約60年の歴史 全受賞車を振り返る
毎年開催される欧州カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)は、自動車業界最大級の世界的な賞と言っても過言ではない。
【画像】時代を築いた名クラシック【ゴルフ3、ポルシェ928などを写真で見る】 全105枚
毎年、前年に発売されたすべてのクルマが審査され、最終的に7台の候補車に絞られる。弊誌AUTOCAR英国編集部のほか、Auto(イタリア)、Autopista(スペイン)、Autovisie(オランダ)、L’Automobile Magazine(フランス)、Stern(ドイツ)、Vi Bilagare(スウェーデン)など、欧州各国の自動車専門誌が主催している。
2022年の受賞車は、キアEV6に選ばれた。キアにとって初の受賞であるが、これまでに名を連ねる偉大なクルマの仲間入りをするのだろうか?それとも、一瞬の輝きを放った後、無名の存在となるのだろうか?
欧州COTYの過去の受賞車と、その成り行きを見てみよう。
1964年:ローバー2000
レイランドとなる以前のローバー最後の新型車。しなやかな乗り心地と魅力的なハンドリングを両立させたサスペンション、コンパクトで広々としたデザインが評価され、最初の欧州COTYを受賞した。
標準装備の2.0L 4気筒ガソリンエンジンは最高出力105ps程度で、パワー不足を指摘されていたが、1968年にはビュイック社製の3.5L V8を導入し、160psを発揮して0-97km/h加速を10秒5で達成する、当時としては驚異的な性能を持つセダンに仕上がっている。
14年間で32万台が生産された2000は、1976年にローバーSD1(詳しくは後述)に置き換えられた。
1965年:オースチン1800
1800は、広い室内、大きなトランクルーム、実用性、前輪駆動(FF)方式の組み合わせが審査員に評価された。その不格好なエクステリアデザインから「陸蟹」というニックネームがついたが、発売当初は英国のメディアから絶賛された。
年間20万台の販売を見込んでいた1800は、エンジン関連の信頼性問題や厳しい競争により、4万台を売るのがやっとだった。最終モデルであるMk3は1972年に登場し、1975年にはオースチン・プリンセスにバトンタッチした。
1966年:ルノー16
ルノー・フリゲートの後継モデルとして登場した16は、15年間で200万台近くが生産され、販売面でも大成功を収めた。快適で広々とした室内空間が評価され、ハッチバックデザインを中流階級に、ひいては大衆に広めた革新的なクルマである。
レース界の伝説的な人物スターリング・モスが「最もインテリジェントにデザインされた自動車」と評した16は、今もなお語り継がれている名車だ。
欧州で成功を収めた後(米国ではそうでもなかったが)、1975年に大型のルノー20/30が後継として登場する。残念なことに、16は当時大衆車として使用されていたため、現在ではごくわずかしか残っておらず、そのほとんどがフランスにある。
1967年:フィアット124
コイルスプリングの改良による快適な乗り心地と、全輪ディスクブレーキによる安全性向上により、1967年に受賞したボクシーでコンパクトなフィアット流セダン。124をベースに、ワゴン、スポーツクーペ、スポーツスパイダーなどのバリエーションが登場した。
8年間続いた初代124の生産は1974年に生産を終了し、もっとボクシーなフィアット131に置き換わった。フィアットは2015年のロサンゼルス・オートショーで、マツダ・ロードスターをベースとした新型124スパイダーを発表し、「124」という名称を復活させている。
1968年:NSU Ro80
二輪車の名門メーカーNSUは、1968年、Ro80でやや意外な勝利を収めた。空力に優れた流線型のセダンだが、そのエクステリアデザインだけでなく、革新的なロータリーエンジンも受賞理由となっている。
当時の一般的なセダンより高出力のヴァンケルエンジンは、スムーズにパワー供給が魅力的だったが、信頼性に欠け、こまめなメンテナンスが必要だった。
このエンジンをめぐる保証クレームで、NSUは徐々に衰弱していく。やがてライバルのフォルクスワーゲンと手を組み、アウトウニオンと合併せざるを得なくなった。これが、後にアウディと呼ばれるようになる会社である。
アウディは1998年に発売したスタイリッシュなスポーツカーに「TT」と名付けたが、これはNSUがスポーツクーペに使用していた名称を受け継いだものである。
