ニューモデル開発はいつだって未知への「挑戦」だ。しかし、そのなかにも「守り」のニューモデルと、明らかな攻めの「挑戦車」がある。
どちらが悪くて、どちらが良い、というのもないだろう。「キープコンセプト」ひとつ取ってみても、それが支持されることもあれば、なんで変えちゃったの? ん? お? と顰蹙(ひんしゅく)を買うこともある。
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ただひとつ確かなことがあるとすれば、果敢な挑戦の先にしか「革新」はないだろう、ということだ。ここでは「クルマの未来」そのものに挑んだ“挑戦車”たちを紹介したい。
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※本稿は2020年3月のものです
文:清水 草一、ベストカー編集部/写真:ベストカー編集部
初出:『ベストカー』 2020年4月26日号
■【清水草一的視点】果敢に挑んだものの砕け散った挑戦車たち
(TEXT/清水草一)
真っ先に思い浮かんだクルマ、それはマツダのミレーニア/ユーノス800! その心臓は、ミラーサイクル+リショルムコンプレッサー式スーパーチャージャー! パワーと燃費の両立を狙った、すさまじく意欲的なエンジンだったけど、マツダの5チャンネル体制の大失敗もあって超絶不発! 最終的に何台出荷されたんだべ……というほど売れなかった。
2.3Lミラーサイクルにリショルムコンプレッサー。凝ったエンジンのユーノス800(写真はミレーニア)
私は当時、ミレーニアで四万十川までロングドライブテストを行ったので、本当に思い出深いのです。確かに当時としてはパワーも燃費も優れていたんだけどねぇ……。こういう志が高すぎてビジネスで失敗するパターン、現在のSKYACTIV-Xと重なって見えてしかたない。考えただけで涙が。
トヨタのiQも理想は高かった。超絶コンパクトな高級車というコンセプト、そしてしっかりした走り。イタリア・ヴェローナの街角で見かけたiQは実に美しかった。惜しいクルマを亡くしました。
トヨタiQは技術的に凝ったものだったが、販売には結びつかなかった
しかしまぁ、あの想像を絶する狭さの後席は何だったんだろう。あれはなにをどうする気だったんだっけ!? 紙人形でも積むつもりだったの!? 今でもよくわかりません。
スズキ・ツインもメチャメチャ心に残っている。究極の効率を求めた営業車なんてすごすぎる! ホンダのインサイトもすごかったけど、ツインは営業車メインで2シーターの燃費アタッカーなんだからニッチの極致! 鉛バッテリーを大量に積んだツインHVは国立科学博物館モノ! 当然の如く販売的に大敗北を喫し、滅亡していきました。その儚さを我ら日本人は美しいと感じます。
小さいという意味では、こちらスズキツインがトヨタiQよりも先に挑戦した。ピョコピョコした乗り味でしたなぁ~
5代目ビスタは、今でいうハイトワゴン……じゃないけど、天井を高くしてスペースを稼ぐタイプのさきがけで、多くの評論家から絶賛されたもんだ。
私は周囲が絶賛するなか、「なんであってもこんなカッコ悪いクルマは絶対ダメ!」と思ったけど、今街で5代目ビスタを見かけたら駆け寄って抱きしめたい。特にセダンのカッコ悪さはおしりがムズムズするほどで、見かけたら熱烈なキスの雨を降らせたいです。
1998年に登場した5代目ビスタのワゴンは「アルデオ」。セダンイノベーションをテーマに、新世代のセダンのあり方を模索していた
CR-Xデルソルの志の高さは、今さら繰り返すまでもなかろうて。今をときめくヴァリオルーフのさきがけだもんね! 当時の日本の体育会的雰囲気は、こういうリゾート感覚を軟弱と捉え、リンチを受けて抹殺されました。連合赤軍の悲劇。
あまりに衝撃的すぎたCR-Xデルソルのルーフ脱着機構。トランクからアームが伸びて強引にルーフをさらっていくのだった
最後に、トヨタのヴェロッサ! イタリア車へのかぎりない愛が、とんでもないアルファロメオとなって昇華した。その心意気はあまりにも愚直! フランシーヌの場合はあまりにもおばかさん! 涙なしには見られません。ヴェロッサ、好きです。ほしくないけど。
トヨタ ヴェロッサ
■勝っても負けても「挑戦」するクルマは魅力的なのだ!
