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【立川祐路──スーパーGT最速男との記憶】(8)竹内浩典「独特の表現、立川ワールドがある」

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【立川祐路──スーパーGT最速男との記憶】(8)竹内浩典「独特の表現、立川ワールドがある」

2023年限りでスーパーGTから引退することを発表したTGR TEAM ZENT CERUMOの立川祐路。1997年にJGTC全日本GT選手権にデビューを飾り、三度のチャンピオンを獲得。さまざまな名勝負を演じてきたドライバーの引退発表は、大きな反響をもたらした。立川のキャリアのなかで欠かすことができない存在である同世代のライバル、チームメイトたちに、立川、そしてその引退について聞いた。

第8回は、JGTC時代は1999年から2003年まで立川とコンビを組み、2001年にはGT500クラスチャンピオンに輝いた先輩ドライバー、竹内浩典だ。

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■新鋭ドライバーながら「暴れん坊」な第一印象
「とにかく暴れん坊という印象でした」と竹内は立川の第一印象を語る。

「あいつ、1997年の全日本GT選手権(JGTC)では別のチームがアメリカから持って来たニッサンZを走らせていたんだけど、第2戦の決勝前フリー走行でクラッシュしてクルマをバラバラにしてますからね」

当時竹内は金石勝智と組んでカストロール・セルモ・スープラを走らせていた。竹内の言うZとは、アメリカのカニンガム・レーシングがIMSAシリーズに出場するためZ31系フェアレディZをベースに開発し、その後チーム・ルマンが日本へ持ち込みJGTC用に独自改造を施した300ZX-GTSのことだった。

当時のGT500クラスは敷居が低く、プライベートチームが独自調達したマシンも少なからず参戦しており、立川は1996年からこのマシンでGT500に出走していたのである。

1997年第2戦が開催される富士スピードウェイは朝から雨が降り、決勝レース前のフリー走行はウエットコンディションとなった。

「黄旗がバンバン振られているから『何があったんだろう?』と思ってそこを通過しようとしたら、あちこちにパーツが落ちてるんです。それを避けながら走っていったら、その先にZのボディだけころがっているんですよ」

実際には竹内が言うほどバラバラではなかったが、それでもマシンの前半分は原形をとどめないほど壊れており、当然ながらレースへの出走は不可能。その後マシンはカニンガム・レーシングに送り返されてチーム・ルマンはシリーズから撤退するのだから、やはり大事故ではあったのだ。

新鋭ドライバーなら慎重になってしまいそうなウエットコンディションのなかで注目のGT500マシンを大破させてしまった新鋭ドライバーに竹内が驚くのも当たり前だ。

しかし、その新鋭ドライバーは翌年、竹内と同じチームセルモから全日本ツーリングカー選手権(JTCC)に出走することになる。JTCCでも立川は暴れん坊だった。

「同じチームとは言え、JTCCではお互い違うクルマに乗ってメンテナンス体制も別々でした。印象としては、速いけれどやっぱり暴れん坊でした。飛び出しオッケー、ぶつけオッケーみたいな走りで、速いけど帰って来ないんですよ。押し出しちゃった相手に胸ぐらつかまれているところに出くわして『まあまあ、人目もあることだし』と止めに入ってやったこともあります」

■「育ててみよう」と開発ドライバーへ推薦も、“立川ワールド”が炸裂
ところがその翌年、セルモの佐藤正幸社長(当時)は、立川を1999年のGT500で竹内のパートナーに起用すると決めた。

「バテさん(佐藤社長の愛称)が、1999年はGTで立川と組めって言うから『ええっ?』と驚きましたよ。ZをバラバラにしたヤツだしJTCCで暴れているし、そんなヤツと組むのか、と考え込みました」と竹内は言う。

当時のスープラはピーキーなマシンで、乗りこなすにはコツが必要だった。竹内は立川に、そのドライビングを教え込んだ。

「立川が速く走ってくれないと、僕も勝てませんから、当初はクルマの走らせ方を一生懸命教えました。あいつが何か違うこと言ったら、そうじゃねえぞ、こうだぞと教え込みました」

竹内にとって立川は、パートナーではあるが将来のライバルにもなりかねない若手である。しかし竹内は8歳年下の立川に弟のような親近感をおぼえ、「育ててみよう」と感じたと言う。

立川のパフォーマンスは竹内のコーチにより急速に伸び、レースで結果を出すようになった。しかし実は、裏舞台でも竹内は立川を育てようと力を注いだと言う。

「当時僕はずっとトヨタの開発ドライバーをやっていました。それで立川を入れてもらうように働きかけたんです。なかなか入れてもらえなかったんですけど、1年か1年半ぐらい経って入ってきました」

ここでも竹内は立川にさまざまなことを教えている。

「それまでの立川は、やはり経験がなかったし、速いけれどクルマの細かいことを言葉で評価することができませんでした。それで、僕が開発のやり方、コメントの仕方を全部立川に教えました」

「例えばタイヤの評価だったら、タイヤのエンジニアはこれこれこういう点の評価を求めてるから、曲がる曲がらないだけではなくて、曲がるときの初期応答が良いのか悪いのか、ステアリングを切り出したところでグリップがあるのかないのかとかを評価しなければならない、と評価すべきポイントを全部教えました。もちろんエンジンについても何を感じればいいのかを全部教えました」

こうして立川はGT500車輌開発ドライバーとして経験を積み、レーシングドライバーとして完成に近づいていった。竹内は、もし立川と同世代だったらパートナーとなってスープラを走らせるようになった段階で対抗心が生まれ、こういう関係にはなれなかったかもしれない、と認める。しかし竹内も当時のセルモも、若い立川の才能に気付き、将来へ向けて大きく育てようとしたのであった。

「ただね、クルマを評価できるようになったのは良いけれど、あいつ、独特の表現をするんですよ」と竹内は当時を思い出しながら笑った。

「ブレーキパッドを『効きが安い』って評価したんですよ。それを聞いたブレーキパッド屋さんが僕に『立川さんが、効きが安いって言うんだけど、竹内さん通訳してくれませんか』って泣きついてきましたよ。あいつ独特の表現、立川ワールドがあって、それは誰にも理解できないんですよ」

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