モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、1990年代にデイトナ24時間レースやル・マン24時間レースを戦った『フェラーリ333SP』です。
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『TWRポルシェWSC-95』ジャガーがポルシェに? 再活用から生まれたル・マン連覇車【忘れがたき銘車たち】
初開催から100周年を迎えた2023年のル・マン24時間レース。そんな記念すべき今年のル・マンを制したのはスポーツカーレースにワークスとして50年ぶりに復帰したフェラーリだった。
フェラーリは、“ワークスとしての参戦”ではなかったものの、およそ30年近く前になる1990年代にも、1台のスポーツプロトタイプカーを生み出してル・マン24時間レースなどの耐久イベントに参加していたことがある。そのマシンが『フェラーリ333SP』だ。
『333SP』の生まれは1994年。以前、この連載で紹介した『TWRポルシェWSC-95』と同じく、アメリカのIMSAシリーズに当時、新たに設けられたWSCクラスに参戦するために開発された車両だった。
このプロジェクトはステアリングなどで日本でも馴染み深い『モモ』の代表だったジャンピエロ・モレッティの「スポーツカーレースにフェラーリで参加したい」という熱烈な声に応えるかたちで始動。マシンのデザインには、ジャガーのグループCカーなども手がけたトニー・サウスゲートが携わっていた。
オープントップの2シーター車両であった『333SP』は、カーボンとアルミを組み合わせたモノコックを持ち、それに搭載されるエンジンには後に『F50』という市販スポーツカー用のものをベースに排気量を3997ccとしたV型12気筒NAを採用。これはWSCの規定でエンジンは市販ベースでなければならないと定められていたためであった。
『333SP』は誕生後、モレッティをはじめ、数多くのプライベーターチームに供給され、IMSAをはじめとするさまざまなイベントへと参戦を開始。当初は24時間レースを完走できる耐久性に疑問があったため、フェラーリ本社がエントリーをさせない意向だったル・マン24時間レースにも1995年から挑むようになった。
ル・マンでは1995、1996年とリタイアに終わっていたが、サウスゲート含む開発チームによって耐久用のモディファイが進んだこともあって、戦闘力が向上。1997年にはモレッティのマシンが6位に、1998年にはドイル-リシレーシングのマシンが8位に入るなどのリザルトを残している。
それでも残念ながらル・マンで勝利を収められなかったが、同1998年のデイトナ24時間レースではモレッティの『333SP』がついに勝利を収めた。
1994年の誕生ながら5シーズン目のビッグイベントでも優勝を飾るほど、『333SP』は長きに渡りその高いポテンシャルを発揮しつつ、ユーザーたちにも愛されたマシンであった。
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みんなのコメント
あとロケットスポーツが走らせていた333SPは確か唯一日本に在ってフェラーリ美術館に飾られていたはずですが、閉館後の今でも日本にあるのかな?