ル・マンはいつでも劇的な結末をもたらすレースだけど、2023年も同じく熱戦となった。しかしトヨタファンなら思い出すのが「ノーパワー!!」という中嶋一貴選手の無線交信。同時現地で取材していたジャーナリストで呆然とした顔でいたところ救ってくれる人がいた。
文:段純恵/写真:段純恵、WEC、TOYOTA
「アスリートにスポーツをやらせてほしい」 モリゾウさんが言い放った“ド正論” ル・マンの舞台裏、もうひとつの戦い
■「NO POWER」の悲劇から救ってくれた民泊ホスト
こちらがカミュ夫妻。おもてなし以上のおもてなしをしてくれる
私のル・マン民泊ホストはジルベールとイヴリンのカミュ夫妻という。サーキットまで、渋滞さえなければクルマで10分のカミュ家には2016年からお世話になっている。
もとはACOの仕事をしていたT氏の常宿だったが、T氏がACOを引退されるのにあたり、私にカミュ夫妻宅を紹介してくれたのだ。
それまで私のル・マン取材の宿は、一泊が通常料金の3倍(2023年は10倍以上)かつ4泊縛りでも取れれば超ラッキーの駅前ビジホ、それがダメなら30~40キロ離れた街に高速道路を使って通っていた。
どれも美しい街でドライブも楽しめたが、朝食も摂らず宿を出て帰りは星降る夜中の1週間は、今より若かったとはいえ本当にキツかった。サーキット至近の宿を譲ってもらえたことも飛び上がるほど嬉しかったが、物理的距離よりも素晴らしかったのは、ホストであるカミュ夫妻のお人柄だ。
一昨年の東京五輪以来『オモテナシ』という日本語が世界に広まったが、そんな軽い言葉では表現できない温かな心と理解、善良さ、聡明さを訪れるたびにお二人から感じている。
カミュ夫妻とのやり取りは、私のドヘタクソな英語と私よりうんと流暢なイヴリン夫人との英会話が主だが、夫人の不在時にはジルベール氏と英単語の応酬になる。それでも相手の考えを理解できるのが人づき合いの不思議なところで、とりわけカミュ家に初めて投宿した年の出来事は忘れられない。
2016年のル・マン。あと2分でというところでまさかのストップ。「ノーパワー」という中嶋一貴選手の無線は忘れられない
中嶋一貴選手の悲痛な「NO POWER!」の叫びが耳から離れず、茫然自失状態のまま宿に帰ったらジルベール氏が待っていた。
テレビ中継ですべて見ていたジルベール氏は、本当に残念だった、トヨタの人々やカズキナカジマは大丈夫かと聞いてくる。うん、大丈夫、というのが精一杯で、それ以上なんと言えばいいのか迷っていたら、シンプルなフランス語が口をついてでた。
「C’est Le Mans」。これがル・マンだね。
私のつぶやきを聞いたジルベール氏が、間髪入れず打たれたように言葉を返してきた。「C’est Ça! C’est Le Mans!」そうだ! これがル・マンなんだ!
激しく同意を表すと、ジルベール氏はひと言ひと言確かめるように英単語を並べた。
「トヨタは、レースに勝った。でも、優勝ではなかった。それでも、続ければ、いつか、必ず、勝つ。これがル・マンなんだ」
どんなに言葉を連ねても、この時のジルベール氏が並べた単語以上に、私を慰め、励ますことはなかったといまでも思う。
■コースマーシャルとしての責任感
ル・マンはいつでも大きなドラマを生み出す
その後、ジルベール氏の予言(?)どおりトヨタは勝利を重ね、コロナの間もカミュ家からの年明け挨拶メールには必ず「今年も(は)6月に会えますか」と書かれていた。
カミュ夫妻の心配りに触れるたび、単なるホスピタリティやお二人の品性の良さだけではない何かを感じていたのだが、3年ぶりに訪問し、翻訳アプリの助けを多いに借りて旧交を温めた際に、その謎が解けた。
イヴリン夫人が生粋のル・マン市民であることは知っていたが、実は夫人の父親が1954年から20年間、ル・マン名所の一つ、ダンロップブリッジ下のコーナーポストでトラックマーシャルを務めていたのだという。
「父はレースの大ファンでね。自分でレースに出場することはなかったけれど、毎年6月、24時間レースの時は仕事を休んでマーシャルをしていたわ」。
マーシャルは完全無給のボランティア活動だ。レースの流れを見つめ、コース上の些細な変化にも気を配り、事あらば機敏な対応でマシンを走らせるドライバーたちに危険を知らせる。自身も危険とも隣り合わせで、なまなかな心構えでできるものではない。
「いまよりもずっと大らかな時代で、禁止事項もうんと少なかったから、父は私と妹、弟をコースサイドに連れていってくれたの。ダンロップ・ブリッジの陰から隠れて見ていたのだけど、すぐ手の届きそうな2メートル先をマシンがものすごいスピードで走って行くのは、ものスゴい迫力だったわ」。
フォードとフェラーリがガンガンにやり合っていた時代のことだ。間近で見るマーシャルのお父さんはカッコ良かった?と聞くと、そんな当たり前のことをという表情で、
「とても素敵だったわ」と返ってきた。
代々家族が守るポストもあるが、近年はヨーロッパ各地から応援がくるという
いまル・マン24時間レースの運営には約2千人のマーシャルが必要だという。ル・マンのあるサルト県だけでなく近隣の県や郡にも募集をかけるものの人集めはなかなか大変で、近年は外国のサーキット・マーシャル(スパあたりか)の応援も仰いでいるという。
「トラックマーシャルは特別な訓練が必要で、誰でもできるわけじゃない。父は責任ある重要な役割でレースを支えていたのよ」。
子どもたちをサーキットに連れて行き、こっそり或いはおおっぴらに自分の仕事を見せていたのは、おそらくイヴリン夫人の父親だけではなかったろう。30年ほど前のダンロップ・タイヤのTVコマーシャルにあった、父から子、そして孫にレースを支える役目を伝える家族は、いまも約14キロのサルト・サーキットのあちこちにいるに違いない。
「私自身はマーシャルになろうと思ったことはないわ。16歳の時、小遣い稼ぎにケータリングのアルバイトをしたことがあるだけ」と振り返るイヴリン夫人だが、実はル・マンを通してその母からもっと大きなものを受け継いでいた。
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みんなのコメント
読んで後悔した
やっぱベストカーなんだなw