元マクラーレンCEOの人生を変えた12台
2013年から2021年までマクラーレンのCEOを務めたマイク・フルウィット(Mike Flewitt)は、自動車会社のトップとしては比較的珍しく、仕事中も休みの日も本能的なまでにクルマを愛している人物だ。マクラーレンを退いた後も、空飛ぶクルマ・電動航空機を手掛ける英国のバーティカル・エアロスペース社の取締役を務めている。
【画像】生粋のエンスージアストが選んだクルマ【ロータス・エランS1やマクラーレン675LTなどを写真で見る】 全62枚
趣味で自動車関連の本を読んだり研究したり、週末にはロータスのクラシックカーを走らせたり、妻でありレーシングドライバーのミア・フルウィット(ブリティッシュGT選手権に参戦)をサポートしたりと、彼ほど「クルマ好き」を体現している人は少ないだろう。
しかし、昔からそうだったわけではない。リバプール生まれのフルウィットの家族には、自動車に対する特別な愛情を持っている人はいなかった。父親は学者で、母親は教師だった。兄弟も(裁判官の兄と、教職に就いた妹)、自動車にはあまり興味を示さなかった。マイクは子供の頃から機械に興味があったが、自転車をいじっていることの方が多かったという。
しかし、サフランイエローのトライアンフ・ヘラルドが彼の人生を一変させる。
トライアンフ・ヘラルド 13/60 コンバーチブル(1962年)
地元のスポーツショップで小遣いを稼いでいた若き日のフルウィットは、愛用の自転車が盗まれ、思いがけず200ポンドの保険金を手にすることになる。盗まれた自転車の代わりとして、同じくスポーツショップで働いていた女性から250ポンドでトライアンフ・ヘラルドを購入した。「ちょっとカッコいい」と思ったのが理由だそうだ。
オースチン・ヒーレー・スプライトMk4ならもっと格好良かっただろうが、10代が払わなければいけない保険料はこのクルマ本体より高かっただろう、と彼は回想する。ヘラルドは、フルウィットがクルマに夢中になるきっかけとなったターニングポイントである。
「あのクルマが大好きでした。セパレートフレームで、フロントのボディが全部持ち上がる(フロントヒンジでボディごと大きく開く)から、運転もしやすいし、作業もしやすいんです。見て触ってわかるような問題を解決するのが楽しかった。ヘインズの油っこいマニュアルを持っていて、それに忠実に従ったものです。ヘラルドを修理しているうちに、クルマが大好きになったんですよ」
フルウィットは19歳になるとリバプール大学で経済学を学んだが、ヘラルドの影響もあって、すぐに「関連性がない」ことに気づき、1年後には自宅から10分の距離にあるヘイルウッドのフォード工場で働き始めた。
すると、すぐに技術見習いとして認められ、エセックスのフォード本社に定期的に通うことに。こうして、見習いから現場監督、スーパーバイザー、製造エンジニア(20代後半にサルフォード大学で学業を再開)、エリアマネージャーへと、12年間にわたるフォードの道を歩むことになるのだ。
ロータス・エラン+2S 130/5(1972年)
フォードに在籍中、フルウィットはロータスというブランドに対して生涯捨てることのできない愛情を抱くようになった。ロータスの創始者であるコリン・チャップマンが放つ独特のオーラに魅了されたのだ。
「ブルース・マクラーレンと同じように、彼はエンジニアであり、偉大なリーダーであり、ビジネスマンであり、素晴らしいドライバーでした。今では分業するようなことも、全部こなしてしまうんです」
フルウィットはまた、比類なきレーシングドライバー、ジム・クラークの魔法にかかる。彼のハンドルさばきは絶妙で、あまりに自然だったため、内気なクラークはなぜみんなも同じようにできないのか理解できなかった。フルウィットがヘラルドからミニに乗り換え、3年間ロータス・エラン+2S 130/5(イエロー、トップはメタルフレークイエロー)を所有することになったのは自然な流れだったようだ。
「当時の雑誌、特に『Practical Classics』では、ロータス・エランがいかに素晴らしいかばかりが書かれていましたね。世界で一番いいクルマ、という響きがありました。わたしのエランは1973年の5速モデルで、10年ほど古いモデルですが、とても気に入っていました。感心することばかりだったんです。いつも修理が必要なところがあったので、リバプールとダントン(エセックス州)を往復しながら、路上で作業していましたよ」
ボルボC70クーペ(1996年)
フォード在籍は1990年代半ばに終わり、今度はロールス・ロイスで、近々発売されるシルバーセラフ(およびベントレー・ミュルザンヌ・ターボ)の製造システムを革新する仕事を任された。そこで新たに頭角を現し、スウェーデンのウッデバラ市でボルボC70を製造するために設立されたAutonova社から、自動車製造事業の運営を依頼される。
