コンパクトボディのSUVが世界中でヒットする!
1990年代初頭、北米を中心にジリジリとSUVの人気が高まっていた。そんななか、トヨタは極めてコンパクトなSUV、RAV4を世に送り出す。乗用車同様のモノコックボディを採用しクロスオーバーSUVの元祖となった。
【ムービー】チーフエンジニアに会場でインタビュー! 新型RAV4は走りも楽しいSUV
1994年 初代RAV4 モノコックボディを採用するコンパクトSUVの元祖
全長約3.7mとコンパクトなSUV。フレーム構造ではなく乗用車と同様のモノコックボディを採用し、駆動方式はセンターデフを備えた4WDだ。1995年にはホイールベースと全長を伸ばした5ドアのRAV4 V(ファイブ)を追加し、1997年には2WDもラインアップに加わった。 映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」で、現代に舞い戻った主人公マーティが、ガレージのクルマを見て驚くシーンがある。そこにあったのはビカビカのトヨタ・ハイラックス。マーティ憧れのクルマだった。このシーンに象徴されるように、北米では昔からピックアップトラックの人気が高い。
だがトラックゆえ雨が降れば荷物が濡れる。そこでFRP製の屋根(シェルという)を装着したモデルを発売したところ、意外なヒットとなった。だったら最初から屋根付きでもいいのでは……という発想で生まれたクルマがスポーツ・ユーティリティ・ビークル(SUV)と呼ばれるようになっていく。
トヨタもそんな定石通りに、3代目ハイラックスにシェルを装着して1984年、初代「ハイラックスサーフ」を誕生させる。北米では「4ランナー」という車名で大ヒット。1989年登場の2代目では最初から屋根付きクローズドボディが与えられた。
そんなとき、日本からユニークなクルマが生まれる。スズキ・エスクードである。トラックベースの比較的大きいSUVが多いなか、群を抜いて小さかった。エスクードは国内外でヒットし、コンパクトSUVというジャンルを切り拓いた。
そこに参入したのがトヨタRAV4である。エスクードが多くのトラックベースSUVと同様にラダーフレーム構造だったのに対し、RAV4は乗用車と同様のモノコックボディを採用した。つまり乗用車とSUVの融合=クロスオーバーSUVの元祖とも言える存在だった。北米ではクロスオーバー・ユーティリティ・ビークル(CUV)とも呼ばれた。RAV4はCUVという分野を開拓したのだ。
全長はわずか3.7mと極めてコンパクト。2Lエンジンのみ搭載する4人乗り。翌年には、全長4.1mまで伸ばした(それでも十分コンパクト)、5ドア&5人乗りのRAV4 V(ファイブ)を追加。こちらはファミリーユースにも十分対応できるものだった。乗用車と遜色なく軽快に走り、日常ユースがまったく苦にならないSUV。RAV4は日本を含む世界中で大ヒットし、SUVの価値をさらに拡げる役割を果たした。
東モに登場したプロトタイプ 1989年 RAV-FOUR
1989年の東京モーターショーに出展されたRAV4のプロトタイプ。サイドパネルなど市販車と似ているが、丸目ライトやオーバーフェンダーなど、ジープのような印象。会場では大人気となり、4年後に発売される。
最大のライバルはホンダから 1995年 ホンダCR-V
RAV4最大のライバルと言えば、1年遅れて登場したホンダCR-V。5ドアのみの設定でデュアルポンプ式の簡素な4WD、コラムシフトなど徹底して割り切った設計だったが、これが大ヒットしRAV4をおおいに苦しめた。 1990年代後半から2000年代になると、SUVの人気は欧州へと飛び火。それまで積極的でなかった欧州の自動車メーカーも、SUVの生産・販売をこぞって始めるようになっていく。ポルシェまでもがSUVに進出したほどだ。北米、欧州、さらには他地域へとSUV人気は拡大していった。
そんななか、まったく盛り上がらない国が極東に存在した。なにを隠そう、日本である。日本でSUV人気が低迷していたのはなぜか?
