『サプライズ人事』とは、まさにこのことだろう。引き続きトヨタGAZOO Racing WEC(世界耐久選手権)チームのドライバーを務めながら、新たにチーム代表職を兼ねることが発表された小林可夢偉。そして現役を完全引退し、1月1日よりTGR-E(トヨタGAZOO Racingヨーロッパ。旧TMG)の副会長(バイス・チェアマン)に就くことになった中嶋一貴氏のことである。
2021年最終戦バーレーンを前に、WECレギュラードライバーからの勇退を発表していた一貴氏については、「WECチームの要職に就くのでは」という噂はたしかにあった。だがチームの枠を飛び越え、TGR-E経営陣に加わるという発表は想像の上をいくものであった。
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可夢偉のチーム代表兼務も、もちろん予想できなかった人事だ。発表会の壇上で豊田章男社長は、可夢偉がこれまでさまざまなチームでレースを戦ってきた経験を引き合いに出し、「彼にWECチームの代表になって欲しいとお願いしました。ドライバーもやりながら、チームリーダーもやる。新たな挑戦ですが、彼なら良いチーム作ってくれると信じております」と期待を寄せたが、可夢偉本人も「自分のなかでも想像もしていなかったオファー」であったと胸中を明かしている。
■可夢偉の考える『ドライバー・ファースト』なチームづくり
体制発表会後に設けられたグループ取材の席では、GAZOO Racingカンパニーの佐藤恒治プレジデントを交え、今回のチーム体制が構築された意図や、この先の青写真が語られた。
「チーム代表だからといって、僕が何かを独断で決めるようなことはありません」と自身に新たに加わる代表職について可夢偉は説明する。
「(豊田)社長、佐藤プレジデント、そしてチームマネジメントをしているロブ(・ロイペン)、パスカル(・バセロン)、ジョン(・リッチェンス)とともに、いつものメンバーでミーティングをして、基本的なチーム運営のところを決めていきたい。そこに一貴も入るんじゃないかと思っています」
可夢偉が目指す理想のチーム像は、豊田社長も言う『プロフェッショナルでありながら、ファミリー的』であり、『ドライバー・ファースト』なチーム。トヨタのWEC首脳陣にはドライバー出身者がおらず、そこへ可夢偉が『ドライバーの視点』を持ち込んで、改革を進めることが期待されている。
「やっぱり、コミュニケーションがすごく大事だと思うんです」と可夢偉は言う。
「だからドライバーにも、マネジメントの状況をしっかり説明して、ドライバーからもマネジメントにどういうリクエストをしたらいいのか、その良い落とし所を見つけるという作業は、僕がこれからやっていくべき『ドライバー・ファーストなチームづくり』のひとつのプロセスなのかな、と思っています」
ドライバー業との両立について問われた可夢偉は、「自分がもっと速くなろう、上手くなろう、というのは常にやっていること。僕がいまやるべきことは、それだけではありません。若いエンジニアを育てたり、平川(亮)みたいな若い日本人ドライバーを世界で戦えるよう育成したり、トータルの面でクルマづくりにしっかり貢献できるようにやっていきたいと思っています」と広い視点から自らの役割を語った。
「若いドライバーやエンジニアをまずヨーロッパに連れてきて、いろいろな経験をさせてあげて、それが量産車のクルマづくりにつながるようにしたい。エンジニアには日本語での細かいフィードバックをしっかり理解してもらうとか、そういうことを(レベルの)高いフィールドでできたら、エンジニア育成にも貢献できる。ぜひそういうチャレンジもしていきたいと思っています」
可夢偉の言葉を引き継ぎ、佐藤プレジデントは「そういった意味では、未来志向なチーム作りをやりたいと思っています」と今回の体制づくりの意図を説明した。
「可夢偉さんが現場でチーム代表を兼ねながらチーム作りをやっていき、一貴さんと僕はどちらかとういと中長期的な、耐久レースとトヨタとの関わりをどうしていくべきなのか、という部分をやっていきます」
「平川くんみたいに若い、日本を代表して世界で戦う若手を育て、章男社長が言っていたように景気の変動や短期的な流行に左右されない、安定的にモータースポーツとトヨタが関わっていくためにはどういう活動をしていけばいいのか、というのを考えていきたい」
■若手育成の環境整備には「すごく強い使命感を持っている」と一貴氏
一方、TGR-E会長を兼務する佐藤プレジデントを支える立場となる一貴氏は、「基本的には、TGR-Eが受け持つ部分全般」を幅広く見て、経営に参画していくことになる。佐藤プレジデントのベースは日本だが、一方の一貴氏は近く渡独。ケルンでの舵取りは一貴氏、そして引地勝義社長が主に担うことになるのだろう。