この会社は、ボルボとTWRで有名なトム・ウォーキンショーの共同所有していたもので、フルウィットはすぐにそのチャンスを掴んだ。そこで、ライン作業員として入社した妻ミアに出会う。彼女はエンジニアとしての訓練を受け、製造の中心的な役割を担うようになった。
「V70のプラットフォームでつくられた快適なGTです。初期には問題もありましたが、最終的には年間1万5000台を販売するまでになりました。わたし達は2台所有しており、最初はクーペ、そして1999年末に発売されたコンバーチブルを購入しました」
フォード・フォーカス 1.6(2003年)
フルウィットは4年間Autonovaを経営したが、フォードがボルボを買収し、TWRの株式を買い取ると、当初はTWRに残ることを選んだ。ミアは、同じくTWRの事業である初代ルノー・クリオV6を担当し、マイクはホールデンやルノーなど、さまざまな仕事に取り組んでいた。
しかし、1年半後にTWRが経営危機に陥ると(アロウズF1チームとの関わりで無理をしていた)、彼は2003年に品質責任者として欧州フォードに復帰する。その結果、1.6Lの初代フォード・フォーカスを購入することになった。
「あのクルマで、私はフォードをリスペクトするようになりました。コントロールウェイト、ステアリング、運転というシンプルな体験、すべてが新しいレベルにあったのです。フォーカスは、わたしにクルマの魅力を教えてくれた、極めて重要なクルマです。今でも買おうかなと思っているぐらいですよ」
ロータス38(1965年)
フォードの故郷デトロイトを訪れたフルウィットは、有名なヘンリー・フォード博物館に足を運ぶ。この体験が彼の趣味を「奇妙な方向へ大きな一歩を踏み出す」きっかけになったという。彼が目にした展示品の中には、ジム・クラークが1965年のインディアナポリス500で、従来のオッフェンハウザー・エンジン搭載車「ロードスター」をすべて破って優勝した、フォードV8エンジンのロータス38があった。
「今日、世界で1台だけクルマを選べと言われたら、あれを選ぶでしょう。クラークの腕とロータス38の性能は、インディの世界をひっくり返したようなものです。伝統的なロードスターが再び勝つことは二度とないと思います」
ロータス・エランS1(1964年)
フォードに戻ったフルウィットは、段々とロータスへの愛着を抑えきれなくなった。2005年、彼は「1964年に作られたばかりのような状態にレストアする」ことを目的に、イエローカラーの初代エランを購入する。
このとき、ロータスのエキスパートであり、その後のレースパートナーでもあるニール・マイヤーズと知り合うことになる。マイヤーズの父親は、ノーサンプトンで長年にわたってロータスのディーラーを経営していた人物である。レーサーとして成功していたニールは、約1年かけてエランを修復。今でもフルウィットのガレージで大切に保管されている。
「エランは、わたしが最後に売るクルマです。軽快で、俊敏で、バランスは完璧、乗り心地も素晴らしい。でも、決して過保護にしているわけではありません。今年(2020年)もたくさん走らせました。サーキット走行もしたし、ベルギーでも走らせたし、好きなように使っています。今でも素晴らしいコンディションを維持していますが、ニールが言うように、またいつでもレストアできるんです」
ロータス・エランS1レーサー(1963年)
エランを愛するフルウィット夫妻は、さらに1年古いエランを美しくレストアして、レースに参戦するようになった。「26Rが登場する前に、ロータスのディーラー向けに開発されたレーシングカーです。26Rよりも登場が早く、わたしにとっては特別な存在です」
「重要なのは、このS1レーサーでわたしとミアがレースに出られるようになったことです。最初のレースは2015年のシルバーストン・ナショナル・サーキットでした。わたしがずっとやりたかったことであり、素晴らしいものでした」
「公道仕様に変更を加えて作られたので、最速のエランというわけではありません。少し重いし、エンジンは他のマシンのようにチューニングされていません。でも、レースでは勝っているんですよ。なぜもっと速くしないのかと聞かれたら、ジム・クラークがこのマシンに乗っていたら勝てただろう、と答えるだけです」
マクラーレン675LT(2015年)
マイク・フルウィットは、23の工場と2つの合弁会社(ロシアとトルコ)を担当する製造副社長の職を離れ、2012年に欧州フォードを退職してマクラーレンに移籍した。
優れた製品を持ちながらも難題を抱えるマクラーレンは、彼の製造に関する専門知識を必要としていた。初代12Cの販売が伸び悩んでいた頃にCOO(最高執行責任者)として着任し、翌年にはCEOに任命された。そして、12Cスパイダー、P1、650S、650Sスパイダーと、新モデルを怒濤のように投入していく。
「いいクルマを作ったという評価もありましたが、魅力やエモーショナルさが足りないと批判されました。わたしがどうしてもやりたかったのは、ロングテールの675LTで、計画にはなかったのですが、最終的には作りました」
