最高傑作としての地位を譲らないJ12
執筆:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
【画像】イスパノ・スイザの最高傑作 J12 同年代のブガッティ・タイプ59と比較 全38枚
撮影:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)
クロームメッキされたラジエターグリルが放つ、優雅なムード。その頂上ではコウノトリがしなやかに羽ばたく。このクルマの風情へ見事に一致している。
長く伸びたコウノトリの首は、1.8mはあろうかという長いボンネットに呼応する。大排気量を持つV型12気筒エンジンの力強さを表すように、翼が大きく振り下ろされている。当時の技術力が集結している。
スイス人エンジニアのマーク・ビルキクト氏は、象徴的な3台のイスパノ・スイザを設計した。アルフォンソとH6、そして今回取り上げるJ12だ。
名門ブランドのエンスージァストは、どのモデルが最も偉大か意見を交わすことがある。詰まるところ、1932年から1938年にかけて製造された120台のJ12が、イスパノ・スイザ最高傑作の地位を譲ることはないだろう。
J12のプロトタイプが作られたのは、今から90年前。ビルキクトがステアリングホイールを握り、厳しいテストが繰り返された。
素晴らしいアイデアが盛り込まれた美しいボディは、極めて高品質。リーフスプリングとリジッドアスクルが組まれたシャシー構造は、コンベンショナルだけれど。
J12の中心的存在といえるのが、タイプ68と呼ばれるV12エンジン。シリンダー間に配された1本のカムシャフトが、短いプッシュロッドを上下させロッカーバルブを動かした。技術は煮詰められ、洗練の域に達していた。
バンク角は60度で、ボアとストロークはともに100mmのスクエア構造。排気量は9425ccと、巨大なユニットだ。
当時のグランドツアラーを凌駕する性能
ビルキクトは第一次世界大戦で航空機エンジンを開発。ロイヤル・エアクラフト・ファクトリー S.E.5やスパッド戦闘機に積まれた、水冷式オーバーヘッド・カムV型8気筒で評価を高め、一目置かれる存在だった。
航空機用V型12気筒も視野にあったが、生産には至らなかった。直列4気筒や6気筒といった、自動車用ユニットの経験に不足もなかった。
ブロックとヘッドは一体構造で、アルミニウムによる鋳造。航空機用エンジンと同様に黒のエナメルで仕上げられ、上品な外観に仕上がっている。
自社製のツインチョーク・キャブレターで燃料を供給し、シンティラ社製のマグネトーで昇圧する。ディストリビューターの先につながる点火プラグは、シリンダー毎に2本のツインスパーク。ダッシュボードのスイッチから調整が可能だ。
J12の長いボンネットを開くと、ガラス質状に焼かれたエグゾースト・マニフォールドが光を反射する。9.4Lが生み出す能力の高さを自負するように。「秩序と純粋さの最高傑作」だと、評論家の1人が言葉を残している。
タイプ68のプロトタイプ・ユニットでは、圧縮比は6:1。3000rpmと緩やかな回転数で、最高出力202psを発揮した。ブガッティ・ロワイヤル・タイプ41を含む、当時の大型グランドツアラーを凌駕する性能だった。
巨大な運動エネルギーを受け止めるため、上等なドラムブレーキも装備。ビルキクトが設計したサーボを備え、ペダルを思いきり踏む必要はない。ウオームギアのステアリング・ラックは油圧でアシストされ、操舵感は正確で軽い。
優雅なボディを生んだヴァンヴァーレン社
フロントノーズの重さが隠せなかったロールス・ロイス・ファントムIIIとは異なり、J12はエンジンやラジエターをフロント車軸の後方へレイアウト。優れたシャシーバランスを実現し、1930年代のコーチビルダーから注目を集めた。
ソーチック社やグラバー社、フェルナンデス&ダリン社など、当時のコーチビルダーの多くがJ12のシャシーへ特注ボディを製作している。中でも特に優雅な容姿を生み出したのは、ヴァンヴァーレン社だ。
