マトラを知っているか
text:Kazuhide Ueno(上野和秀)
【画像】マトラ・シムカMS670 細部まで見る【高額落札】 全21枚
photo:Philippe Louzon/ARTCURIAL MOTORCARS
日本でマトラ(マートラとも記す)というメーカーは、熱烈なフランス車ファンだけが知るマニアックな存在だ。
もともとは航空宇宙関係のメーカーだったが、世界初の市販ミドシップ・スポーツカーであるルネ・ボネ・ジェットのFRP製ボディの製作を担当した。
その縁から経営不振に陥ったルネ・ボネを傘下に収め、自動車メーカーとしてスタート。1967年には自社開発のミドシップ・スポーツカーのMS530を送り出す。
マトラ社はモータースポーツに熱心で、F3、F2、F1で活躍を遂げるとともに、スポーツ・プロトタイプ・マシンで1966年からル・マンに挑戦を開始する。しかしその壁は高く、完走できたのは4年目となる1969年のことで、4位、5位、7位でチェッカーフラグを受けた。
ちなみにスポーツ・プロトタイプ・マシンは2リッターのMS620に始まり、1967年にはMS630、1969年には3リッターのMS650、1970年になるとMS660へと進化。そして、1972年シーズンに向けて製作されたのが今回出品されたMS670なのである。
しかしレースに注力したことからマトラ社は経営難に見舞われ、1969年にクライスラー傘下のシムカ社と合併し、社名はマトラ・シムカに変わる。
マトラ・シムカMS670とは
地道にル・マンへ挑んできたマトラだが、1972年から世界スポーツカー選手権の車両規定が変更される。
それまでポルシェ917やフェラーリ512Sなどの5リッター・スポーツカーで競われてきたが、新たに3リッター・プロトタイプ・マシンによって競われることになったのである。
3リッター・プロトタイプ・マシンで闘ってきたマトラにとって神風といえる変更といえた。
この頃のマトラ・シムカは、地元のル・マンのみに照準を合わせており、1972年大会には3台のMS670と1台のMS660Cという総力戦で挑んだ。
1972年シーズンに向けて製作されたMS670のシャシーは、アルミニウム製モノコックにFRP製カウルで構成され、車両重量は678kgと軽量。ミドに積まれるのは、マトラ自製の60°V12エンジンで、2999ccの排気量から456.9psを発揮した。
ウェッジシェイプのスタイリングが主流の中にあって、MS670は曲線で構成されたスタイリングが特徴だった。しかしル・マンを主戦場とするだけに、空力抵抗の減少やダウンフォースは突き詰められ、高い空力性能を発揮している。
1972年ル・マン優勝車
マトラ・シムカのライバルだったフェラーリは4台の312PBを1972年のル・マンにエントリーしていたが、耐久性の問題から直前になって参加を取り止める。
そのためライバルといえたのがアルファ・ロメオT33だったが、その戦闘力は低かった。
こうした中でスタートが切られたものの、ジャン-ピエール・ベルトワーズ/クリス・エイモン組のCN:670-03は2周目にエンジントラブルで早々にリタイアを喫す。
また、前年型のMS660は313周まで快走したが、クラッチを壊して戦列を離れてしまう。
生き残った2台のうち、アンリ・ペスカローロ/グレアム・ヒル組のMS670(CN:670-01)が独走して初優勝。
フランソワ・セベール/ハウデン・ガンレイ組のCN:670-02が2位に続き、マトラ・シムカは念願のル・マン優勝を1-2フィニッシュで飾った。
CN:670-01は1973年シーズンも改良が加えられて実戦投入され、ツェルトベクで優勝を勝ち取り、ル・マン、モンツァ、スパで3位に入るなど、マトラ・シムカのメイクス・チャンピオン獲得に貢献した。
パリに姿を現したCN:670-01
パリの冬を代表するクラシックカー・イベントとして親しまれている「レトロモビル」だが、今年はコロナ感染症の影響から6月に延期となった。そのためレトロモビル内で開かれる「レトロモビル・オークション」も延期されてしまう。
主催するアールキュリアルは、この日のために仕込んでいた車両を寝かしておくわけにもいかず、2月5日にパリのシャンゼリゼにある本社内で「パリジェンヌ・オークション」を開催することにした。
フランスのオークションとあって、その主役は自国の至宝といえるマトラ・シムカMS670だった。それも1972年のル・マンで優勝したCN:670-01だけに、世界中から注目を集めることに。
事前の予想落札額は、400~750万ユーロ(約5億800~9億5250万円)と発表された。
フランスを始めとするヨーロッパ各国でコロナ禍により外出制限が続くうえ、経済の先行きが不透明なこともあり落札に否定的な声もあがっていた。
しかしオークションが始まると入札はヒートアップし、最終的に690.72万ユーロ(約8億7722万円)で決着がつく。1970年代の極みとなる1台とあって、ヒストリーを考えれば順当な額といえ、先頃のオークション・バブル期であれば確実に十億円を超えていたことだろう。
やはり極め付けのクルマは、景気が落ち込んでもちゃんと評価されることが証明された。
ランニング・コンディションにあるだけに、愛好家としてはル・マン・クラシックなどで「ジャーン」と響き渡る独特な12気筒サウンドを是非披露してもらいたいものだ。
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みんなのコメント
レース自体はマトラの独走に終始したようにうろ覚え、私にとっての最大の思い出は完走したレースカーがサーキットから自走で出てきて走り去った事でした、しかも何台も・・・十代の少年がレースファンになった瞬間の出来事でした。