「このクルマ(675LT)はわたしのアイデアで、わたしが最初から最後まで担当した初めてプロジェクトでしたから、特に誇りに思っています。重量を減らし、パワーとエアロを少し増やして、出来上がったものは予想以上に素晴らしく、マクラーレンのあるべき姿を示す、魅力的なクルマになりました」
フルウィットはクルマを自費で購入し、現在も所有している。
マクラーレンP1(2013年)
フルウィットは、P1が「マクラーレンにとって、わたしよりも重要な存在」であることを認めている。彼が着任したときには、P1の開発は順調に進んでいた。
「P1は個性あふれるクルマに仕上がりました。いわゆるハイパーカーの三位一体(P1、ラフェラーリ、ポルシェ918スパイダー)の第一号となったのです。3年間でフェラーリやポルシェと同じレベルで見られるようになったのですから、当社にとって非常に大きな意味がありました。とても大きなことです。P1が完売し、ビジネス的に成功したことも、さらに良い結果をもたらしました」
マクラーレンMP4A(1967年)
エランのレースに出会ったフルウィットは、フォーミュラ・ジュニアのシングルシーターへの参戦を考え始める。そこでジュニアを試乗したところ、「ダイレクト感が気に入った」ため、参戦を決意した。ロータス18、20、22などがマシン候補に上がりそうだが、470kgのボディに240psのコスワースFVAエンジンを搭載した元ピアーズ・カレッジのマクラーレンF2マシンを提供され、購入した。
「シルバーストンのハンガーストレートを走るのはスリリングでした。オウルトン・パークでのゴールド・カップ(18台中9位)も含め、何度かレースに参加しました。でも、速すぎてわたしの限界だったんです。もっと速く走れるようになるには、もっとプッシュしなければならないし、リスクも伴います。ジミー・クラークがこんなクルマでレースをして命を落としたなら、わたしもそうなるはずだと思い、クルマを売りました。面白かったですし、やってよかったとは思いますが、スポーツカーがわたしの性分なんです」
マクラーレン570S GT4(2017年)
写真のGT4レーサーは、フルウィット夫妻のマシンだ。レースを始めて以来、ミアはハイパワーカーに驚くべき適性を発揮し、社内のピュア・マクラーレンGTシリーズで2度優勝するなど、5年でトップレベルのアマチュアレーサーとなった。
彼女は現在、ブリティッシュGT選手権のトップ候補であり、特別なフィットネス・プログラム、テスト、スポンサーシップを受け、レースに専念している。
「もともと別のクラシックカーを買おうと思っていたのですが、ミアはもっとパワーを求めていました。彼女はパワーとパフォーマンスを愛していて、V8があれば何でも解決するんです。彼女はCanAmのレースに出たいと言い出したのですが、わたし達の知る限り、女性が出ることは難しいでしょうし、あまり安全とは思えませんでした。そこでGT4のアイデアを思いついたんです。それ以来、ミアは夢中になっていますよ。わたし達はレースが大好きで、GT4は非常に速いのですが、マクラーレンの市販車との強いつながりがあるのです」
ロータス・マークIX(1955年)
ロータスを愛し、その歴史を研究し続けるフルウィットは、1950年代半ばにわずか27台しか作られなかった希少なクルマを最近購入した。
ロータス・マークIXは、実質的に、ブランド初の本格的な量産車マークVIのエアロダイナミック仕様である。フルウィットのマシンは完全なオリジナルで、1956年のチャンピオンシップで優勝し、パンフレットの表紙を飾ったこともある(当然、彼もそのコピーを持っている)。当時、コベントリー・クライマックスFWAエンジンの出力は75psだった。しかし、スチール鍛造のボトムエンドを持ち、高回転が可能になったため、95psにパワーアップしている。
「200km/hの速度に対応し、信じられないほど安定しています。わたしのクルマは公道登録されていますが、公道ではちょっと変な感じがします。というのも、宇宙船が着陸したのかと思われるほど異様な姿をしているからです。それに、公道ではプッシュできないので、少し物足りなくなります。でも、サーキットの上では、とてもいい感じですよ」
……長い話を終えて、筆者はこの12台を、実に多彩なクルマたちだと思った。フルウィットには、まだ他に欲しいクルマがあるのだろうか。
「そうでもないんですよね」と、彼はしばらく考えてから言った。「数年前なら、ロータス25やロータス49のシングルシーターが欲しかったかもしれませんが、マクラーレンMP4Aに触れて、その考えは変わりましたよ。V8エンジンを搭載したスポーツカーで、1勝しかできなかった不遇のロータス30が気になるときがあります。ニールと2人で作れないだろうか、とね。できるかもしれませんが、そのチャンスがあるかどうかはわかりません」
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