1969年:プジョー504
504は乗り心地、視認性、造りの良さのすべてが審査員から高く評価された。ピニンファリーナが手がけたイタリアンなボディラインが人気を博し、美しく魅力的なカブリオレモデルも誕生した。
1983年にフランスでの生産を終了したが、2006年まで世界各地で生産されている。欧州で300万台、ナイジェリアやオーストラリアなどで50万台以上生産され、厳しい環境下での耐久性が高く評価された。後継車はプジョー505である。
現存する個体は数少ないが、数年前、AUTOCARは英国で走行距離100万kmを超える個体を探し当てた。
1970年:フィアット128
128も前述の124と同様、コンパクトで実用的なフィアットのファミリーセダンである。エンジンとトランスミッションを横置きにした画期的な前輪駆動方式で、その後のFF車の基準を築いた。
20年近く生産された128は、人気の高いクーペをはじめ、さまざまな車種のベースとなっている。1985年に生産が終了すると、リトモに受け継がれた。
1971年:シトロエンGS
この年、シトロエンは初めて欧州COTYを受賞した。今日、シトロエンはセルフレベリング・サスペンションシステムにより、歴史上最も乗り心地の良いクルマを製造したフランスのメーカーとして有名である。
GSはこのハイドロニューマチックシステムを採用。どんな荷重がかかっても自動的に水平になり、常に一定の車高を保つことができる。その結果、比類ない快適性と路面追従性能を実現し、COTYの審査員もそれを高く評価したようだ。
1979年のモデルチェンジでGSAと改名されたが、基本的には同じクルマである。GS/GSAの総販売台数は約250万台で、チリやジンバブエなどさまざまな場所で生産された。16年にわたる生産の後、箱型のZXが跡を継いだ。
1972年:フィアット127
6年ぶり3度目の首位獲得を果たしたフィアット。今回は、前回受賞した128とほぼ同じプラットフォームを採用した127が選ばれた。アーティキュレーテッド・ステアリングコラムやクラッシャブルゾーンなど、安全面での革新性がCOTY審査員から高く評価された。
127は販売面で成功を収め、12年の生涯を通じて3回のフェイスリフトが行われた。1983年にウーノに選手交代している。
1973年:アウディ80
NSUとアウトウニオンの合併で生まれたアウディは、設立からわずか4年で80(B1)が欧州COTYを受賞するなど、早くから市場における優位性を確保した。
80は2ドアと4ドアのセダンがあり、フォードやオペルといった大企業への対抗馬となったのである。実用性、豊富なエンジンラインナップ、軽量設計が評価され、ルノー5を抑えて1位を獲得した。
アウディ80は若いユーザーにウケが良く、BMWとの覇権争いにも有利に働いた。3世代にわたり生産が続けられ、A4と改称されてからも主力ラインナップの一翼を担い続けている。
1974年:メルセデス・ベンツ450SE
450SEは、速さ、豪華さ、そして何より安全性が審査員に評価された。実際、乗用車において「初」の安全機能を数多く導入している。たとえば、衝突時にドライバーの頭部を保護するためのパッド付きステアリングホイール(エアバッグが普及する前)や、汚れを防いで照度を保つためのリアライトのリブなどが有名だ。
W116は1974年当時、最高のクルマであっただけでなく、おそらく最も安全なクルマであり、それが広く認められたというわけだ。
4年後の1978年には、世界初のターボディーゼルエンジンを搭載した300SDが登場した(米国のみ)。W116は47万3035台を販売し、8年間の生産を終えた後は1980年にW126型へとモデルチェンジを果たす。現在もSクラスは高級車の定番として、アウディ、BMW、ジャガー、レクサスなどのライバルを抑えて世界的に販売されている。
1975年:シトロエンCX
空気抵抗係数のフランス語表記であるCXにちなんで名付けられたこの大型セダンは、1976年にプジョーに買収される前の「本物のシトロエン」最後のモデルでもあり、「大きなシトロエン」の最後でもあると多くの人に言われている。
抵抗係数わずか0.36と空力性能に優れたCXは、流麗なデザイン、改良されたハイドロニューマチック・サスペンションによる快適な乗り心地、当時のシトロエンが得意とした革新的なインテリアで勝利を収めた。
その奇抜なデザインとビロードのような乗り心地で欧州で人気を博したが、ドイツのライバルとの競争により、期待されたほどの売れ行きには届かなかった。しかし、17年間の生産で約120万台が販売されている。