ひとつ、日本はもうすでに似て非なるブームを経験済だったからだろう。1980年代後半から1990年代前半、日本では空前の「四駆ブーム」に沸いた。トヨタ・ランドクルーザーや三菱パジェロに代表されるような、道なき道を走る本格派のクロスカントリー4WDモデルが人気を集めたのだ。当時の日本にSUVという言葉はなかった。スキーブームやアウトドアブームも、クロカン4WDの人気を後押しした。
さらに、1989年スバル・レガシィの登場によって、日本で空前のワゴンブームが起こる。加えて1994年登場のオデッセイ以降、今度はミニバンブームに巻き込まれていく。ワゴン&ミニバンブームともに、日本だけのガラパゴス的なブームだった。そこにSUVの入り込む余地が乏しかったと言えるだろう。
日本経済の停滞も理由のひとつ。バブル崩壊後、失われた20年と言われるように、平成の時代は不景気だったと言える。平成でシェアを伸ばしたのは軽自動車だ。比較的大型で高価なSUVは家計負担が大き過ぎたのかもしれない。
SUVブームで売れていたものの4代目は日本市場に投入されず
2000年 2代目RAV4 コンセプトはキープしサイズを拡大したオンロード重視の都会派SUV
コンセプトは初代モデルを踏襲するが、2代目は全車が全幅1.7mを超える3ナンバーサイズにボディを拡大。それでも3ドアは3750mm、5ドアは4145mmとコンパクトさを保っている。エンジンはFFが1.8L、4WDがD-4と呼ぶ直噴の2Lを搭載する。海外での人気は高かったが、日本ではCR-Vなどライバルに苦戦を強いられた。
2005年 3代目RAV4 さらに大型化&洗練度高まるもこのモデルで日本からは撤退
全長4335mm、全幅1815mmと格段に大きくなり、3ドアを廃止し5ドアのみとなった3代目。エンジンは2.4L、FFに加え用意された4WDは電子制御式を新採用。洗練されたSUVだったが、このモデルを最後にRAV4は一時的に日本市場から姿を消した。
事実上RAV4のロングモデル 2007年 ヴァンガード
じつは日本の3代目RAV4はショートモデル。海外向けには265mm全長を伸ばしたロングモデルを用意した。そのクルマを日本向けにアレンジしたのがヴァンガード。快速SUVの3.5L V6モデルや、3列シートの7人乗りもラインアップ。 初代RAV4やホンダCR-Vの大健闘はあったが、世界の流れとは逆に日本でのSUV人気はまったく盛り上がらない。RAV4も初代→2代目→3代目と代替わりするたびに、ジリジリと国内の人気を落としていった。世界的には人気車であったにもかかわらず。そこでトヨタは決断する。それは「4代目RAV4は日本市場に投入しない」ということだった。ホンダも同様で、4代目CR-Vの国内販売を2016年にやめてしまう。
ところが日本未発売の4代目RAV4は世界的なヒット車になり、SUVのなかで世界ナンバー1の販売台数を記録。ようやく国内のSUV人気も高まり、ハリアーやC-HRも販売は好調だ。RAV4復活の機は熟したということだ。
2013年 4代目RAV4(日本未発売) 日本以外の世界中で大ヒットしハイブリッドモデルも追加設定
日本では販売されなかった4代目。3代目よりさらに大きくなり、北米向けは2.5L、欧州向けには2Lガソリンに加えディーゼルエンジンも用意する。2015年には日本のハリアーと同様のハイブリッドモデルも設定した。
4代目RAV4の実質兄弟車 2013年 ハリアー
日本発売されなかった4代目RAV4だが、4代目RAV4と基本コンポーネンツが共通の別のクルマを日本に用意した。それが3代目ハリアー。レクサスRXとは完全に別のクルマとなり、日本でも好調。C-HRとともにSUV人気を牽引している。
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
「とりあえず増税ね」で50年!? 「世界一高い」自動車諸税&ガソリン税“見直し”正念場 “年収の壁”の向こうの璧
「黄信号だ。止まろう」ドカーーーン!!! 追突されて「運転ヘタクソが!」と怒鳴られた…投稿に大反響!?「黄信号は止まるの当たり前だろ」の声も…実際の「黄信号の意味」ってどうなの?
“生産版”「“R36”GT-R」公開に反響絶大! 日産の「旧車デザイン」採用&4.1リッター「V6」搭載で「借金しても欲しい」の声! 1000馬力超えもあるArtisan「“和製”なスーパーカー」が話題に
「緊急車両が来て道を譲らないとどうなりますか」 理由に「『聞こえんかった』は通用するのですか」 譲るのはマナー?義務? 具体的にどう譲ればいいのですか。
約148万円! スバル新型「軽ワゴン」発表! “水平対向”じゃないエンジン&スライドドア搭載! ”大開口“実現の「シフォン」が販売店でも話題に
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント
この記事にはまだコメントがありません。
この記事に対するあなたの意見や感想を投稿しませんか?