もくじ
ー 手頃なロードスター
ー 後継車としてのEX234
ー プロジェクトを振り返る
ー 開発計画の棚上げ
ー 廃車を免れたEX234
ー 40年ぶりに市場へ
ー 今でも魅惑のマシン
手頃なロードスター
MG-Bとミジェットには気の毒な気がしてならない。発売当時、どちらも傑出したクルマだった。人の気持ちを捉えるに十分なクルマであり、その気になれば大きく手を加えてチューニングもできた。価格も維持費も手頃なこの2台は、1960年代初期の最良のロードスターといえるだろう。
スノビッシュな気持ちや、平凡なスポーツカーを蔑視したくなる気持ちを抑え、真正面からこの2台を見据えれば、そう評価できる。発売当時のまだ不評を被っていない頃には、この2台は、ワイヤーホイールを履いた最も美しい2シーターのひとつだった。しかし、これこそ問題の核心なのだが、それからの時間の経過と状況はこの姉妹モデルに恥知らずなほど冷酷だった。
ミジェットとMG-Bが生産中止になった1979年と1980年には、性能の優れたスポーツカーを求める普通のクルマ好きにとって、時代は前輪駆動の高性能車が中心となっていた。こうした背景の中で、MGの2台のクルマは、ブライアーのパイプを吹かす老紳士のように古風な存在だった。この2台は、どう見てもディスコ世代のためのスポーツカーではなかった。
わたし自身はこの美しいブリティッシュロードスターの大ファンだが、1960年代末までに現役から退くべきだったと思う。実際、簡単にそうすることができたはずだった。この2台に代わって登場する筈だったニューモデルのことを思うと、今でも嘆かずにいられない。このニューモデルは、誇らしげにMGのエンブレムを掲げた、勇猛な高性能スポーツカーのイメージを思い起こさせる、EX234と名付けられていた。そのクルマが今、明るい春の日差しを浴びてわたしの目の前にある。
後継車としてのEX234
MG-Bとミジェットは良く知られているが、このEX234の存在は謎に包まれている。EXはエクスペリメンタル、つまり実験を意味し、このEX234は1960年代半ばに1台だけ製造された。
BMCのお気に入りコーチビルダー、ピニンファリーナがデザインしたスティールとアルミニウムの未来志向のボディには、自動車業界を制覇し、MGを新時代に導いたであろう興味深いさまざまな技術が秘められている。MG-Bやミジェットの発売からEX234の開発までわずか数年だが、その間に確実に時代が移り変わっていたのだ。
もちろんMG-Bとミジェットが発表された1960年代初めにも、MGの技術者たちはライブアクスルとリーフスプリングが急速に過去の物になりつつあるのを知っていた。MG-Bは当初、リアにコイルスプリングを採用した現在の量産モデルよりも洗練されたクルマとして開発される筈だった。
また1962年10月には、流体バネを用いたミジェットの開発が真剣に検討されていた。このふたつのプロジェクト(EX229とEX231)はそれぞれ1962年と63年に進められたが、検討の結果、いずれのプロジェクトもそのまま放置された。
MGはMG-Bへの独立懸架の導入を検討してはいたが、より洗練された駆動装置をMG-Bに導入するよりは、ニューモデルを設計した方が良いという結論にすぐに達した。排気量の異なる各種エンジンの搭載を検討した結果、MG-Bとミジェット両方の後継モデルとしてEX234を開発するプランが急浮上した。
プロジェクトを振り返る
このプロジェクトはシド・エネバーによって提案され、1964年2月に開始された。作業はエネバーが自分の後任としてチーフエンジニアなることを期待していたロイ・ブロクルハーストの監督の下で進められ、プロジェクトオフィスの製図工マイク・ホリデーとジム・シンプソンが、ミジェット、オースティン・ジプシー、ADO16を含む複数のモデルからBMCのメカ要素を採り入れた、ユニークなスティールプラットフォームを設計した。
残念なことに、50年経った今、オフィスにはこのプロジェクトに関する資料があまり残っていないが、元MGの開発メカニック、ジョフ・クラークが、プロジェクトに携わった当時を楽しげに思い出しながら、こう語ってくれた。
「1965年当時、まだ見習いを終えたばかりで、EX234は正社員になってから初めて取り組むプロジェクトだったのです。確かこのクルマは、フロアパンから構成されるローリングシャシー、サスペンション、エンジンの形でイタリアに送られ、ボディを載せた際に十分なゆとりがあるかを調べるためにそこで組み上げられたはずです」
「工場に送り返された時には、ほぼ完成した形になっていたのですが、まだ色々なバリ取りや仕上げが必要だったと記憶しています。わたしの最初の仕事は、リアサスペンションを変えることでした。最初はBMC1100のパーツを使っていましたが、ロイ・ブロクルハーストはこれに満足していなかったため、自分が1800(ADO17)のディスプレイサーに合うよう手を加えました。これはかなり単純な作業だったため、直ぐに終わり、その後はブレーキシステムを集中的に作業しました」
開発計画の棚上げ
「イタリアから戻ってきた時には、まだブレーキを装備していませんでした。そこでロッキードに連絡して、四輪のディスク設定を手助けしてくれる技術者を派遣してもらいました。当時、大半のプロジェクトは何カ月も続きましたが、これだけは早く終わりました。そして苦労した挙句、結局は、他の中止になったプロトタイプと一緒に、工場のボイラーの隣の部屋に放置されてしまいました」こうして1970年代半ばまでそのまま忘れ去られたのである。