1976年:シムカ1307-1308
はじめはクライスラー、その後PSAから販売された1307は、英国でデザインされ、フランスで生産された。そんな複雑な成り立ちを持つクルマだが、前輪駆動ハッチバックの先駆けとして気概のある小型車だった。
COTYの審査員は、そのデザインや実用性、高度な装備品を高く評価し、やや古いエンジンについては見過ごすことにしたようだ。
英国ではクライスラー・アルパインとして知られるシムカ(写真)は、その生涯を通じて10種類ものネームプレートを付けられ、さまざまなバッジエンジニアリング(OEM)が行われた。1986年に生産を終了し、シトロエンBXやプジョー405などPSAのラインアップに取って代わられた。
1977年:ローバー3500
3500 SD1は、フェラーリ365GTB/4デイトナなどにインスパイアされたデザインの大型ハッチバックである。比較的上級のP6の後継車であるSD1は、生産コスト削減のため、P6の複雑なリアサスペンションを廃止し、ライブリアアクスルに変更した。そのため乗り心地は悪く、リアブレーキもドラム式となっている。
しかし、ルックスや路上追従性、V8エンジンが評価され、COTYのタイトルを獲得した。アウディ100やフォード・フィエスタを抑えての受賞である。
ブリティッシュ・レイランドの下で生まれた3500は、品質の低さと信頼性に悩まされたものの、英国警察に愛用されるなど、10年間で30万台が販売されている。1987年にホンダとの共同生産によるローバー800が登場し、3500は引退した。
1978年:ポルシェ928
911の後継車として開発された928は、V8エンジン、優れた動力性能、驚くほどリーズナブルな価格設定で審査員から歓迎された。ポルシェにとって最初で最後のCOTY受賞となっている。
928は結局911に取って代わることはなく、1995年に廃止されるまで共存し続けた。約6万1000台が生産されている。
928は美しいボディワーク、ブレーキ、最高出力350psの改良エンジンを搭載した928 GTSで有終の美を飾るが、それに見合うだけの値札が付けられた。常に人気の高い911の陰に隠れていた928だが、近年は再評価され、現存個体の価値も高まっている。
1979年:シムカ・クライスラー・ホライゾン
シムカ、クライスラー、タルボから販売されたホライゾンは、ライバルであるフィアット・リトモを抑え、1979年の欧州COTYを獲得した。現代的な前輪駆動方式は、先代のヒルマン・アベンジャーやシムカ1100を凌ぐものであり、審査員たちを魅了したのである。
クライスラー・ヨーロッパにとって、3年ぶり2度目の受賞となったが、この年の経営破綻を回避するため米国政府に支援を求めたため、あまり良い結果とはならなかった。救済措置の一環として、欧州部門をフランスのPSAに売却しなければならなくなったのだ。
ホライゾンは1979年8月1日からタルボとして販売され、当初は好調な売れ行きを見せたが、フォード・エスコートMk3やオペル・アストラなど、高性能なライバルが登場して影が薄くなってしまう。PSAのラインナップでは、実質的にプジョー309が後継となった。
1980年:ランチア・デルタ
1979年、ジョルジェット・ジウジアーロによってデザインされたエレガントでコンパクトな5ドアハッチバック。このサイズのクルマとしては驚くべきハンドリングと快適性を備えていた。
これは完全独立リアサスペンションのおかげであるが、ラック・アンド・ピニオン式ステアリング、分割可倒式リアシート、デフォッガー、エアコン(オプション)など、当時のこのクラスでは珍しい上級装備も目玉だった。
デルタはラリーで大成功を収め、WRCで46勝、コンストラクターズ選手権では当時の最高記録となる6連覇を達成。1991年のフランクフルト・モーターショーでは、ホモロゲーションスペシャルモデル、インテグラーレ・エボルツィオーネ(通称エボ)が発表され、現在では最も人気のあるホットハッチの1つとなっている。
1981年:フォード・エスコート
コードネーム「エリカ」と呼ばれたフォードの人気ハッチバックの3代目は、横置きエンジンレイアウトと前輪駆動の全く新しい設計で、クラス最高の空気抵抗係数0.37を誇った。
旧型の古めかしい板バネ式サスペンションを全輪独立懸架に変更し、信頼性とメンテナンス性に優れたCVHエンジンを搭載。審査員に好印象を与え、フィアット・パンダを抑えて欧州COTYを獲得した。