オープンのドロップヘッド・スタイルで、人々の前に姿を表したのは1934年。当時の英国価格は3500ポンドと、ファントムIIIの2倍の価格が付いていた。
さかのぼること1931年、ガラスの天井を持つ当時最先端の展示会場、グラン・パレで開催されたパリ自動車ショー。ラ・ヴィ・オートモビル誌の自動車記者、シャルル・ファルーは1700kmの長距離テストを目的に、J12の貸し出しを希望する。
イスパノ・スイザ側も合意し、1931年10月にファルーはバリとニースの間をV12エンジンを載せたプロトタイプで往復。最高峰のエキゾチック・モデルが生む、202psを確かめた。
クルマがパリへ戻るとショールームに展示され、大きな白い紙が床に敷かれた。1週間の展示期間中、油や水は一滴も垂れず、シャシー設計の水準の高さを証明。当時の人を驚かせたという。
ビルキクトは前年、パリの北西、ボワ・コロンブ工場からスイス・ジュネーブ郊外の実家まで、J12のプロトタイプを走らせていた。ファルーの挑戦にも自信があったのだろう。
パブロ・ピカソもオーナーだった
世界恐慌で経済が冷え込む中、圧倒的な内容を持つイスパノ・スイザJ12は富裕層を魅了。ルーマニア王やアラブの王族、英国の金融王などがオーダーブックに名を連ねた。画家のパブロ・ピカソも。
究極といえるJ12は、レーシングドライバーのホイットニー・ストレイト氏とカルロ・フェリーチェ・トロッシ氏へ作られた。鉄道車両向け技術を応用した排気量11.3Lのエンジンが搭載され、最高出力は253psまで向上していた。
フランス国営鉄道の事業局長との契約で、ビルキクトはタイヤで走る鉄道車両用のエンジン開発を受注。航空機と自動車用のV型12気筒を発展させた、水平対向12気筒、タイプ86を設計している。
フランス産業が軍事主導に移るとイスパノ・スイザの鉄道開発も終了するものの、実は中国の雲南省で、今もV型12気筒エンジンを積んだ鉄道車両が稼働しているようだ。以前は、雲南ハイフォン鉄道で稼働していたという。
話がずれたので戻そう。筆者はペブルビーチ・コンクール・デレガンスの会場付近を走る様子以外、公道を走るイスパノ・スイザJ12を目にしたことがなかった。
一部の恵まれた人は、素晴らしいV型12気筒を、特に後期型の11.3L仕様を味わうことができている。その洗練度の高さには、きっと深く感心しているに違いない。
1960年に平坦地で165km/hを記録
英国人オーナーで知られていたのは、著名なカーコレクターでブガッティ・マニアのピーター・ハンプトン氏。ソーチック社が手掛けた2シーター・ロードスターを所有し、最高のクルマだと自負していた。
1944年のノルマンディ上陸作戦に加わったハンプトンは、戦闘で負傷。片腕が不自由になってしまったが、J12の豊かなトルクが、おぼつかない変速を助けたという。「もし砂漠の島を1台限りで走るなら、イスパノ・スイザJ12を選ぶでしょうね」
ハンプトンからJ12を譲り受けたのが、アメリカに住むトム・パーキンス氏。ブガッティ・タイプ57SCなど錚々たるコレクションを保有していた。晩年にコレクションを手放すが、2016年にこの世を去るまで、J12は残していたらしい。
自動車記者のロナルド・バーカーもJ12を試乗し、感銘を受けている。1960年、AUTOCARの電子速度計を用い、制限速度のなかった英国M1号線の平坦地で165km/hを記録。緩やかな下り坂では168km/hに届いた。
J12の車重は2.5t。フルスロットルでの燃費は、3.2km/Lだった。
バーカーは、「V型12気筒は図書館のように静か。エンジンの存在を車内で感じるのは、クランクシャフトが最高に回転している時のみです。ブレーキも安心感があり、高速域でも安定しています」。と、1960年1月のロードテストでレポートしている。
この続きは後編にて。
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