振り返ってみれば、EX234のプロジェクトが中止になる一因となったBMC/BLの事業計画を酷評するのは簡単だ。しかし、1965年にはMG-Bとミジェットが市場に出荷されてからまだそれほど経っておらず、どちらの売れ行きも好調だった。経営面から見れば、ニューモデルを量産するための投資を正当化する理由はほとんどなかった。
当時MGは、既存モデルである程度の利益を得ていたからだ。プロトタイプの製造だけでも4万ポンド(520万円)現在の価値に換算すると約73万ポンド(9490万円)が必要だった。BMCがBLに統合され、それに伴う混乱に陥ると、EX234のプロジェクトは棚上げされた。そこに複雑な利害関係や手痛い投資資金の欠如、アメリカの排ガス規制の強化が重なり、EX234は開発の機会を完全に失った。
また、このクルマが製造されなかったもうひとつの理由がある。クラークは話している。「アレック・イシゴニスはスポーツカーに反対していたのです。当時、イシゴニスはまだかなりの影響を持っていました。彼は、流体バネを使ったスポーツカーの量産を絶対に許可しなかっただろうし、大半の不要なプロトタイプは解体され、廃棄されていまいました」
廃車を免れたEX234
このクルマがまだ生きているとわたしがいうと、誰もが皆驚いた。このクルマが生き残っていたのは、ほかならぬ当時のMGのボス、ジョン・ソーンリーとMGのエンスーでディーラーのシド・ビアの先見の明のお陰だ。
ビアはそれまで長年にわたってMGと密接な繋がりを持ち、オールドナンバーワンやEX135、EX179、最高速度を達成したEX181、18/80やNタイプを含め、MGの歴史に残るクルマを探し続けてきた。これらのクルマが現存しているのは、ビアがケンブリッジシャーにある会社の敷地に保管してくれていたお陰だ。彼はまた、不運だったMG-Cの量産前のテストやソーンリーが所有していたB GT「MG1」の再組立にも関わっている。
ビアは何年も前から、BM博物館を建てるという夢を抱いていた。そのためEX234の解体が計画された時にも、ソーンリーが介入して、このプロトタイプを友人のビアに託した。残念なことにBM博物館は実現しなかったが、このため、EX234は廃車となる運命を免れることができた。
ビアの息子のマルコムはこう話す。「1970年代には、父はこのクルマに乗って何度かMGのイベントに参加しました。でも結局スペースがないため、過去15年か20年間、倉庫に放置されていたのです」
40年ぶりに市場へ
これまで彼が40年間所有していたEX234が、ついに売却されることになった。グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの会場において、推定3万5000~4万5000ポンド(455~585万円)でボナムスのオークションに掛けられることになっている。このMGの歴史の忘れられた1ページは、この価格ならお買い得だろう。
走行距離はわずか1万km弱で、レストアされたのではない、美しいオリジナルコンディションを保っている。またこのクルマは、「もし、なら」というもうひとつの歴史に対する楽しい洞察を与えてくれるだろう。
これまで数枚の白黒写真でしかその姿を拝んだことがなかったため、わたしも好奇心に駆られて初めて本物に近づいていった。金属のボディを初めて眺めると、この興味深いクルマは写真で見るよりもずっと魅惑的に見えた。イタリア的なテイストが顕著で、フィアット850やアルファ・ロメオ・スパイダーを思わせる部分がある。
フロントガラスはアルファ・ロメオに似ているし、給油口のフラップもアルファ・ロメオそのものだ。デリケートな円形のテールライトを装備したリアは、初期のロータス・エランを思わせる。フロントのデザインは明らかにMG-Bに多くを負っている。
浅いグリルとMG-BのウインカーはEX234のほかの部分のデザインに合っていないのだが、そこがこのクルマのデザイン面の最大の弱点だとわたしは思った。MGのデザイナーはこの部分を何度かデザインし直したといわれているが、どんな工夫をしたのかは興味深い。
今でも魅惑のマシン
このMGは、オープントップロードスターとフィックスドヘッドクーペの両方として計画され、スティールのルーフが現存している。ヘッドライニングにはひだ飾りがあり、贅沢なトリムを施し、美しく仕上げられたこのルーフを取りつけると、クルマのスタイルが変化する。視覚的に車長が短くなったように見え、EX234が小型の南欧のサラブレッドのような風格を帯びる。
特定の角度から見ると、フェラーリ365GTをどこか思わせる。12インチのホイールをボラーニワイヤーホイールにすれば、跳ね馬のエンブレムやマセラティの三叉の銛を掲げても不似合いではない。
しかし、ルーフに騙されてはならない。このクルマは普通の意味でのハードトップではない。悲しいことに、このクルマは、ルーフを取りつけたままでは運転できない。このルーフは、取り外しできないフィックスヘッドクーペがどんなスタイルになるか示すために、ピニンファリーナが作ったモックアップで、クルマに固定することはできず、また窓の開口部分もドアガラスの形に合っていない。
こうしたディテールや、換気システムに接続されていないダッシュボードのアイボール型ベントなどが、プロトタイプだけに見られる実験的なオーラをこのクルマに与えている。魅惑的なマシンであり、できればもっと時間を費やしたいクルマだ。
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