(TEXT/編集部)
前のページで清水さんが挙げてくれたように、挑戦の結果は残念ながら討ち死に……ということもある。いや、成功するよりも失敗に終わるクルマが多いかもしれない。
でも、無難なクルマ作りをしてなんとなくモデルライフを終えて忘れ去られてしまうクルマたちよりも、失敗なら失敗で鮮烈な印象を刻みつけて散っていったクルマのほうが記憶に残るものだ。
初代インサイトは挑戦むなしく敗れ去ったかのように思われがちだが、それはプリウスに対する販売面での話で、技術的にはホンダがあの当時持っていた低燃費化技術をおしげもなく徹底的に投入して開発した究極の燃費スペシャル市販車だった。
超燃費スペシャルとしてホンダが技術を注ぎ込んで開発された初代インサイト。2人乗りだし、妙な形だし、なんか使いにくいし……。でも、徹底的な低空気抵抗や高効率エンジンなど技術的な意義は大きい
なにしろわざわざ専用開発した低フリクション高効率3気筒エンジンにモーターを組み合わせ、アイドリングストップや回生システムを装着。アルミボディ、アルミボディパネルを多用した車体は5MT仕様で820kgと超軽量。
リアタイヤを覆うスパッツまで付けてCd値は0.25を達成。当時のJC08モードで燃費値は35.0km/L(デビュー当時。その後35.0km/L)で先に登場していたプリウスを凌いでいた。
一時期この初代インサイトを所有していた鈴木直也氏は「まるで試作車のような作り方。製造工程もかなりの部分が手作業だったのではなかろうか。凝りに凝ったマニアックな設計が心くすぐるんだよね。
でも、このインサイトで細心の注意をして走らせても実燃費40km/Lいくかいかないか。これを最新のヤリスハイブリッドは普通に走って超えちゃうのだから、技術の進歩は恐ろしい。でも、こうした各メーカーの積み重ねがあればこその技術進歩なのだから、意義は大きい」と評価する。
初代ヴィッツは衝撃的だった。それまでのスターレットから一転、デザイン的にも操安性の面でも欧州コンパクトカーのテイストを実感した
1985年に登場した3代目アコードに設定された「エアロデッキ」は2ドア+ワゴンという異色のコンセプト。偉大なる挑戦だったが……
2000年前後にトヨタが「セダンイノベーション」をテーマに掲げて新たな車型のクルマ作りを模索していた時期があった。
2000年5月に登場したオーパはワゴンとも5ドアハッチともとれるボディ形状を採用し、後席をロングスライドさせることで室内空間に自由度を持たせた進化形セダンの提案モデル。
2000年登場のオーパ。両車ともにセダンイノベーションの挑戦から生まれたクルマたちだ
その一環だったのが前項で清水さんが挙げていた背の高いセダン、1998年登場の5代目ビスタだったのだ。
オーパと競合するトヨタ車として存在したナディア(1998年登場)もセダンイノベーションの一環。
2列シートのミニバン風デザインの5人乗りで、後席はロングスライドしてセンチュリーより広い足元空間を実現したのがウリのポイントだった。
1998年登場のナディア
これらの挑戦はその後の車種開発のカテとなり現在に繫がっているのだ。
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みんなのコメント
短時間で一気に加速してパーシャルで定置走行、がハイブリッドシステムを一番活かせた。
減速時はまた強めにしないとNi-MHがすぐダメになるという、道路交通に於いては渋滞要因と成り兼ねない結構迷惑な感じの乗り方が求められるものだった。
ホンダの主催するエコランという競技があり、1Lのガソリンで何km走れるか(上位は千kmをゆうに超えている)だが、それが同じく一気に加速してあとはエンジンを切って惰性で止まるまで~という乗り方をするもので発進加速については同じだなぁと思ったものでした。