人生と切っても切れない関係のモーガン
執筆:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
【画像】伝統のブリティッシュ・スポーツ モーガン4/4 最新モデルも 全90枚
撮影:Will Williams(ウィル・ウイリアムズ)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)
逆らえない定めのように、想定外のトラブルに襲われても、特定のブランドから離れられないというクルマ好きは少なくない。今回ご登場願ったティム・ハーパーもそんな1人。英国マルバーンの街で作られ続ける、ロードスターへの情熱は冷めることがない。
モーガンは、彼の人生と切っても切れない関係にある。最初に恋に落ちたのは4/4(フォー・フォー)。妻になる女性との出会いは、プラス4と一緒だった。アッシュ材のフレームとともに、彼は世界各国を旅してきた。
そんな蜜月な関係をピークに高めたのが、コスワース・エンジンを搭載する4/4。これまで40年以上も一緒の人生を歩んできたというが、最近になってその歴史が明らかとなった。
「わたしの初めてのモーガンは、大学卒業と同時に買ったフラット・ラッドと呼ばれる4/4。個人売買の専門紙に載っていた、その中で1番排気量の大きいスポーツカーだったんです」。ハーパーが馴れ初めを振り返る。
「ヴァンガード社製のエンジンが載っていました。トラクターと同じエンジンでしたが、当時は知りませんでした。それから、1954年式のプラス4へ乗り換え。シチリア島からデンマークへ、ドライブもしています」
中東での石油採掘の仕事を終えると、ハーパーはデンマークへ移った。「デンマークは初めての場所でした。上司からは、国をクルマで横断するにはフェリーに乗る必要がある、と聞いていました。そこでも、選んだのはモーガンです」
キャベツ畑に転がり落ちた4/4
「滞在したホテルは禁酒を強いていて、2日目の夜からはクルマを運転して過ごしました。郊外を宛もなく。その途中にマギーと出会い、結婚して50年が過ぎます」
ハーパーは英国へ戻り研究者の道を選ぶが、難しい選択に迫られた。クラシックカーへの情熱は、その時すでに大きくなっていた。「クルマもマギーも、どちらも本当に大好き。モーガンを売るという決断は、かなり難しいものでしたね」
「北海での掘削にも少し関わりましたが、学生へ戻る決意をしたんです。学位の取得に専念するため、モーガンを売却。かわりにモーリス・マイナーを運転して、時間を満たしました」
モーガンの不在に耐えて博士号を取得したハーパーは、アバディーン大学で教職の仕事に就く。花崗岩の建築で有名な、スコットランドを代表する大学の1校だ。
論文を抱えてアバディーンへ向かう途中に見かけたのが、美しいホワイトに塗られた1950年代のプラス4。その姿へ心が奪われ、再びモーガンに乗りたいという衝動に駆られたという。
ハーパーが続ける。「市街地を運転していると、歪んだ状態のモーガンを発見したんです。所有者を訪ねると、キャベツ畑に転がり落ちたという話でした。ハードトップが付いていなければ、ぺちゃんこだったでしょうね」
「彼は1930年製のアルファ・ロメオ6C 1750のレストアを考えていて、モーガン4/4の売却には前向きでした。今では考えられないくらい安く、モーガンを手に入れたんです」。しかし、1つ条件があったという。
トラウマになったエンジンブロー
過去のレース戦績を尊重し、ボディをシルバー・ブルーで、ハードトップをダークブルーで塗装するという内容だった。クラシックカーを売るために持ち出した古いネタ話だと思い、ハーパーは深く気に留めなかったらしい。
それでも、地元のガレージへレストアを依頼する時には指定のカラーを選んだ。トランスミッションが降ろされ、ボディはまっすぐに戻された。サスペンションは、アライメントが修正された。
シルバー・ブルーのモーガン4/4は、普段乗りのクルマとして活躍した。近所の買い物から、英国を縦断するような休暇の旅行まで。「仕事でも乗りました。夏はオープンで、冬はダークブルーのハードトップを付けて」
「エンジンは、シンプルなコルティナ1500GT用でした。パフォーマンスはほどほど。故障しても、個人売買で簡単に別のエンジンを入手できたものです」
「マクラーレンで技術者をしていた友人がいて、いつもモーガンを手伝ってくれました。彼づてで、ディープ・サンダーソンというスポーツカーのレストアを手掛ける人と出会い、ローレンス・チューン仕様の1600ccブロックを載せた時もありました」
「トルクが太く、良く走りましたよ。高速道路では、140km/h以上まで加速できました。しかし、息子のロイとのフライフィッシングからの帰りに、エンジンブローです」
「1万1000kmを超えた頃でしたが、エンジンブロックの横から何かの破片が飛び出したことは忘れられません。トラウマになりました。近場のガレージへ牽引してもらい、4/4が家へ戻ってきたのは3週間後でした」
初代オーナーはレーサーのジョン・マッケニー
災難にあったハーパーだが、別のコルチナ用エンジンでモーガンは息を吹き返す。しかし、コロンビアからノルウェーへと一家は引っ越しを繰り返すことになり、モーガンは英国に残留。
ビンテージもののフェラーリやベントレーを所有する、友人のガレージに保管された。「数年後に英国へ戻ると、再びモーガンで週末を楽しむようになりました。でも、戦争から帰還したスピットファイアのようにボロボロだといわれ、手を施そうと思ったんです」
モーガンは、息子のロイの提案で赤く塗られた。クルマの歴史に興味を抱いたハーパーは、4/4の歴史を調べ始めた。記録をさかのぼるが、最初のオーナーの名前と住所は走り書きされ殆ど判読できない状態だった。
英国南西部、チェルトナムのシーダー・モーターハウス社が販売した4/4だとわかり、売り手も調査には協力的だった。それでもスコットランド風の名前で、ぶどう園で働いていたという記憶以外、情報は得られなかったという。
「そこと思しきぶどう園へ電話をすると、30年前に確かにその人物は働いていたとのこと。でも、それ以上はわからずじまい。行き詰まり、調査は諦めました」
歴史解明は放置状態となるが、1997年にハーパーが自らのクリスマス・プレゼントとして買った本で進展する。モーガン・スポーツカーズ~ローレンス・チューン・イヤーズ1961-1964という1冊だった。
ページを捲ると、レーサーのジョン・マッケニーが4/4のステアリングホイールを握る写真と出会う。本の解説が、初代オーナーの名前の判読へとつながった。
この続きは後編にて。
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