この記事をまとめると
■12月7~8日に鈴鹿サーキットでFIA-F4選手権の第7戦・第8戦が開催された
佐藤琢磨の"愛弟子"太田格之進がIMSAで世界デビュー決定! 来季体制を発表したHRCが2025年もモータースポーツを盛り上げる
■佐藤琢磨選手の息子である佐藤凛太郎選手が参戦し注目が集まった
■HRSを主席で修了した期待の新人ということで今後の成長に期待だ
佐藤琢磨選手の息子がF4に参戦!
2024年の実質的な最終戦として、12月7~8日に鈴鹿サーキットで開催されたスーパーGT第5戦「SUZUKA GT 300KM RACE GRAND FINAL」では、同時開催でFIA-F4選手権の第7戦および第8戦も開催。
若手ドライバーを対象にしたチャンピオンクラスに21台、ジェントルマンドライバーを対象にしたインディペンデントクラスに17台と総勢38台が7日の第7戦、8日の第8戦で激しいバトルを展開していたが、そのなかでひときわ注目を集めていたのが、PONOS RACINGの54号車でチャンピオンクラスに参戦した佐藤凛太郎選手だといえるだろう。
2005年生まれ、現在19歳の佐藤選手は、F1で活躍後にインディカーシリーズに参戦して2017年および2020年のインディ500で優勝した佐藤琢磨選手を父にもつ二世ドライバーで、2016年から本格的にカートレースに参戦。2023年にホンダレーシングスクール鈴鹿(HSR鈴鹿)でフォーミュラのトレーニングを行い、2024年は引き続きHSR鈴鹿に参加しながら、前述のとおり、PONOS RACINGよりFIA-F4に参戦していた。
二世ドライバーといえば、英才教育で物心がついたころからカートレースに参戦……というイメージを思い浮かべがちだが、凛太郎選手がカートを始めたのは10歳のときで、「小さいころからずっとカートをやりたかったんですけど、なかなか始めさせてもらえませんでした」と凛太郎選手が語れば、父である琢磨選手も「生まれたときからレースが身近な環境にあったので、本人も“カートをやりたい”といっていたけれど、やりたいからといってできるような甘い世界ではないし、本人の覚悟がないと続けることはできないので、いきなりカートをさせませんでした」と語る。
きっかけとなったのは東日本大震災の復興支援として琢磨選手が主催したキッズカートチャレンジで、「そこで表彰台に乗ることができたら考えてもいい……と父がいってくれまして。実際、9歳のときにそこで表彰台を取れたので、10歳になってカートを始めることができました」と凛太郎選手は語る。
こうしてレーシングカートを本格的に始めた凛太郎選手は前述のとおり、父である琢磨選手と同様に鈴鹿のスクールでフォーミュラのドライビングを学び、2024年のFIA-F4で4輪レースにデビュー。
「バトルの駆け引きなんかは、カートで経験したことが活かされているんですけど、やっぱりクルマがまったく違うので慣れるまでは苦労しました。それに、レースはスクールと違って観客が多いですし、ポイントを争ってもいるので緊張感がすごい。もちろん、その点は楽しい部分でもあります」と凛太郎選手。
さらに父が偉大なドライバーであるがゆえに、さぞ、凛太郎選手にプレッシャーはかかっているはずだが、その点に関して尋ねると「父は父、自分は自分と思っていて、自分にできて父にできないこともありますし、父にできて自分にできないこともありますので、足りないところは学びつつ、自分の強みは伸ばしていきたいと思っています。プレッシャーに押しつぶされることなく、自分の信念を大切にして頑張っていきます」とのことだ。
ちなみに筆者は1998年から2000年にかけてモータースポーツ専門誌でF3を担当しており、当時、全日本F3選手権にデビューし、のちにイギリスF3選手権で活躍した琢磨選手を取材していた。そのときの琢磨選手はクレバーであり、同時にギラギラとした情熱をもつ若手ドライバーだったが、凛太郎選手にもクレバーかつ秘めた情熱を感じとることができた。
着実に成長を見せる期待の新人
