もくじ
ー BMW Mでキャリアをスタート
ー 964RSやフォーカスRSを担当
ー WRCやF1でも活躍
ー フォルクスワーゲン「R」に復帰
フォルクスワーゲン・ティグアンR なぜ開発が遅れる? 2019年末に発表か
BMW Mでキャリアをスタート
自動車メーカーの幹部の中には、生涯にわたって一社で働き続けるひともいる。一方で、自動車業界を渡り歩いたひとほど興味深い話を持っているものだ。
現在フォルクスワーゲンのパフォーマンス部門であるR GmbHを率いるヨースト・カピトほど濃いキャリアを持つひとはそうそういない。60歳になる今も若々しい彼はフォルクスワーゲンでそのキャリアを終えるつもりでいるようだが、波乱万丈の人生を楽しんでいる。
彼のキャリアは冒険の連続であった。10代のカピトは、BMWのエンジニアとして働きながらバイクで耐久レースに出場していた。彼の父はウニモグでパリ・ダカール・ラリーに出場し、1985年にはトラッククラスで優勝を果たした。「わたしはチームワークについて多くのことを学びました。しかし、1年間の休暇を取り戻ってくると、それは完全に打ち砕かれ、その後の1年間は休みなしの生活が続きました」
その後彼はBMW Mで伝説のエンジン設計者であるポール・ロッシュの下で働いた。彼の初めてのプロジェクトはE30型M3用の4気筒エンジンであった。カピトはインテークとエグゾースト・マニフォールドを担当したという。そして彼はすぐにキャリアを積み重ね、ロッシュから「カムシャフトのポール」という意味のニックネームを与えられた。
964RSやフォーカスRSを担当
そして1989年にはポルシェのレース部門へと移籍した。カピトはワンメイクレースを担当し、顧客との交わりを通してその公道仕様の需要を見出したという。「非常に大きな需要があり、幹部にその開発許可を求めて回りました。われわれの部署が送り出した最初のロードカーは964RSでした。わたしは1400台の販売を約束しましたが、最終的には5000台超を売り上げたのです」と彼は回想する。
彼の次のステップはザウバーの、それもザウバー・ペトロナス・エンジニアリングでった。カピトは2.0ℓエンジンの新設計を率いた。このエンジンの市販化はなされなかったものの、彼のプロジェクト管理能力を買われ、1998年にはザウバーF1のCOOに抜擢された。若きキミ・ライコネンと契約を結んだのもカピトであった。
しかしその後、フォードが非常に魅力的な提案をしてきたのだ。「マーティン・リーチが接触してきて、STとRSモデルを復活させたいと話したのです」と彼はいう。
ここでの問題は、カピトが2001年にフォードに加わった時、フォーカスRSはすでにほぼ完成の域に達していたことだ。それも予算超過に加え、スケジュール遅れを抱えていた。2世代目を開発するほど売り上げは芳しくなかったことから、カピトは新たな道を模索した。
「われわれは5気筒エンジンを搭載するフォーカスSTの投入を決め、それが成功したのです。わたしはRSを作り直したいといえば拒否されるとわかっていたので、すでに成功しているSTプラスを作りたいと言いました。しかし完成させて見るとSTプラスと呼ぶには勿体無いクルマになったことから、RSの名称を用いたのです」
WRCやF1でも活躍
彼の活躍は世界へと幅を広げることになる。フォードF150ラプターやマスタング・シェルビーGT500の開発を指揮すると、WRCをはじめとするモータースポーツへの関与が増えた。「2006年と2007年には、外部チームの手によってわれわれはマニュファクチャラーズ・チャンピオンシップを獲得しました」とM-スポーツの成功を振り返った。「次のステップはワークスチームでこれを成し遂げることでした。その時フォルクスワーゲンが声をかけてくれたのです」
カピトがWRCチームを率いた間、4回のドライバーズ、およびコンストラクターズ・チャンピオンシップを獲得した。「それは夢のようでした。おそらくわたしのキャリアで最もやりがいを感じた期間でしょう」と振り返った。
そして2016年、カピトはマクラーレンのフォーミュラ1チームへの移籍という転換を果たした。これは彼のキャリアの絶頂にも思えたが、わずか3カ月でチームを離れることになった。
「わたしは自分の方針をロン(デニス)と話していました。しかし彼がいなくなると、それは意味をなしませんでした。皆はわたしがロンと親しいと考えていましたが、実際にはチームの成功のために同じ計画を立てていただけなのです。そして一部の人はわたしと全く異なる意見を持っており、わたしは『わたしのやり方で進められないのであれば、責任は取れません』といいました」
フォルクスワーゲン「R」に復帰
しかし彼は悪い感情を抱いてはいなかった。この大きな理由は、フォルクスワーゲンへの復帰につながったことだ。「(CEOの)ディエスはいつでも戻ってくるようにわたしに言っていました。わたしがマクラーレンを離れることを知るやいなや、彼はわたしにR部門設立の手助けを依頼してきました」
カピトはRブランドのモデルを拡充することを計画しており、より大型のモデルにもパフォーマンスグレードが設定される可能性があるという。そして電動化も推し進める方針を示している。「この変革の一翼を担いつつ、パフォーマンスの追求における電動化の役割を見て行くのが楽しみです」と語った。
カピトの情熱は自然なものであり、彼が部下や同僚と会話する姿からは、彼が全方位から厚く信頼されていることがうかがえた。彼は自身のキャリアについて非常に幸運だったとも語る。「わたしは上司に恵まれました。もう一度人生をやり直すとしても、大きく変わらない選択をしたでしょう」
彼にも後悔していることはあるのだろうか。「わたしが参加したクルマを1台も所有しなかったことです。E30型M3、964RS、ラプター、そしてフォーカスRS500など、決して悪いコレクションではないでしょう。ストリートKaに至ってはコンバーチブルまであるのですから」
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