が激しいということを・・・。これまで数々のスーパーカーに実際に乗って、あまつさえ数多くのランボルギーニ・オーナーと出逢い「苦労しています」という台詞を聞いていたのにね。その時は愛しの彼女に振られるとは思っていなかった・・・。
その後、色々と手を尽くしたけど相棒がベストコンディションを取り戻すことは無く、イタリアでひと目惚れして手に入れたディアブロSVは半年も経たずにボクの元から去っていった。その姿に「ランボルギーニらしい・・・」と少しばかり切なくなったことを今でも覚えている。
ディアブロSVと過ごした僅か半年間でも印象的だったのは、雨天時の走行を終えた数日後には車内がカビ臭くなってしまうこと。新車で購入したにも関わらず、気密性の低さは天下一品(涙)。
それから購入後にマフラーを交換したけど、そのマフラーが凄すぎた。加速後にアクセルを戻すと猛然とバックファイヤーを噴きあげるんだ。吐き出される炎はリヤバンパーを焼き、車体の三分の一もの長さで豪快に噴き出していた。友人である某俳優夫妻とクルマを交換してドライブを楽しんでいたんだけど、初めて自分のディアブロSVを後ろから見てビックリ。このままその俳優夫妻が燃えてしまうんじゃないかと思って、慌ててクルマの運転を変わってもらった。
”ディアブロ イオタ”の名付け親に
あまり良い思い出が無かったディアブロSVだけど、1995年に全日本GT選手権に出場するためランボルギーニが寺井エンジニアリングに向けて3台だけ製作したレース仕様のディアブロには大きな思い入れがある。
ボクは1995年から1996年にその車両で参戦したんだけど、ランボルギーニでは当初「ディアブロ・コルサ」と名付ける予定だった。でも「レース仕様のランボルギーニなら“イオタ”でしょう!」というボクの意見が通ってエントリー名は「ディアブロ イオタ」になり、幻の車名が復活することになったんだ。その後、イオタ復活のニュースは世界中のランボルギーニ・ファンを驚かせたと聞いている。
ランボルギーニのレース活動を先駆けた全日本GT選手権
ミウラをレーシング仕様にしたオリジナルのイオタはレースに参加することはなかったけど、その果たせなかった夢を実現した「ディアブロ イオタ」の名付け親になれたことは自分でも誇らしく思う。さらにイオタの名前を冠したレーシングカーでレースに出場したのは世界でも数名しかいないから、その中のひとりに選ばれたことも大きな名誉だね。
それにこの時、JLOC(編注:ジャパン・ランボルギーニ・オーナーズ・クラブ)のランボルギーニによる初のレーシングカーがあったからこそ、今となってはランボルギーニが当たり前のように世界のサーキットを走るシーンが見られることになったんだから嬉しいね。
Lamborghini Diablo SV
ランボルギーニ ディアブロSV
GENROQ Web解説:名車カウンタックの後継モデル
世界中に熱狂的なファンを持つランボルギーニ社は、イタリアの名門フェラーリのライバルとして数々の伝説を築き上げたスポーツカーメーカーだ。その歴史は1963年へと遡り、創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニが軍用トラックをベースに民間用として販売したことが礎となる。その後、自社製のトラクターを開発し、1949年にランボルギーニ・トラットリーチ社を設立。1960年にはランボルギーニ・ブルチアトートリ社を立ち上げ、ボイラーとエアコンの製造販売で更なる富を築いた。
富を得たフェルッチオはスーパーカーの収集を趣味とするも、それだけでは飽き足らず自らの手でフェラーリをベースにエンジンヘッドやキャブレターに手を加え、驚異的な速さを実現したという。その経験を活かし自動車製造の世界へと進出する。1963年には自社製の350 GTVをトリノショーへと出品し、翌1964年には改良を加えた350 GTを市販車としてラインアウトすることで自動車メーカーとしての歴史をスタートさせた。
そんなランボルギーニの初期の代表的な作品が、日本でのスーパーカーブームの中心になったミウラとカウンタックだ。なかでもカウンタックはV型12気筒エンジンとマルチェロ・ガンディーニによるシザースドアを備えた斬新なボディデザインが注目を集め、スーパーカーの王様としてランボルギーニの名前を世に知らしめた。
最高出力530psを発生したディアブロSV
その後継モデルとして1990年に登場したモデルが、イタリア語で“悪魔”の意味を持つ「ディアブロ」である。5709ccの排気量を持つV型12気筒DOHCエンジンをミッドシップした初期モデルは492ps/7000rpmの最高出力を叩き出し、後期モデルでは排気量を5992ccへと拡大して最高出力を550ps/7100rpmへと変更。搭載されるV型12気筒DOHC48バルブエンジンは先代のカウンタックと同様の縦置き方式を採用している。
12気筒エンジンを納めるフレームはマルチチューブラーフレームを用い、その断面はカウンタック時代の丸型から角型へと変更。ボディディメンションは最終モデルのカウンタックよりも150mmほどホイールベースを延長し、室内スペースの確保へと貢献している。
ボディデザインはカウンタックに引き続きガンディーニが担当。初期モデルはスーパーカーの王道であるリトラクタブル式のヘッドライトを採用していたが、その後世界的な安全基準の見直しやデイライト点灯の義務付けに対応するため固定式へと変更。この固定式のヘッドライトは日産フェアレディZ(Z32)のパーツを流用していたことはあまり知られていない。また、初期モデルではメーターナセルが高く盛り上がったデザインだったが、視認性の悪さから後期型ではコンパクトなデザインに変更されて視認性は向上している。
11年の長きに渡ってランボルギーニを支えた名車
今回、登場したディアブロSVのディメンションは全長4460×全幅×2040×全高1115mm、ホイールベースが2650mm、車両重量が1530kg。搭載されるV型12気筒DOHC48バルブエンジンは5707ccの排気量が与えられ、530ps/7000pmの最高出力と59.2kgm/5900rpmの最大トルクを発揮し、合計343台が生産された。
モデルの変遷では1993年に4WDを採用した「ディアブロVT」を追加し、同1993年には30周年記念モデルとして「ディアブロSE30」を発売。1995年にはオープンモデルとしてロードスターが登場する。1996年からはRWDの「ディアブロSV」、1998年には同モデルをベースとした35周年記念モデル「ディアブロSE35」、「ディアブロSVロードスター」を追加した。
1999年から2000年にはレース用モデルを公道用に仕様変更した「ディアブロGT」を限定80台で生産。2000年には排気量を5992ccへと拡大した4WDモデル「ディアブロ6.0」、チタニウム・メタリックの特別カラーを纏ったミレニアム・ロードスター、翌2001年には最終モデルとして「ディアブロ6.0SE」をリリースした。
カウンタックの後継モデルとして活躍したディアブロは、数々のマイナーチェンジ、限定車をラインナップに加えながら11年という長きに渡り王座を守り抜く。その後、アウディ傘下となった新生ランボルギーニになってから、ムルシエラゴへとその座を譲ったのである。
REPORT/並木政孝(Masataka NAMIKI)
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みんなのコメント
メーターがでかくて前が見えないし、横も後ろも見えない
ペダルはセンターに異常に寄ってる、上方向には狭くて足の大きな私は上は引っかかる
ドアはタワンタワンで適当に下げるとボディにヒットしそう
窓を下げようとすると、壊れるので半分以上開けないでくれと言われた、前期物は常識だそうだ
これでパワステ無し
これを普段乗ってるのは凄いと思った
普通に街を乗ってるだけでもとってもスリリングでスポーツだ