ホンダと聞くと、心躍るのはなぜだろう。ホンダ車を所有している人はもちろん、所有したことがない人であっても、ホンダの動向はどこか気になるのではないか。
ホンダが放つ魅力は何なのか、どこにあるのか?
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たとえばF1に参戦しているからなのだろうか。NSXやS660のようなスポーツカーを品揃えしているからだろうか。独創技術によるエンジンやクルマが、ほかにない魅力を生み出しているのか。
しかし、モータースポーツへの参戦では、トヨタがル・マン24時間レースや、世界ラリー選手権(WRC)に参戦中で、かつてはF1にも参加していた。
スポーツカーでは、マツダがロードスターを販売し続けている。
技術の面では、技術の日産といわれるくらい、日産が技術力を誇っており、一つの象徴として日産GT-R(R35)を販売し、フェアレディZも息を永らえている。
モータースポーツの取り組みや、スポーツカー開発、あるいは独創の技術が、必ずしもホンダらしさを示しているわけではない。
答えは、人の力なのだと思う。人が企業をまとめ、人が技術やクルマ、そしてホンダの場合はバイクや汎用機器をつくりだす。人の考えかたの違いが、ものづくり、企業風土に違いをもたらすはずだ。
抽象的な表現だが、『ホンダらしさ』とはいったい何のかを考察していく。
文:御堀直嗣/写真:HONDA
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ホンダらしさの象徴が本田宗一郎イズム
ホンダを創業した本田宗一郎は、創業以来、社内報を通じて社員に数々の言葉をかけている。宗一郎とともにホンダを築き上げた副社長の藤沢武夫、2代目社長の川島喜好の言葉もある。
それら珠玉の言葉が、『TOP TALKS』という社内向け単行本として創業35年を記念して編纂された。
本田宗一郎をはじめ、役員は、社員に何を語ったのか。
ホンダの創始者本田宗一郎氏(写真右)と第1期F1時代の監督の中村良夫氏(写真左)。マシンは1966年のRA273
中心となるのは、人間である。「人間中心」という言い方は、今日いくつものメーカーで話されるが、一般的なのは人間中心のクルマづくりであろう。
しかしホンダは、クルマの仕立てだけでなく、クルマを販売する人、消費者、そしてもちろん従業員に対しても、人間中心、個人の生き様や生き甲斐をおろそかにしてはならないと宗一郎は何度も語っているのである。
従業員には、仕事も楽しめなければならないという。では、仕事の楽しみとは何か。それは、一人ひとりが挑戦できることだ。それによって、苦しいことも辛いこともすべてが喜びとなって、生きることを意欲的にさせる。
これこそが、よい製品を生む原動力になると本田宗一郎は語るのである。
空前の大ヒットモデルとなっているN-BOXは、クルマの出来のよさだけでなくホンダが作ったスーパーハイトワゴン軽自動車という特別感も人気の要因
いっぽうで、挑戦すれば失敗もある。失敗を恐れれば、挑戦できなくなり、無難な仕事ぶりとなって、仕事への意欲は衰えるだろう。だから、ホンダは失敗を許すと公言する。ただし、何度も失敗してはいけない。
同時にまた、一刻も早く失敗を取り返すことも求めると付け加える。時間的早さを求めるのだ。そこに集中力が生まれ、全知性が発揮される。
失敗も一つの経験であり、それは駄目だという方向づけにおいて結論になる。そこから次善の策を求めることで新たな発見が生まれ、独創が形を成していくことになるのだ。
だから、同じもの(たとえば軽自動車のスーパーハイトワゴン)をつくっても、ホンダ車は何かが違うと消費者も感じるのではないか。
ホンダの『評価会』
挑戦した仕事の可否を確認する場として、ホンダ技術研究所には評価会という手続きがある。そこで、開発過程を役員から問診されるのだ。指摘された点を改善できなければ、次へ進めない。
背景にあるのは、かつて本田宗一郎が技術者たちの仕事に質問をぶつけ、技術内容が不十分であると、「翌朝までに案を考えてくるように」と、指示を出したことではないだろうか。
本田宗一郎の凄さは、一人ひとりの技術者に課題を出し、翌朝の回答を求めるだけでなく、宗一郎自身も翌朝までに回答を用意してきたことである。
ホンダはフェラーリ、ポルシェなどのようなスポーツカーを作るためだけのメーカーではないが、ホンダ製スポーツカーへの期待は大きい
とある元技術者は、「自分が一つの回答を得るのに一晩さんざん苦労してきたのに、オヤジさん(創業期の人々は宗一郎をそう呼んだ)は、課題を出した全員の回答を翌朝までに用意してくるのですから、その数は10や20ではない」と、感嘆した。
宗一郎のそうした取り組みが、2代目の河島社長からはじめられた集団経営体制のなかで、評価会のかたちをつくっていったのだろう。
挑戦に喜びを覚えながら開発に携わった技術者は、評価会での認証をもらうため必死に仕事に励んだはずだ。同時に、評価する役員にも高い技量や知見が求められる。技術者も役員も、相互に研鑽する体制が、評価会の存在といえそうだ。
本田宗一郎氏の夢であった航空機産業への参入も結実させたホンダ。世界で唯一陸海空のモビリティに関与していることは人間力抜きでは語れない
ホンダが提唱する『3つの喜び』
ホンダは、1990年代初頭に経営危機を迎えていた。いすゞビッグホーンや三菱パジェロなど、レクリエイショナルヴィークル(RV)を持たなかったため市場の要求にこたえられず、三菱自と合併するのではないかと噂されたほどであった。
起死回生となるのは、1994年に誕生するミニバンのオデッセイである。アコードの技術を応用し、4ドアセダンやステーションワゴンの生産しかできない背の低い工場ラインで製造できる、最大のクルマであった。
