忘れられた世界のコンセプトカーたち
コンセプトカーは、自動車メーカーが想像力を鍛えるための手段である。秘密裏に作られることもあれば、国際モーターショーでブランドの宣伝のために作られることもある。
【画像】発想が独創的で親しみやすいフランスのコンセプトカー【シトロエン、プジョー、ルノー、アルピーヌの最新コンセプトを写真で見る】 全53枚
一般的に「コンセプトカー」と呼ばれるものは、少なくとも1930年代から存在している。何年も人々の記憶に残るものもあるが、ほとんどは新しいものが現れるとすぐに忘れ去られてしまう。例えば、2010年にシトロエンが発表したセダンのコンセプトカー(画像)を覚えている人はどれほどいるだろうか?
自動車史に残る何百もの候補の中から、今回はあまり記憶に残っていない44台のコンセプトカーを年代順に並べてみた。知っているものが10台以上あれば、物知りと言えるかもしれない。
前編では戦前のアストン マーティンから20世紀末のビュイックまで、後編(別掲載)は三菱自動車の大胆なSUVからシボレーの小型FRスポーツカーまでを紹介する。
アストン マーティン・アトム(1940年)
英国のアストン マーティンが1940年に発表したアトムはドラマチックなスタイルの小型セダンで、当初2.0Lのオーバーヘッドカムエンジンを搭載していたが、1944年にわずかに排気量アップしたプッシュロッドエンジンに変更された。
実業家デビッド・ブラウン(1904-1993)は、アストン マーティン買収を決断する直前にこのクルマに乗っており、さぞ感銘を受けたと思われるが、量産化が実現することはなかった。
クライスラー・ファルコン(1955年)
自動車デザイナーのヴァージル・エクスナー(1909-1973)が中心となって設計し、ギア社が製造したファルコン。クライスラー・ヘミV8エンジンの4.5L版を搭載したレーシーな2シーター・ロードスターである。
初代シボレー・コルベットの2年後、初代フォード・サンダーバードと同時期に発表され、両車のライバルとなる可能性もあったが、クライスラーは量産化を見送った。
アルファ・ロメオ・カラーボ(1968年)
かのマルチェロ・ガンディーニ(1938年生まれ)が、低いウェッジシェイプとシザードアを備えたミドエンジンのカラボをデザインしたとき、未来をストレートに表現しようとしたに違いない。アルファ・ロメオはコンセプトの段階より先には進ませなかったし、1960年代には世界はまだこのようなクルマを受け入れる準備ができていなかったのかもしれない。
しかし、カラボはガンディーニがデザインしたもう1台のクルマに酷似している。それはランボルギーニ・カウンタックで、コンセプトに終わったカラボとは異なり、1974年に発売された。
マツダRX-500(1970年)
一見、RX-500はアルファ・ロメオ・カラボと同じ経緯でデザインされたように見える。ウェッジシェイプ(カラボほど極端ではないが)、ミドマウントエンジン(ツインローター)、バタフライスイングドア、ガルウィングのエンジンカバーを備えている。
まさしく「スーパーカー」と呼ぶにふさわしい風体だが、実際にはマツダの安全性研究のショーケースとして開発されたものだった。RX-500のリアエンドには緑や黄などさまざまな色のライトが並んでいるが、これは加速しているのか、速度を維持しているのか、あるいは減速しているのかを後続車に知らせるためのデザインだ。
日産126X(1970年)
マツダRX-500と同様、特殊なリアライトを装備した日産126X。1970年に登場したもう1つのウェッジシェイプ・コンセプトカーである(当時はその手のものが多かった)。
そのフォルムは、マツダやアルファ・ロメオ・カラボに比べると、スーパーカーらしさはやや薄れているが、ある意味ではさらに奇抜なものだった。ルーフ、ウィンドスクリーン、フロントボディパネルで構成された、フロントヒンジで開閉するキャノピーから乗降するという点で、日産は他社より一歩先を行っていた。
フォード・シーラス(1972年)
フォード・シーラス(Cirrus)はファストバックだが、単に小型セダンのエスコートRS1600のコスワースBDAエンジン搭載の高性能バージョンだった。
このデザインは、英国馬車自動車工業会が主催し、英デイリー・テレグラフ紙が推進したカーデザイン・コンペティションの入賞作をベースにしている。後に判明したことだが、入賞者はクライスラーで働くプロのデザイナーだった。
ボルボVESC(1972年)
スウェーデンのボルボが1972年のジュネーブ・モーターショーでVESCを発表したころには、自動車の安全性へのこだわりはすでに有名だった。多数のエアバッグ、自動展開式ヘッドレスト、アンチロック・ブレーキ、自動燃料供給カットオフ、一体型ロールケージ、音響式後退警告、前面衝突時に前方に引き込まれるステアリング・ホイールなど、当時としては珍しかったが今ではごく一般的な装備が満載されている。
スタイリングはやや攻めているが、若干トーンダウンした形で1974年にボルボ200シリーズとして発売された。
アルファ・ロメオ・ニューヨーク・タクシー(1976年)
ニューヨーク近代美術館が提示した課題に対するイタルデザインの回答は、全長わずか4mながら5人乗りで、座席の下には折りたたみ式の車椅子が収まるスペースを備えたタクシーである。さらに実用性を高めるため、1976年当時としては非常に珍しい両側スライドドアを採用した。
量産化されるまえにプロジェクトが中止され、アルファ・ロメオとニューヨークのタクシーは縁を絶たれてしまった。興味深いコンセプトだっただけに残念だ。
AMC AMバン(1977年)
米国のAMCが開発したAMバンは、ステーションワゴンのペーサーにも似ているが、コンセプト80というテーマで作られた7台のコンセプトカーのうちの1台である。小型で低燃費という将来のモデルに関するアイデアを披露するためのキャンペーンだった。
四輪駆動と言われ、ボディの両サイドには「TURBO」の文字もあるが、実際には走行できない不動のモデルだった。AMC消滅後もコレクションとして保存され、2022年夏にオークションで新しいオーナーが見つかった。
ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム・タイプK(1977年)
2代目ファイヤーバードのステーションワゴン版を作るというアイデアは、ゼネラルモーターズ内で驚くほどの支持を得たようだ。2つのコンセプトが作られ、ここで紹介しているのは後に1979年の標準モデルのフェイスリフトに合わせてアップデートされたものである。
特徴としては、リアのラゲッジ・コンパートメントにアクセスできるガルウィングドアなどがある。製造コストが莫大にかかるという事情を含め、いくつかの理由で量産化は断念された。
ランチア・メガガンマ(1978年)
イタルデザインは2年後、アルファ・ロメオ・ニューヨーク・タクシーのようなワンボックスボディに回帰し、メガガンマを開発した。
このメガガンマを見たイタリアのランチアは、十分な顧客層にアピールできないとして却下したが、これは誤った判断だったかもしれない。プロジェクトが中止された6年後に登場したルノー・エスパスは、同様の原理で設計されたMPV(ミニバン)であり、大成功を収めた。
ランチア・シビロ(1978年)
メガガンマとシビロ(Sibilo)の唯一の接点は、どちらも1978年のトリノ・モーターショーに登場し、ランチアのバッジを付けていたことである。それ以外はまったく違った。
ベルトーネがデザインしたシビロは、基本的にはストラトスをより長く、より奇抜にしたものだ。コンセプトカーは2.4Lのフェラーリ製V6エンジンを搭載している。
クライスラーETV-1(1979年)
ETVとは “Electric Test Vehicle(Electric Test Vehicle)” の略で、クライスラーが電気駆動システムを実車で試すために作ったコンセプトカーである。
現在の状況とは対照的に、1979年当時は電気自動車に対する世間の反応はごく冷めたものであったため、ETV-1はプロトタイプの域を出ることはなかった。
ランチア・メドゥーサ(1980年)
メドゥーサは、ジョルジェット・ジウジアーロ(1938年生まれ)がデザインした最高のエアロボディを持つ、ミドエンジンのランチア・モンテカルロの派生コンセプトだ。デロリアンDMC-24になる可能性もあったが、デロリアン社が倒産したため、そのアイデアは消えてしまった。
代わりに、このデザインは1982年のランボルギーニ・マルコポーロという別のコンセプトカーにインスピレーションを与えている。
アウディ・スポーツ・クワトロRS 002(1986年)
RS 002は単なるコンセプトカーに終わるはずではなかった。ラリーカーと同じ四輪駆動システムを採用したミドシップクーペで、1987年にグループBに代わって導入予定だったグループS国際モータースポーツレギュレーションのために作られた。
ひどいクラッシュが相次いだため、グループSは廃止され、より生産性の高いグループAが導入されることになった。RS 002は予選を通過するのに十分な台数を製造することができなかったため、1度もラリーに参加することなくプロジェクトは中止された。
BMW E1(1991年)
E1は、(19年前の1602 Elektro-Anrtriebのように)既存モデルを流用するのではなく、ゼロから電気自動車を開発するという試みであった。AUTOCARを含むレビュアーたちから好評を博し、1993年にも同様の挑戦が行われた。
これらすべてが興味深いものであったにもかかわらず、すぐに市販車には結びつかなかった。電気自動車のBMW i3が販売店に並ぶのは2013年のことである。
メルセデス・ベンツF100(1991年)
後のルノー・アヴァンタイムよりも奇妙な外観のF100は、仮に発売されてもおそらく一握りの買い手しかつかなかっただろうが、ポイントはそこではない。重要なのは、ガス放電式ヘッドライト、音声認識、電子式タイヤ空気圧モニター、従来のキーの代わりとなるチップカードなど、実際に市販車に採用することになる新技術を盛り込んだことだ。
F100はまた、差し迫った危険についてドライバーに警告できるようにする計画もあった。ルーフには2平方メートルのソーラーパネルが搭載され、最大100Wの発電が可能とされる。
ルノー・レナステラ(1992年)
パリ近郊にあるディズニーランド・パリに展示されたレナステラ(Reinastella:1930年頃に短期間生産されたルノー車にちなんだ名称)は、2328年のラインナップに追加されると言われる架空のマシンである。
24世紀半ば、レナステラは街中では道路から15cm、郊外では150m上空を飛ぶことができ、最高速度は300km/hに到達するという。しかし、開発中に不幸な事故が起きたと言われている。砂漠での有人飛行テスト中、プロトタイプが墜落し、2人の乗員の体が車体に “吸収” されたそうだ。ルノーはその市販バージョンにおいて、安全上の理由から哺乳類と相性の悪い構造を改良し、人体の同化現象を回避したとされている……。
フィアット・ダウンタウン(1993年)
ダウンタウンは全長わずか3mの小さな電気自動車だったが、フロントにドライバー、リアに2人の乗員という3人乗りのスペースがあった。
最高速度は100km/hと謳われている割には、おそろしくトップヘビーに見えるが、その重心はおそらくかなり低かったのだろう。バッテリーは後輪の間に搭載され、アルミ製シャシーにプラスチック製のボディパネルを組み合わせている。
ビュイックXP2000(1995年)
XP2000はビュイックのバッジを付けられ、米国の3大モーターショーに出展されたが、実際にはGMのオーストラリア向けブランドであるホールデンの手によって開発されたものだ。
Vプラットフォーム(元々はドイツのオペルが開発したもの)をベースにしたXP2000は、将来の市販車として大いに期待されたが、GMは量産化を見送った。
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