1982年には、大型のコルチナを抜いて、英国販売チャートのトップに躍り出ている。デルタ同様、エスコートも長く実りあるラリー活動を行い、ゴルフGTIに対抗するためにXR3やXR3i(FI仕様)といった高性能モデルも登場した。
1989年には、エスコートMk3は英国内だけで150万台近くを売り上げた。1998年にフォーカスにバトンタッチしたが、現在も英国の道路にはさまざまな世代のエスコートが走っている。
1982年:ルノー9
ルノー9は世界戦略車として設計され、試作車では220万kmを超えるテスト走行を実施。世界中のさまざまな市場で販売された。
保守的な設計とスタイルで、先代のルノー14よりもはるかに好評を博し、その機能性、快適性、ハンドリングが高く評価された。完全独立懸架のサスペンションや、当時としては珍しい5速のトランスミッションも欧州COTYにおける勝因となった。
現在ではほとんど忘れられているが、2000年までトルコで生産され、長寿を全うしている。米国でのみ販売されたコンバーチブル仕様もある。
1983年:アウディ100
欧州COTYの審査員に称賛されたのは、洗練性と低燃費。後者については、クラス最高の空気抵抗係数0.30を達成したことが、燃費の向上に一役買っている。当時としては過去最高の410点を獲得し、フォード・シエラに圧勝。 前輪駆動方式が上級車にも魅力的なレイアウトであることを証明した。
3代目100は、アウディが高級車メーカーになるための一助となったクルマだ。5000として販売された米国では「意図しない急加速」が問題となり、安全性が懸念されたものの、1990年のモデルチェンジまで100万台以上が生産された。
1984年:フィアット・ウーノ
新型プジョー205と首位を争ったウーノは、1971年から販売されている127の老朽化に伴う改良型であった。ウーノ(イタリア語で「1」の意)は、当時としては珍しいシングルワイパーを採用したことからその車名がつけられた。
手頃な価格と軽快なハンドリング、そしてわずか711kgという軽量も手伝って、優れた燃費性能でも審査員の度肝を抜いた。
ウーノは、今日まで続く小型車メーカーとしてのフィアットの地位を確立し、1989年に大規模なフェイスリフトを行ったが、1995年にその役目を終えた。その後、プントが後継車となった。しかし、発展途上国での人気は高く、ブラジルでは2013年まで販売されている。販売台数は900万台近くに達する。
1985年:オペル・カデット/ヴォグゾール・アストラ
英国ではヴォグゾール・アストラMk2として知られるオペル・カデットの最終モデル「E」は、1984年に発売。その革新的なデザイン、アップグレードされたインテリア、豊富なエンジンラインナップが審査員から高く評価された。
3ドア、5ドア、キャラバン(ワゴン)など、さまざまなバリエーションがこのモデルの人気を高め、最高出力117psを発揮するスポーティなGSiも登場している。
GM帝国の中で極限までバッジエンジニアリングされたカデットは、ブラジルではシボレーのクルマとして知られ、デーウ・ルマン(レーサー、ネクシアとしても知られる)の基礎ともなった。
1991年以降、オペル/ヴォグゾール間で車名をアストラとして統合し、現在もこの名称が使われている。
1986年:フォード・スコーピオ/グラナダ
主流メーカーの上級モデルがよく売れた時代、スコーピオ(英国とアイルランドではグラナダMk3)はシエラのデザインセンスを活かし、より大きくエレガントなボディ形状に進化した。ハッチバックも用意され、このクラスでは真新しい選択肢として高い実用性が謳われた。
スムーズでガッツのあるV6エンジンは、スコーピオの魅力を際立たせるものだが、欧州COTYの審査の決め手となったのは、全車種にABSブレーキが標準装備されたことだった。
初代スコーピオは、販売に支障をきたすことを恐れて、グラナダの名前を使い続けた。しかし、1994年に登場した2代目では欧州全域でスコーピオの名称が統一され、優れたコストパフォーマンスと乗り心地を有していたが、賛否分かれるデザインが注目を集めた。
「バグアイ」と呼ばれるような虫の目を彷彿とさせるルックスと、沈み込んだリア・テールライトはあからさまな批判を浴び、発売からわずか4年後に販売中止となったのだ。それ以来、フォードは欧州で大型セダンを販売していない(現在では米国でも販売されていない)。
1987年:オペル・オメガ
