トヨタが、また新しい挑戦を始めた。水素エンジンを搭載したマシンで耐久レース参戦を開始したのである。
水素は、電気を発生させる燃料電池のとして利用できるだけでなく、燃料として直接燃やすこともできる。中学生の頃、化学の実験で試験管中の塩酸に亜鉛やマグネシウムなどの金属板を入れて水素を発生させ、アルコールランプに近付けてポンッと燃焼させるような実験は、誰もが経験しているだろう。
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燃料電池は水素を酸素と結合させて電気を取り出しているのに対し、燃焼によって酸素と結合させ熱エネルギーとして取り出すのが水素エンジンの原理だ。
エンジン自体の仕組みは通常のガソリンエンジンとほぼ変わらない。空気と水素を混ぜて圧縮し、そこにスパークプラグで火を付ければ爆発的な燃焼が起こる。
文/高根英幸 写真/TOYOTA、BMW
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水素エンジンの挑戦と課題
BMWが開発したV12水素エンジン車「Hydrogen(ハイドロジェン)7」(2006年)。100台限定で生産された
ご存じの方も多いと思うが、1990年代にはBMWが水素燃料のV12エンジン、マツダは水素燃料のロータリーエンジンを試作車レベルでは完成させている。
クルマとしては完成しながらも、市販車として実用化できなかったのは、当時は技術的にも解決できない課題が残ったからだ。
そもそもガソリンや軽油は、炭化水素がさまざまな分子構造で混ざり合っているモノだ。水素と炭素をそれぞれ酸素と結合させているのだから、水素エンジンは燃料から炭素をなくして水素だけを燃やしている状態だと思えばいい。
ガソリンや軽油は、炭素によっていくつも水素が結び付いている状態、しかも液体で密度が高いから、燃焼時に大きなエネルギーを発生させるが、水素だけを燃やすとなるとたくさんの水素を燃やさなくてはトルクが出ない。
しかも水素は常温では気体であり、とても軽いからMIRAIなどの燃料電池車も700気圧(!)まで圧縮してタンク内に蓄えている。
これによって航続距離の問題をクリアしているのだが、今回の水素エンジンはこれまでにMIRAIで培った水素燃料のノウハウを活かして開発されたようだ。
GRヤリスのエンジンで快調に疾走も課題は「燃費」?
カローラスポーツをベースとし、水素エンジンを搭載したレース競技車両が登場。テスト走行が行われ、2021年5月21日から開催されるスーパー耐久シリーズ第3戦に参戦する
エンジン自体は、GRヤリスに採用された1.6Lの3気筒ターボエンジン。1気筒あたりの容積が充分にあり、高い過給圧も見込めるのは、水素エンジンのベースとしても最適だ。
燃料を水素に変更するにあたり、燃料の供給系と直噴のインジェクターを水素用に変更し、スパークプラグも水素用に最適化したものに交換している。そしてすでにベースエンジンのガソリン仕様とほぼ同じ出力(272ps)は確保しているというから素晴らしい。
先日の富士スピードウェイで行なわれたスーパー耐久の合同テストでは、初走行ながら好調に周回を重ねたようだ。テストベンチやテストコースですでに開発されてきたから当然と言えば当然だが、残された課題はまだまだ多い。
まず、ひとつめの課題は燃費だ。
新型MIRAIに搭載されているモノと同じ高圧タンクをカローラスポーツの車体に搭載、それもMIRAIよりも容量を増やして7.34kgとしているのだが、今回のテスト走行の状態で12~13周ごと、距離にして50kmごとに水素を充填するためのピットインが必要だった。
MIRAIは5.6kgのタンク容量で実燃費でも600kmくらいは走れそうだから、レースマシンとはいえ現時点で燃費は15倍程度悪い。MIRAIもサーキットで全開走行すれば燃費は半分くらいになるだろうから、実際には7、8倍といったところだろうが、燃料電池のほうが圧倒的に効率が高い。
テスト走行にて燃費に課題があったが、今回のレース参戦は水素エンジンの実用性を高めることを目標にしているので今後の開発に期待
ただ、今回のレース参戦は速さを求めるものではなく、あくまで水素エンジンの実用性を高めることが目標で、ライバルがいない状態でクラス優勝しても仕方ないのだから、レースマシン状態での航続距離はそれほど優先順位は高くないかもしれない。