また、一貴氏はACOフランス西部自動車クラブやFIAなどとの交渉面にも関わっていくことになりそうだ。
「耐久レースでいえば、中長期的なことを考えるにあたってはオーガナイザーとのコミュニケーションも必要になってきます」と一貴氏。
「とくにこれからはエネルギー(戦略)を含めていろいろと変わっていかなくてはならないなか、レギュレーションづくりも大事になってくるでしょうし、そこでしっかりとコミュニケーションをとることがひとつの仕事でもあると思います」
「また、ドライバー・ファーストという部分は章男社長も強調してくださっていて、僕もドライバー出身なので、その目線で改善できる部分や、平川だけでなくその先も含めた若いドライバーが育っていけるような環境を作っていくのも、もちろん自分の課題になってくるでしょう」
「僕自身、ずっと世界を目指せる環境のなかでレースをさせてもらってきました。その環境をこれからもキープしていかなければと思っていますし、個人的にもそこに関してはすごく強い使命感を持っています」
今回のマネジメント就任は、ドライバーとして現役を退くという決断と表裏一体のものであった。2022年に向けた話し合いのなかでは「日本で(現役として)乗りながら……という選択肢をいただいたりもした」と一貴氏は明かしている。
「ただ、自分のやれることのなかで将来に向けて一番意義があることは何かと考えたときに『こういう立場でドイツに常駐して、やれることをやることだ』と自分で決めました。大きなチャレンジではありますが、ただ自分が乗り続けることよりも、そこに何か大きな意味を生み出せるんじゃないかと思っています」
一貴氏の副会長就任について佐藤プレジデントは、次のようにその背景を補足する。
「トヨタの経営というのは、現場主義なんです。現場を一番分かっている人間が、ちゃんと現場と連携をしながら改善をしていく、というのが経営の原点になるので、長年トヨタのモータースポーツを支えてきてくれた一貴さんが、そういった目線を持ちながら経営的視点で改革をしていくということは、トヨタにおける経営のあり方とまったく同じベクトルのことです」
「もうひとつ、我々はドライバーのキャリアというものを、ものすごく大事に考えています。これだけエクストリームなスポーツに取り組んでいるアスリートでありながら、アスリートに対するリスペクトであるとか、そのキャリアに対する世の中の考え方には、まだまだ課題があるのではないかと思っています」
「そういう意味では、今回一貴さんが道を拓いてくれて、世界でしっかりと結果を残しているアスリートに対して(引退後は)また違うステージが用意され、キャリアとしてサスティナブルになっていく、と」
このタイミングでの大変革となった理由は、発表会でも語られたとおり多くのライバルマニュファクチャラーがWECに参戦してくる2023年に向けて、2022年を“助走の一年”とする狙いがあるからだ。
加えて佐藤プレジデントは、「機は熟した」という表現で今回のタイミングを説明した。
「モリゾウさん(章男社長)がずっとトヨタのモータースポーツの改革をやってきて、ある意味モータースポーツが特殊な世界だったところから、(いまでは)経営の中心に据えながらモータースポーツを起点にしていろいろなものを改革していく、あるいは挑戦していくというのが、会社の中に根付き始めています」
「今日ここに同席しているドライバーたちも本当に志が一緒なんですよ。だから我々はいわゆる“契約ドライバー”といった概念では捉えていなくて、まったく普通に、仲間として日頃から会話ができる人たちが出てきた。そういった“場”の整い方というのが、おそらく一番大きい」
「ゆくゆく将来的にレギュレーションがどうのこうの(変更される)というタイミングが来るときに、我々の新しい体制がそこから全力で動けるような基盤づくりを、(ル・マンで)連勝できているいまだからこそ、やらなければいけないというところだと思います」
前WECチーム代表で、レーシングハイブリッドの誕生時からプロジェクトの中心人物であった村田久武氏は、10月1日付でGRカンパニーを離れ、パワートレーンカンパニーへと異動している。新型ル・マン・ハイパーカー、『GR010ハイブリッド』がデビューしてタイトルを獲得したことで、ひとつの時代がゆるやかに終わりを告げ、トヨタの耐久レースは新たな章へと突入していく時期を迎えている。
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