似ているけど何か違う…
わざわざ手間と費用をかけて違うクルマを作る必要はない! 1台のクルマを、名前を変えて別のブランドから売ればよいではないか……。
【画像】売れると思った……のか!? トヨタIQベースの小さすぎる高級車【アストン マーティン・シグネットを写真で見る】 全28枚
かなり大雑把な説明だが、これは「バッジ・エンジニアリング」や「OEM供給」、または「リバッジ」などと呼ばれる行為で、長年にわたって多くの自動車メーカーが行ってきた。通常は同一メーカーが所有するブランド間で行われるが、時には他社との間で行われることもある。例えば、写真のフィアット・フルバックは、三菱トライトン/L200の姉妹車で、タイで生産されていた。
このようなリバッジモデルは世界中に何百とあるが、今回は代表的な41台を選び、アルファベット順に掲載する。仕様やスタイリングのディテール、場合によってはドライブトレインがオリジナルと異なるものも対象とするが、それ以上のものは取り上げない。
(翻訳者注:この記事は前編・後編に分けて公開されます。後編もぜひお楽しみください。)
アカディアン・ボーモント
アカディアンはゼネラルモーターズ(GM)傘下のカナダ向けブランド。1962年から1971年まで、シボレーをわずかに改良したモデルをポンティアックとビュイックのディーラーで販売していた。
初期のボーモントはシェビーII、次のモデル(写真)はシェベルをベースとしている。やがてボーモントは独立ブランドとなり、消費者にはシェビーIIベースの初期モデルだけがアカディアンとして認知されていた。
アルフェオン
アルフェオンは、韓国で短期間運営されたGM傘下ブランドである。第2世代のビュイック・ラクロスを現地生産することになったが、当時ビュイックは韓国で無名であり、またシボレーに改名するのも不適切で、大宇ブランドも廃止されようとしていた。
そこで、このモデルを販売するために2010年にアルフェオンが設立された。その5年後、韓国GMが米国製の第10世代シボレー・インパラの輸入を開始したため、同ブランドは廃止された。
アストン マーティン・シグネット
アストン マーティンが誕生してほぼ1世紀、どの時点においても、日本のコンパクトカーをリバッジして市場投入するという話は厳しい批判を受けたことだろう。しかし、2011年にそれは実際に行われた。
シグネットはトヨタiQの装備レベルを上げ、外観を一部変更し、驚くほど高い値札を付けたものだった。売れ行きは非常に悪く、アストン マーティンはそれ以来、似たような試みをしたことはない。しかし、わずか300台しか生産されなかったため、その希少性から現在ではプレミアムがついており、ロンドンの高級住宅街では驚くほどよく見かける。
アスナ・サンランナー
アカディアンと同様、アスナはカナダ市場専用のGM傘下ブランドだった。1990年代初頭のごく短期間に、日本と韓国から輸入した3つのモデルを販売していた。サンランナー、サンファイア、そしてSEまたはGTとして知られるセダンである。
このうちサンランナーは、スズキ・エスクード、スズキ・ビターラ、シボレー・トラッカーなどさまざまな車名で世界中で販売された小型SUVだ。地球上でもっともリバッジされたモデルかもしれない。
アウディ50
今日に至るまでアウディが販売した最小のクルマ、アウディ50は、初代フォルクスワーゲン・ポロとほぼ同じものだった。アウディによれば、1974年にアウディが先陣を切って販売開始し、1975年3月31日にポロの生産が開始されるまでに4万3002台の50を生産したという。このことから、初代ポロはアウディ50のリバッジモデルだったと言うのが正しいだろう。
ただし、アウディ50は1978年に生産終了したのに対し、ポロは現在第6世代である。正確性には欠けるが、ポロのリバッジと考えるほうが簡単だ。
BMW 3/15
BMWは1928年、アイゼナハ自動車製作所(Fahreugfabrik Eisenach)の買収を通じて自動車産業に参入した。今ではほとんど忘れ去られたこの会社は当時、ドイツでオースチン・セブンをライセンス生産し、ディクシー(Dixi)という名で販売していた。
BMWは買収後にディクシーから3/15へと改名し、徐々に改良を加えていく。その後1932年に登場した新型3/20は、オースチン・セブンのリバッジではなく自社開発の自動車である。
シトロエンCクロッサー
シトロエンCクロッサーとその兄弟車プジョー4007は、2005年に発売された三菱アウトランダーのリバッジモデルである。
エンジンはフランス製だが、それ以外はほぼ三菱の設計を踏襲している。このリバッジは商業的には大きな成功を収めたとは言えず、次の世代のアウトランダーまで引き継がれることはなかった。
大宇G2X
GMのカッパ(Kappa)プラットフォームは、いくつかのコンセプトカーと4車種の市販スポーツカーに使用された。後者のうち、ポンティアック・ソルスティスは独特のスタイリングを持っているが、サターン・スカイとオペルGTはバッジを除けばほとんど同じだった。