英国ではヴォグゾール・カールトンとして知られているオペル・オメガ。車載トリップコンピューターやエアコン付きグローブボックスなど、数々の斬新な機能を搭載し、好評を得た。 審査員からは、先進の空力性能とマルチリンク式リアサスペンションによる優れた乗り心地が評価されている。
オメガは、当時最も高性能なスポーツセダンの1つである1990年のロータス・カールトン/オメガのベースとなった。サスペンションはロータスが高速安定性と動力性能の向上のために改良したもので、オペル・セネターズのパワーステアリングシステム「サーボトロニック」を採用した(現代のクルマと同様に、速度に応じてアシスト量を可変)。
標準のオメガは、1994年に生産を終了している。
1988年:プジョー405
1988年の欧州COTYで、405は2位のシトロエンAXに212点もの大差をつけた。205の軽快なハンドリングをそのまま大型車に移植したような設計が評価され、ドライビングプレジャーのトップクラスへと躍り出たのだ。
ピニンファリーナが手がけた405は、その動力性能だけでなく、経済性とパフォーマンスの優れた画期的な新型XUD 1.9ディーゼルエンジンも評価されている。
欧州では10年間販売され、1997年に406にバトンタッチした。しかし、イランではイラン・ホドロ社によって、安全装置を多く搭載した最新モデルとして今も生産されている。
405は全世界で約250万台が販売された。英国でも大ヒットしたが、爆発するトウモロコシ畑とハイウッド映画『トップガン』の音楽を使ったテレビコマーシャルが注目を集め、笑い話のネタになったという。
1989年:フィアット・ティーポ
錆びを防ぐため、ティーポはボディ全体が亜鉛メッキされたパネルで作られている。新しいプラットフォームと箱型デザインにより革新的なパッケージングを可能にし、当時のフォード・エスコートと似たようなサイズでありながら、後席レッグルームは1クラス上のシエラを凌ぐものであった。
また、ハンドリングの良さや購入価格の安さも、オペル・ベクトラ/ヴォグゾール・キャバリエ(2位)、フォルクスワーゲン・パサート(3位)を抑えて、トップに立つ大きな要因となった。
ブラジルでは絶大人気を誇るフォルクスワーゲン・ゴル(ゴルフではない)を上回る唯一のモデルとなり、欧州では1995年まで販売された。後継のスティーロとブラーボはそれほど人気がなかったが、2015年にティーポの名が再登場している。
1990年:シトロエンXM
亜鉛メッキのボディパネル、ベルトーネのエレガントなライン、そして電子制御サスペンションによりコーナリングでのロールを抑えつつ快適な乗り心地を実現したXMは、「大きなシトロエン」を現代的に解釈したモデルとして、審査員に感銘を与えた。
また、リフトバックデザインは実用的で、CXの風変わりなインテリアデザインの要素も残っており、ドイツのライバルとは大きく異なる運転体験を提供してくれる。
XMは欧州市場で年間16万台の販売を見込んでいたが、電子部品の不具合により信頼性が損なわれ、イメージ悪化につながった。販売は10年間続いたが、世界的な不況の影響もあり、合計生産台数は33万3775台となっている。
1991年:ルノー・クリオ
欧州COTYの審査員は、ルノー5におしゃれな衣装を着せただけにもかかわらず、クリオ(日本名:ルーテシア)がすべての要素をカバーしていると絶賛した。運転が楽しく、適度に実用的で、当時の小型車としては十分な装備を備えながら手頃な価格を実現していたのだ。
初代クリオでは、最高出力147psの限定車クリオ・ウィリアムズも登場し、カルト的なファンを獲得した。1998年に曲線的な2代目に引き継がれた。
1992年:フォルクスワーゲン・ゴルフ
3代目となったゴルフの成熟ぶりは、審査員を感心させた。また、カブリオレやワゴンなど、多彩なボディスタイルと高い品質により、フォルクスワーゲンとして初めてCOTYを受賞した。
経済性に優れた新型1.9 TDIディーゼルもデビューさせている。しかし、派生モデルのGTIは、2.8L VR6を搭載していたものの、印象は薄かった。このモデルには、今日のストップ/スタートシステムの先駆けである「エコマティック」ディーゼルも導入されていた。
1996年には全モデルにABSが標準装備されたが、ハンドリングは売れ筋のライバルであるプジョー306に劣るとされることがしばしば。3代目ゴルフは、1998年に品質が向上した4代目が登場するまで、リコールが相次いだ。
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