歴史をリスペクトした“今”を楽しむ仕上がりに
10月にミラノで行われた本国版アバルト・ディズで初めて一般公開されたアバルト70周年記念のスペシャルエディション、“695セッタンタ・アニヴェルサーリオ”は、11月の日本版アバルト・ディの会場で日本でも初公開され、WEB予約がスタートしたかと思ったら24時間も経たないうちに先行予約の100台が売り切れ、その後の追加枠の100台も速攻で完売した。にも関わらずあらためてここでレポートするのはなぜかといえば、間違いなくコレクターズアイテムになるこの貴重なスペシャルエディションに、僕が試乗してきているからだ。
イタリア・ミラノで開催された世界最大級イベント「ABARTH DAYS2019」で感じた本国の情熱
アバルトの設立年に合わせて、生産は1949台のみ。世界中で取り合いになっていた状況の中、およそ10分の1となる200台を日本向けに確保してくれたFCAジャパンの頑張りは、ひとりのアバルト・ファンとしても嬉しい限り。でも、その200台があっさり売り切れたことに、僕は少しも不思議を感じていない。なぜなら695セッタンタ・アニヴェルサーリオは、アバルト・ファンのツボを気持ちよーく突きまくるクルマに仕立て上げられていたからだ。そしてそこには、今のアバルトの中の人達による先人達へのリスペクトが、たっぷりと込められていた。
御存知の方も多いだろうけど、“695”の名称は、フィアット500をベースにしたアバルトの中でも特別なモデルにのみ冠されるものだ。今回の695はどうかといえば、パッと見ではどことなくクラシカルなルックスに仕立て上げられた595シリーズにしか思えないかも知れないが、ディテールのそこかしこにアバルトが積み重ねてきた歴史へのオマージュが込められていて、さらには伝統的にチューンナップを身上にしてきたブランドらしく、パフォーマンスを引き上げるための新しい要素もしっかりと採り入れられている。アニヴァーサリーを祝うスペシャルエディションとして相応しい。
通常の595と異なるところを幾つかを紹介すると、筆頭はアバルトにしては珍しいグリーンのボディカラーだろう。実はこれ、歴史にしっかりと根ざしたものなのだ。アバルトは1957年にデビューした2代目フィアット500の隠れたポテンシャルを見抜いてチューニングキットを開発し、それが大きなヒットとなったわけだが、実力を証明するために翌1958年にキットを組み込んだフィアット500をモンツァに持ち込み速度記録に挑戦、見事に6つの世界記録を打ち立てた。 関係者の間では“フィアット500エラボラツィオーネ・アバルト・レコルド”と呼ばれてきたその個体こそが、最初のアバルト500というべきクルマである。その速度記録車が身にまとっていたのが、実はこのグリーンだった。“ヴェルデ・モンツァ1958”と名付けられた今回のカラーのネーミングも、そこに由来したものだ。
もうひとつ重要なものは、ルーフエンドに備わる新設計のアジャスタブルスポイラーである。角度にして60度、12段階の調整式で、最も立てた状態にして200km/hで走行したときには42kgのダウンフォースを生み出すという。空力の分野における、立派なチューニングパーツである。
歴史的に見ても、アバルトは昔から空力への関心の高いチューナーだった。フィアットとジョイントする以前の時代のレーシングマシンに、空力に優れたボディ作りが巧みなカロッツェリアと組んだものが多かったことからも、それは察せられるだろう。ツーリングカーレースの分野でも、フィアット600をベースにしたレーシングカーの究極形といえる1968年デビューの1000TCRの後期には、自製の空力パーツを開発して装着していた。
当初はエンジン冷却のために水平に開けたリアフードが空力的にも有利に働くことが解り、FRP製の大きなリアスポイラーを設計してそれと置き換えたのだ。今回のルーフエンドスポイラーもそこから着想を得た、と資料に記されている。けれど、ある世代には別のクルマのディテールが頭に思い浮かぶかも知れない。ラリーで無敵を誇ったランチア・デルタ・インテグラーレのアジャスタブル式ルーフエンドスポイラーである。マニアの間では知られたことだが、もちろんアバルトが開発に関わったことを示す “SE”コードが与えられている。
アバルトの楽しさが高密度で凝縮されてる1台
695セッタンタ・アニヴェルサーリオを走らせたのは、一般道をおよそ45分、イベント会場の3kmほどの特設コース2周のみというシチュエーションだった。
ベースとなったのは595の最強版であるコンペティツィオーネで、基本的な乗り味にも変わりはない。シリーズの中でも最もパワフルで、とりわけ中回転域からの伸び感が素晴らしく気持ちいい180馬力に250N・mの1.4リッターターボ。コニのFSDダンパーと強化スプリングを備える、ギュッと引き締まったサスペンション。制動力の高さはもちろんのこと、旋回のための姿勢作りにも好都合なブレンボ製キャリパーとスポーツパッドを持つブレーキ・システム。ダイナミズムそのものといえるその走りっぷりに、不満はない。チンクエチェント・ベースのアバルトの楽しさが高密度で凝縮されてる感じだ。
肝心要のルーフエンドスポイラーについては、走らせた速度域が全体的に低かったし、角度を変えてのテストもできなかったから、あくまでも限定的なお話しかできない。ただ、特設コースの中に1箇所だけ3速全開から僅かにアクセルを戻す程度の減速で入っていく高速コーナーがあって、そこでは「あれ?」と感じられるものがあった。路面は駐車場のそれそのものだからμ(ミュー:摩擦係数)だって低いのに、通常の595よりもリアタイヤが少ししっかりめに接地して安定感が増してるような気配が、確かにあったのだ。空気の力でリアタイヤが強めに路面へと押しつけられてるのだろう。速度域の高いサーキットなどで走らせてみたら、効果はもっとはっきり感じられるに違いない。
機構的な面を見て大きく異なってるのはそこだけで、エンジンもサスペンションもブレーキも特別なチューンを受けてるわけではないが、僕はそこもアバルトらしいところだと感じている。というのも、アバルトは確かにベース車とは較べられないほど速いクルマを仕立て上げるブランドではあるけど、ロードカー作りに限っては、昔から街中での乗りやすさを無視するようなチューンナップはしてこなかった。普段乗りのストリートで乗りにくいと楽しさがスポイルされちゃうということを、よく解ってるのだ。現在の595が積む1.4リッターターボでは、コンペティツィオーネのチューニングがちょうどギリギリ辺りのところにある。乗りやすさが残っていて充分に速くて楽しいパワートレーンがすでにあるのだから、それ以上の領域にはあえて踏み込まない。そうした伝統的な寸止めの美学のようなものが感じられるのだ。
自らの歴史に対するリスペクトの気持ちを、ただ振り返って懐かしんだり再確認したりするだけじゃなく、自らのクルマにふんだんに盛り込んで“今”を楽しむために活かしていく。そういう表現方法があるのだな……。そう感じたとき、このクルマが何倍も魅力的に思えてきた。
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