馬力は元気なバイクのバロメーター!?
いまどきの1000ccスーパースポーツは200馬力オーバーが当たり前。だけど昔は「1000ccで100馬力」が、ハイパワー車の目安だった。なのに「パワーの出過ぎは危険!」とばかりに規制がかかる……。行ったり来たりしながら、今はどうなっているの?
【懐かしのバイク用語 Vol.8 1年車検】いつの時代も日本は旧車に厳しい!?
異なる排気量でも性能を比較しやすい
もはや半世紀以上も昔の話になるが、国産バイクが世界に打って出た1960~70年台頃は、高性能なスポーツバイクのパワーの指針として「リッター100馬力」という言葉があった。これは『排気量を1000ccに換算したら何馬力?』ということで、排気量が異なるバイクでも比較しやすいのが利点だった。計算の仕方はいたって簡単で
馬力÷排気量×1000=リッター馬力
で算出できる。
排気量や気筒数によっても達成の難易度が変わるようだが、60~70年代当時の4ストロークエンジンを搭載する市販バイクにとって、高性能を語るにはリッター100馬力は超えるべきハードルだったのだ。
大排気量&高出力の先駆けだが、リッター100馬力に届かず……
―― 1969年 ホンダ CB750FOUR
736cc 67馬力 [リッター91馬力]
数々の「世界初」を有するレジェンドだが、リッター馬力は91馬力に留まる。当時は大排気量ほどリッター馬力が低めな傾向があったように思える。
4ストローク400ccで、初のリッター100馬力は?
―― 1974年 ホンダ CB400FOUR
408cc 37馬力 [リッター90.7馬力]
398cc 36馬力 [リッター90.5馬力]
400ccクラス初の4気筒エンジンを搭載。免許制度改正の前後で排気量が異なるモデルをリリースしたが、最高出力は大きく変わらない。ちなみに前身であるCB350FOURは、347ccで34馬力なのでリッター98馬力になり、ヨンフォアを上回っていた。
―― 1977年 ホンダ HAWKII CB400T
395cc 40馬力 [リッター101.3馬力]
新設計エンジンは2気筒にも関わらず高効率な3バルブ(吸気×2、排気×1)やCDI点火等の新機構によって、4ストロークの400ccクラスで初めてリッター100馬力を達成した。
2ストロークは早期からリッター100馬力を超えていた
かつて4ストロークにおいてリッター100馬力はひとつの壁だったが、戦後から60年代頃まで国産バイクで主流だった2ストロークエンジン車は、じつは当時からリッター100馬力を超えるモデルが少なくなかった。クランク2回転で1回爆発する4ストロークより、クランク1回転ごとに爆発する2ストロークの方がパワーを稼ぎやすく、構造もシンプルだったからだろう。
しかしホンダは1951年に4ストロークのドリームE型(146cc、5.5馬力)を発売しており、有名なマン島TTレースや後の世界GPも4ストロークで闘い、その技術を投入した市販車は早期からリッター100馬力を達成していた。とはいえ50~60年代のホンダのスポーツ車は、ほとんどレーサー並みの作りでプライスも相応に高額だった。
アメリカで名を上げたカワサキの2ストローク
―― 1966年 カワサキ 250A1
247cc 31馬力 [リッター125.5馬力]
対米輸出の本命車でありSAMURAI=サムライのペットネームを持つ。GPレーサーと同じロータリーバルブを採用し、最高速も165km/hと当時の250クラスで突出した速さを誇る。
―― 1969年 カワサキ 500SS マッハIII
498cc 60馬力 [リッター128.2馬力]
トリプル(3気筒)シリーズの先鞭を切ったマッハIII。250のマッハIや350のマッハIIも余裕でリッター100馬力オーバー。71年登場の750SSマッハIVは748ccで74馬力なのでリッター98.9馬力でギリギリ届かなかったが、抜群の加速性能を誇った。
当時のホンダ4ストは、ほとんどレーサー!?
―― 1959年 ホンダ ベンリィ CB92 スーパースポーツ
124cc 15馬力 [リッター121馬力]
実用車C92をベースに大幅にチューンナップ。当時の125cc2ストローク単気筒が8馬力前後だったのに対し、4ストローク2気筒で2倍近いパワーを発揮した。
―― 1960年 ホンダ スポーツカブ C110
49cc 5.0馬力 [リッター102馬力]
初代スーパーカブC100のエンジン(4.3馬力)を圧縮比アップなどチューンを施してリッター100馬力を達成したスポーツマシン。
バイクブームに押され、パワーもうなぎのぼり!!
1975年の免許制度の改正により、当時のスポーツバイクの主軸は250・400クラスとなり、ホンダ以外のメーカーもこのクラスに4ストロークモデルを積極的に投入し始めた。そしてホンダのホークII(1977年)が400クラスの4ストロークで初めてリッター100馬力を達成した。
その後、2気筒勢ではDOHC4バルブのスズキGSX400E(1980年)が44馬力と健闘するが、やはり本命は4気筒。79年のカワサキZ400FXは43馬力で、2気筒のGSX400Eに及ばなかったが、80年のヤマハXJ400が45馬力、Z400FXの後継モデルであるZ400GP(82年)が48馬力と矢継ぎ早にパワーアップ。
そして400レプリカの先駆けといえるGSX-R(84年)が59馬力を発揮。ホークIIのリッター100馬力達成以来、わずかな期間で1.5倍近くもパワーアップしたのだ。
250クラスは4ストロークで先行していたホンダはもとより、各メーカーで2気筒が出揃った時点でリッター100馬力を超えていたが(77年ヤマハGX250:25馬力、79年カワサキZ250FT:27馬力、80年スズキGSX250E:29馬力)、やはり水冷4気筒の登場で一気にパワーアップした。
ちなみに排気量上限の自主規制により、当時の国内モデルの最大排気量である750ccクラスで最初にリッター100馬力を達成したのは、1983年に発売されたヤマハのXJ750D-IIの75馬力。続いてホンダCBX750F、スズキGSX750S、カワサキGPZ750Rがそれぞれ77馬力で発売された。
250/400クラスは4気筒化で一気にパワーアップ!
―― 1984年 スズキ GSX-R(400)
398cc 59馬力 [リッター148.2馬力]
アルミフレームや耐久レーサーを彷彿させるスタイルでレプリカ人気を加速させたGSX-R。前モデルで同系の水冷4気筒を搭載するGSX400FW(50馬力)から9馬力もアップした。
―― 1985年 ヤマハ FZ250 フェーザー
249cc 45馬力 [リッター180.7馬力]
250クラスでヤマハ初の水冷4気筒は、いきなり45馬力を発揮。同クラスの水冷4気筒はスズキが真っ先にリリースした(1983年GS250FW 36馬力)。
◆四輪車はノンターボだとリッター100馬力はキビしい
―― クルマ(四輪車)も1970~90年代頃までは、リッター100馬力が性能の目安によく用いられていた。1960年代の2ストローク360ccの軽自動車はリッター100馬力超えのモデルもあったが、4ストローク車はターボ等の過給機を装備しないと達成が困難だった。しかし1989年に可変バルブタイミング+リフト機構のVTECを装備する高性能DOHCエンジンを搭載するホンダのインテグラが、NA(自然吸気)エンジンでリッター100馬力を実現した(写真はインテグラXSi。1595ccで160馬力)。ちなみに日本メーカーのNAエンジンの現行販売車では、リッター100馬力を超えるクルマは存在しないようだ。
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