欧米や日本のドライバーにはあまりなじみのない大宇G2Xは、基本的にはスカイやGTと同じクルマだが、サターンのレッドライン仕様に搭載されたターボエンジンのみが用意されていた。2007年から2009年にかけて販売されたのはわずか179台と報告されている。
大宇ロワイヤル
韓国におけるGMの事業が複雑だった1978年頃、大宇ロワイヤルはセハン・レコルトというクルマの後継車として登場した。
その名前と一部のデザイン以外は、基本的にオペル・レコルトEと同じである。したがって同時代のヴォグゾール・カールトンやホールデン・コモドールとも多かれ少なかれ同じものであった。
ダッジ・ブリザ
ダッジとしては極めて珍しい、ヒョンデとの提携により販売されたのがブリザだ。2002年から2006年までベネズエラで生産された初代ヒョンデ・アクセント(写真)のリバッジモデルである。
ブリザという名は、まったく関係のない1970年代のキア車にも使われていた。こちらは第2世代のマツダ・ファミリアの亜種だった。
フィアット・フルバック
第5世代の三菱L200(トライトンまたはストラーダとも呼ばれる)を、フィアットがリバッジし、2015年から2019年まで生産したのがフルバックだ。バッジや非常に細かいディテールを除けば、ほぼ同じクルマである。
2020年以降にフルバックの後継車として登場したフィアット・ティターノは、プジョー・ランドトレックのリバッジモデルだ。
フィアット・セディチ
前輪駆動と四輪駆動が選べるコンパクトSUVのセディチは、スズキSX4のリバッジモデルで、ハンガリーのスズキ工場で生産されていた。AUTOCARも試乗レビューでかなり感銘を受け、「確かにこれを避ける特筆すべき理由はない」と評した。
2009年に改良されたが(写真)、2013年に登場したスズキの新型SX4 Sクロスをベースするフィアット車は存在しない。フィアットのこのタイプの現行モデルは500Xで、ジープ・レネゲードに関連するが、リバッジではない。
フィアット・ヴィアッジオ
世界金融危機でクライスラーが倒産した後、フィアットは同社に投資し、ダッジ・ダートという最新モデルを生み出した。アルファ・ロメオ・ジュリエッタのプラットフォームの大型版をベースとしている。
フィアットはその後、ダートを改造してヴィアッジオとし(変更は最小限だったが)、中国で販売した。そこからさらに一歩進んで、オッティモというモデルも開発した。4ドア・セダンではなく5ドア・ハッチバックという点を除けば、基本的には同じクルマだ。
ヒンドゥスタン・アンバサダー
大ヒットを記録したアンバサダーは、1957年から2014年という非常に長い生産期間を通じてかなりの改良が行われてきたが、当初はモーリス・オックスフォード・シリーズIIIのリバッジモデルであった。
近い将来、ヒンドゥスタン・モーターズが新型アンバサダーを発表するという話もあるが、もしそうなったとしても、先代との関連性は薄いと思われる
ホールデン・ジャッカルー
初代と第2世代(写真)のいすゞ・トゥルーパー(ビッグホーン)は、GMのオーストラリア部門でジャッカルーという名称で販売された。初代はホールデン初の四輪駆動車だった。
19世紀から使われているジャッカルー(Jackaroo)という言葉は、羊や牛の放牧場で働く若者を指す。
ホンダ・クロスロード
ホンダはクロスロードという名のSUVを2車種販売している。第2世代(2007年)はすべて自社開発である。1990年代に登場した初代は、ランドローバー・ディスカバリーのリバッジモデルで、当時ホンダとローバーが業務提携をしていたことから実現した。
その3.9Lエンジンは、現在に至るまでホンダの市販車に搭載されたものとしては最大であり、また唯一のV8エンジンである。
いすゞ・オンブレ
いすゞは、世界的にはとりわけピックアップトラックで有名である。ロデオやDマックスを知らない人はいないだろう。だがおそらく、オンブレはあまり聞き馴染みがないかもしれない。
1990年代後半に短期間販売されたシボレーS-10に、若干のデザイン変更を加えたモデルである。後継のiシリーズは、S-10の後継車であるシボレー・コロラド/GMCキャニオンと似たような関係にある。
ランチア・フラビア
ここで取り上げるフラビアは、1960年代を通じて販売され、後に「2000」と改名されたクルマとは何の関係もない。欧州市場で販売されたクライスラー200コンバーチブル(クライスラー・セブリングの改良型)をわずかに改造したものだ。
2012年に導入されたが、2年後に新型200の発売を受けて廃止された。
マツダ121
マツダは1970年代半ばから21世紀初頭まで、いくつかのモデルに「121」の名称を使用している。興味深いのは、よく見なければ第4世代のフォード・フィエスタとほとんど区別がつかないこのクルマだ。
両車は2002年まで生産された。それ以来、マツダ121というクルマは存在しない。
(翻訳者注:この記事は前編です。続きは『知っていたらスゴイ! 奇妙で無名なOEM供給車 41選 後編 「リバッジ」されたマイナーモデル』でお楽しみください。)
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みんなのコメント
自社で陳列棚分を準備出来ないメーカーはいっぱいあるでしょ。