ちなみにトヨタの担当エンジニアに燃費問題の改善について質問したところ、返ってきた回答は以下のとおり。
「エネルギーが小さいという水素の特徴を考えると、まさに今後技術挑戦していくポイントであると考えています。詳細は開発中の内容になりますので、回答を控えさせていただきます」
対策としては走り方や制御の仕方で燃料を節約する方法と、水素の貯蔵の仕方を変えることなどは、すぐに思いつく。
貯蔵にはタンク内に水素吸蔵合金(自重より多くの水素を溜め込める!)を内蔵するのもひとつの方法だが、これは車重増に繋がるからレースマシンとしてはかなりのハンデとなってしまう。
NOx対策と水素脆性をどうやって抑えるか
GRヤリスのエンジンをベースに開発された直列3気筒インタークーラーターボを搭載。総排気量は1618ccで福島水素エネルギー研究フィールドで製造された水素を使用する
2つめの課題は「NOx(窒素酸化物=排気ガス中の有害成分のひとつ)の排出をどう抑えるか」だ。水素エンジンは、筒内の酸素をすべて水素と結び付けられれば理想的だが、実際には負荷や回転数が目まぐるしく変わる走行中には、そこまで緻密に制御することはまず不可能だろう。
水素エンジンは高負荷の状態では燃焼圧力によってNOxが発生するし、軽負荷の状態でも酸素過多になれば燃焼温度の高さからNOxが発生することに繋がる。これも以前は解決が難しかった課題のひとつだ。
NOxの後処理には、クリーンディーゼルでは、NOx吸蔵合金に一度吸収させて、再燃焼させることで還元させる方法と尿素水を噴射して還元するSCR触媒の2通りがあるが、水素エンジンではNOx吸蔵合金は使えない(水素では還元できない)ため、後処理装置を使うとなればSCR触媒一択しかない。残る選択肢はNOxの生成自体を抑え込むことだろう。
これも担当エンジニアに質問したところ、返答は以下のものだった。
「開発初期のフェーズのため、NOx低減策は複数の手段を試しています。詳細は開発中の内容になりますので、回答を控えさせていただきます」
2018年に産総研(産業技術総合研究所)が、SIP(戦略的イノベーション創造プログラム=科学技術イノベーション実現のために創設した国家プロジェクト)での水素エンジン開発における低NOx技術の成果を発表している。
これは発電用の火花点火水素エンジンにおいて、高負荷状態でのNOx生成を抑えるもので、具体的にはEGR(排気ガス再循環)による燃焼温度低減と、燃料直噴の緻密な制御で水素が拡散する前に燃焼させることで実現している。
トヨタが研究しているのも、おそらくSIPで開発された技術に近いものだと思われるが、それ以外にも方法はあるのか気になるところだ。
そして長期に渡る使用を考えると、「水素脆性」の問題も出てくる。これが3つめの課題だ。
水素は閉じ込めておくのも難しい物質だ。大抵のモノは通り抜けてしまうほど、水素分子は小さい。そのため水素を扱う配管にはニッケル系の特殊な金属を使い、継ぎ手にも特殊なシールや断面形状を用いるなど、特殊な処理が必要になる。
さらに水素は金属内部に入り込んで脆くしてしまう水素脆化を起こすのだ。燃料系は問題ないとしても、エンジン内部に残留した水素がエンジン部品に浸透することでやがて水素脆化を起こし、部品の強度が低下して壊れてしまう可能性がある。
このあたりは耐久レースでガンガン走ることで、部品の耐久性や対策しなければならない部品を見つけることもできるかもしれない。トヨタエンジニアからの回答は以下だ。
「水素脆性に対する対策としては、MIRAIで実績のある設計を活用しています。詳細は開発中の内容になりますので、回答を控えさせていただきます」
机上では燃料電池に敵わないけれど、水素社会でエンジンが生き残れるようにチャレンジしている姿勢は、昔のトヨタを知る者から見れば、信じられないくらい勇猛果敢な印象である。実用化できるかできないかも大きな問題だが、トヨタの挑戦を日本人のクルマ好きとして応援しようではないか。
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みんなのコメント
そんなの無理だ、インフラが云々と言う前にワクワクする可能性を提案する事が企業に大切では無いのか?
「石橋を叩いても渡らない」と評されたトヨタが「橋を渡った先の未来」を提案していることが驚きである。