Lamborghini Miura P400
ランボルギーニ ミウラ P400
ポルシェ カイエンターボに、680ps&900Nmを発揮するプラグインモデルが追加ラインナップ!
59回目を数える世界屈指のクラシックカーショー
1950年にスタートしたペブルビーチ・コンクール・デレガンスは、毎年、厳選された車両のみが参加を許される世界屈指のクラシックカーショーだ。第59回目となる今年、8月18日の日曜日に行われる「ランボルギーニ ミウラ クラス」に、ランボルギーニから5台のミウラが参加することが明らかになった。
5台のミウラは全車が興味深いヒストリーを持っており、そのうち3台はランボルギーニのヒストリックカー部門であるランボルギーニ・ポロストリコによってレストアを受けている。現在よりもデザイナーやエンジニアの自由が許されていた1960年代は、まさに“魔法の時代”と呼ぶに相応しいほど魅力的なスーパースポーツが世に放たれることになった。
ミウラは、ランボルギーニのエンジニアグループの夢の結晶とも言える存在だった。開発を手がけた技術陣の最年長は27歳という若さであり、エンジニアのジャンパオロ・ダラーラやパオロ・スタンツァーニ、彼らを支援したフェルッチオ・ランボルギーニ、そしてベルトーネの最年少デザイナー、22歳のマルチェロ・ガンディーニらによって夢のスーパースポーツは完成した。
1966年のジュネーブ・モーターショーでワールドプレミアされたミウラは、現代的な素質を備えた最初のスーパースポーツとみなすことができる。4リッターV型12気筒エンジンを横置きでミッドに搭載したミウラは当時最速の生産車であり、1966年から1973年にサンタアガタ・ボロネーゼで763台が製造されている。現在、最も価値が高く人気の高いヒストリックカーの1台だと言えるだろう。
レーサーのカール・フォイテクがチューリッヒで購入
今回、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスに登場する5台のミウラのヒストリーは以下となる。
1967年式ミウラP400(#3087)は、アメリカ・カリフォルニア州ベルヴェデーレのトム&グウェン・プライスが所有。25台生産された初期型のうち、22番目に製造された1台だ。
1967年6月にスイス・チューリッヒのディーラーを通じてレーシングドライバーのカール・フォイテクが購入。1972年に、アメリカ・イリノイ州レイクフォレスト在住のジョン・ミドルトンに売却される。彼が約40年間所有したのちに3番目のオーナーがレストアを行い、2018年10月に現在のオーナーであるトム&グウェン・プライスが購入した。
Lamborghini Miura P400(#3303)
ランボルギーニ ミウラ P400(#3303)
イラン革命の混乱を生き延びた101台目のミウラ
1968年式ミウラP400(#3303)は、アメリカ・ワシントン州メディナのジョン&キム・シャーリーが所有。101台目のミウラとして1968年2月に完成し、最初の所有者であるイラン皇帝のモハンマド・レザー・パフラヴィー(パフラヴィー2世)へと納車された。
このP400は、自動車マニアとして知られるパフラヴィー2世により、クロームメッキのフロントバンパーや特注のステアリングホイールなど、様々なカスタマイズが施されている。パフラヴィー2世はスタッドタイヤを履いたP400で、サンモリッツの別荘までドライブしたという有名なエピソードもある。
パフラヴィー2世は1979年のイラン革命直前にこのP400を売却。海外への密輸直前にホメイニ師率いるイラン革命政府によって没収され、約30年間保存が続けられた。2018年に完全なレストアが行われ、現在のオーナーが2019年初頭に購入している。
Lamborghini Miura P400(#3586)
ランボルギーニ ミウラ P400(#3586)
パラマウントに貸し出され、『ミニミニ大作戦』のロケに参加
1968年式ミウラP400(#3586)は、リヒテンシュタイン・ファドゥーツのカイザー・コレクションが所有する。
このP400は、1969年6月2日にヨーロッパで封切られたマイケル・ケイン主演『ミニミニ大作戦(原題:The Italian Job)』の冒頭シーンに登場。映画内では、俳優のロッサノ・ブラッツィがドライブし、ブルドーザーで崖から突き落とされている。このクラッシュシーンで使用されたボロボロのミウラと同じボディカラーのクルマとして、ランボルギーニからパラマウント映画に貸し出された。
撮影終了後はファクトリーへと戻され、イタリアのディーラー・ザーニを介して最初のオーナーであるイタリア人の元へとデリバリーされた。その後50年の間に世界中の様々なオーナーを経て、2018年にフリッツ・カイザーが購入。ランボルギーニ・ポロストリコによりレストアされ、映画の撮影に使われたP400だと正式に認定されている。
Lamborghini Miura SV(#3673)
ランボルギーニ ミウラ SV(#3673)
FIA会長のジャン・トッドが所有するミウラSV
1972年式ミウラSV(#3673)は、FIA会長のジャン・トッドが所有。150台生産されたミウラSVのうちの1台だ。
最初のオーナーである南アフリカ空軍の元パイロット、アーサー・メチンは新車に掛けられていた莫大な輸入関税を避けるべく、1968年製造のシャシーナンバー取り付けをランボルギーニに要求。1972年11月に南アフリカへと輸出され、約30年間同国に留まった。その後、2001年にアメリカへと売却。2016年にトッドが購入し、2018年にランボルギーニ・ポロストリコによるレストアを受けている。
Lamborghini Miura SVR(#3781)
ランボルギーニ ミウラ SVR(#3781)
1975年にドイツ人オーナーの要求でミウラ SVRに
現在、日本のオーナーが所有する1968/1975年式ミウラSVR(#3781)は、1975年にサンタアガタ・ボロネーゼにおいてワンオフモデルとして製作された。
そもそも1968年に「ミウラS」として、トリノ・ショーで公開後、イタリアのオーナーが購入。ところが、1975年にこのミウラSを購入したドイツのハインツ・スティーバーは、レース仕様のミウラとするようにランボルギーニに依頼。18ヵ月におよぶ作業を経て1975年に完成する。
スティーバーはその後、日本のコレクターに売却し、2016年に現在のオーナーが購入した。このクルマも1975年の納車時点のコンディションとすべく、ランボルギーニ・ポロストリコによるレストアを受けている。
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
「とりあえず増税ね」で50年!? 「世界一高い」自動車諸税&ガソリン税“見直し”正念場 “年収の壁”の向こうの璧
「黄信号だ。止まろう」ドカーーーン!!! 追突されて「運転ヘタクソが!」と怒鳴られた…投稿に大反響!?「黄信号は止まるの当たり前だろ」の声も…実際の「黄信号の意味」ってどうなの?
“生産版”「“R36”GT-R」公開に反響絶大! 日産の「旧車デザイン」採用&4.1リッター「V6」搭載で「借金しても欲しい」の声! 1000馬力超えもあるArtisan「“和製”なスーパーカー」が話題に
日産「新型ラグジュアリーSUV」世界初公開! 斬新「紫」内装&オラオラ「ゴールド」アクセントで超カッコイイ! ド迫力エアロもスゴイ「QX60C」中国に登場
「子供が熱を出したので障害者用スペースに停めたら、老夫婦に怒鳴られました。私が100%悪いですか?」質問に回答殺到!?「当たり前」「子供がいたら許されるの?」の声も…実際どちらが悪いのか
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント
この記事にはまだコメントがありません。
この記事に対するあなたの意見や感想を投稿しませんか?