そんな凛太郎選手はレースを通じて着実にスキルアップを重ねているようで、PONOS RACINGでアドバイザーを務める小河原宏一氏は「初めて乗るマシンだったし、序盤のテストは雨が多かった。それにクルマのデリバリーも遅かったので、凛太郎選手は苦労していましたが、鈴鹿は走り込んでいるだけあって、第3戦の鈴鹿あたりからスムースに対応できるようになりました。うちは2台体制なのでデータを比較しながら、アドバイスをしていきましたが、まだ若くてクセがないこともあって、すぐに吸収して、今は上位を争えるレベルになってきました。ストイックに突き詰めていけるドライバーなので今後が楽しみですね」と高く評価。
同時に父である琢磨選手のサポートも凛太郎選手のスキルアップに影響しているのだろう。筆者が取材を行った鈴鹿ラウンドにも琢磨選手が凛太郎選手のパドックやグリッドに訪れるほか、パドックでは動画やデータロガーを見ながらアドバイスを行っており、凛太郎選手によれば「スクールの校長でもありますが、週末は父として教えてくれていますね」とのことだ。
この凛太郎選手のFIA-F4での活動について、父の琢磨選手は「2024年は鈴鹿ぐらいはスポット参戦できたら……という話をしていたんですけど、PONOS RACINGさんのサポートでフル参戦させてもらえることになりましたので、実戦でのスキルアップもさることながら、素晴らしい経験を積ませて頂けたと思います。自分と凛太郎では、ドライビングを含めたレースへのアプローチは異なりますが、それも個性だと思っているので見守っています。フラストレーションを感じることもありますが、これは多くの二世ドライバーの父親が抱えているものだと思いますので……」と苦笑い。
さらに凛太郎選手と琢磨選手の違いについて、「自分の場合は着地点が限界の向こう側で、一気にそっちへ行ってから戻ってくるスタイルなんですけど、凛太郎は自身で納得しながら進んでいく。そこがもどかしい部分でもありますが、その反面、レースのアプローチでは接触も少なく着実に抜いてくるなど、自分にはなかったよさもあります」と琢磨選手は分析。
そのうえで、「スカラシップを取れなければ、その先はないよ……というプレッシャーのなか、もがきながらでも成績が少しづつ出ていることも彼の成長に繋がっているんだと思います」と琢磨選手は語る。
こうして経験を積み重ねた凛太郎選手は徐々にリザルトが上向きになっており、第9戦のSUGOでは今季のルーキー勢として最上位となる2位に入賞。さらに参加2年目となるホンダレーシングスクール鈴鹿も主席で修了し、2024年度のスカラシップを獲得、2025年はホンダのドライバー育成プログラム「ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクの一員としてレース活動を展開することになったのである。
それだけに、最終戦となる鈴鹿では凛太郎選手の活躍が期待されていたのだが、8番手グリッドから迎えた第7戦は6位に終わったほか、7番手グリッドからスタートした第8戦も6位に終わるなど、残念ながらポディウムフィニッシュを果たせなかった。
「予選は路面温度が低くて思うような走りができませんでしたが、決勝ではセッティングを改善したことでスプーンが速くなっていて2台をオーバーテイクすることができました。第8戦は何回かチャンスはあったんですけど、抜けなかった。スクールでスカラシップを獲得できていることもあり、最終戦で勝ちたかったけれど、これからの課題として練習を重ねたいと思います」と悔しそうな表情を見せる凛太郎選手。
その一方で、「2025年はまだどのカテゴリーに参戦するかは決まっていませんが、将来的には世界で活躍できるドライバーになりたいので、毎回、ベストを尽くしたいと思います」と語っているだけに、今後もインディ500ウイナーのDNAをもつ凛太郎選手に注目したいものだ。
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みんなのコメント
中嶋、星野、柳田、勝田
思いついただけ挙げたけどきりがない