1990年代前半に経営難から三菱に買収されるのではないかと噂になっていたホンダだったが、1994年デビューの初代オデッセイで起死回生
既存の設備を活用しながら、それまで国内になかった新しい価値を創造したのである。
続いて商品化されたステップワゴン、S-MX、CR-Vなどを含めRVと呼ばず、クリエイティブムーバーと呼び、新たな価値を言葉でも提案した。
オデッセイが売れはじめてから、「ミニバンメーカーになったのか」というような揶揄もされた。
オデッセイ、ステップワゴンのヒットによりミニバンメーカーと揶揄されたホンダだが、それはユーザーを喜ばせるひとつの手段だった
しかしホンダは、スポーツカーメーカーやモータースポーツのための企業ではなく、人間を中心とした商品をつくるメーカーであり、原点は、本田宗一郎が自転車にエンジンを取り付けて販売したバイクである。
世のため人のために役立つことを目指したのであり、それを端的に表現したのが、「3つの喜び」の提唱だ。
「買って喜び、売って喜び、作って喜び」である。
当初この言葉は、「作って喜び、売って喜び、買って喜び」の順であった。これを藤沢武夫が直した。
初めて『HONDA』の名を冠した製品は写真のホンダA型自転車補助エンジン(1947年)。本田宗一郎氏は、ダイキャストで作ることにこだわったという
「これは大変な誤りであることに気が付いた。お客様の喜びを第一にしなければならないはずだ。その喜びがあってはじめて売る喜びがあるはずである。その二つの喜びの報酬として作る喜びになるのが順序である」
このことに気付いたことが、ホンダをさらに価値ある企業としただろう。そのうえで、消費者、販売店、そして従業員すべてに喜びがなければならないことをホンダはいっている。
消費者が喜ぶことが自らの喜びにつながる
それはクルマやバイクづくりだけに止まらない。たとえば、弁当を売るにしても、一日に500食売るといったら、どういう弁当なら500食売り切ることができるだろうか?
そのための弁当作りは、苦痛でしかないはずだ。もし売れなかったら、だれが責任を負うのか?
しかし、買って食べた人が喜べる弁当とは何かを考えれば、いろいろメニューが浮かんでくるのではないか。
それを500円で売るとするなら、材料の仕入れや料理の仕方という、作る側の喜びもさらに生まれる。販売店も、消費者の生の声を聴き、売り切れば達成感が沸き起こるだろう。
初代シビックはホンダの名を世界に広めるのに大きく貢献。CIVIC(市民の意味)の車名のとおり、ユーザー目線で設計されていた
クルマも同じだ。年間10万台売るクルマとは、どのようなクルマだろうか。しかし、消費者が喜んでくれるクルマなら、いろいろ案が浮かぶのではないか。それが従業員の喜びになる。
販売店は、一店で何千台も売っているのではなく、一台一台を大切に売っている。その視点で開発すれば、おのずと商品企画が定まってくるだろう。
初代シビックは、自転車店からバイク販売をはじめ、小さな店舗のなかに置いて売ることができる寸法を基準に作られた。
それらすべてが、3つの喜びという言葉一つで表現できる。
世のあらゆる企業が定めた社是や行動指針は、ホンダのそれと大きく違わない。しかし、ホンダほど簡単な言葉で明快に語っている企業は少ない。
意味は同じでも、使う言葉が難しかったり、文章が長かったりすれば、社員すべてに共通の認識となりにくかったり、覚えきれなかったりする。
しかし、3つの喜びとして、買って喜び、売って喜び、作って喜びであると聞けば、新入社員でさえわかり、一度聞けば忘れないのではないか。そして新入社員から役員まで、共通認識を持てる。社員教育さえ不要かもしれない。
3つの喜びに限らず、簡単な言葉で、ものづくりの根幹を語れた本田宗一郎は、やはり尋常ではない逸材である。
ホンダ車が、他と何かが違うとすれば、それは商品企画でも、技術でも、造形でも宣伝でもなく、3つの喜びを目指して仕事を楽しむ従業員の力だ。
2019年7月にデビューしたN-WGNは電動パーキングブレーキの不具合で出遅れたが、クルマ作りの姿勢などを見ると、大きな可能性を感じさせる
ホンダは変わってしまったのか?
ただ、それが近年希薄になっているとするなら、やはり企業規模にあるのだろう。
1990年代にオデッセイなどクリエイティブムーバーの爆発的人気で売り上げを大きく伸ばした当時でさえ、ホンダの世界販売台数は2001年時点で267万台であった。
2015年からF1に復帰したホンダだったが、ホンダらしくないと酷評され続けた。しかし時間はかかったが勝てるポジションに到達しつつある
それは、今日プレミアムブランドといわれる、メルセデスベンツ、BMW、アウディなどの規模と同様だ。
つまり、豪華であるとか高級であるとは別の意味であるにしても、ホンダ車は人間力が投入されたプレミアムな存在であったといえる。
ところが今日、517万台を超えている(2019年)。ほぼ2倍だ。そうなれば、人の気持ちも商品も薄れていくだろう。そこからホンダの今の課題が生じているのではないか。
それでも数を追うことを止めたホンダは、改めて原点に戻る機会を模索することができるだろう。
アキュラを立ち上げなくても、ホンダこそがプレミアムであったという価値を、いまから再挑戦していけば、ホンダ独創の魅力は輝きを取り戻すはずだ。
たとえば、N-BOXやN-WGN、そして新型フィットには、そうした予兆が現れている。その背景にあるのは、やはり開発を牽引した人間なのだ。
新型フィットは2モーターハイブリッドのe:HEVを新採用。先代までは燃費を追求していたが、ドライバビリティなどにこだわり、独自の進化を遂げた
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